約束を
竜王から”竜の谷”にいる存在――ドラゴンゾンビに勝てないと言われた明。強くなるために”竜の里”の近くにいる魔物を相手に一人で相手にしてきた。
ここに来てから三日目となる朝。
明は今日も魔物の相手をしていた。
相手を探し求めていたところに、初日に出会った魔物――大猿が襲い掛かってきた。体格がよく、たくましい腕、猿の顔をした魔物。今回は殴りかかってくるのではなく、明と同じように木を木刀にした大猿はそれを振り下ろす。
相手も自分を倒すために剣で応戦しているが、ただ振り回しているだけ。けれども、大猿の腕力は樹をへこませるだけの力があるから、当たれば無事では済まない。
力任せに振るわれる木刀を明は展開していた風の衣で受け流し、ウゴッ!? と驚く相手の懐に潜り込む。右腕に風を付加させ、殴りつける。
硬い肉の感触を感じ、ばんっと空気が震える音を生み出した明は飛ばされた相手を静かに見つめる。樹にぶつかった大猿は憤怒するように吼え、木刀を放り投げてまっすぐ向かってくる。
風の刃で切ろう、と明が判断しているとどこからかぶぶっと複数の羽音を聞いてそこから飛び退く。
「まいったな……」
飛び退き、宙で体勢を整えているとさっきまで自分がいた場所に人ほどの大きさをした蜂――キラービーがいた。一体だけだと思っていたが、控えるようにもう三体いる。
「はああっ」
風の刃でキラービーの一体を切り伏せ、鋭い針が十五センチもあるそれを飛ばす三匹に風の塊を飛ばす。目には見えない風の塊――風の弾丸で降り注ぐ鋭い針を弾き、一体に当てる。
近くにいた一体のキラービーにすばやく接近した明は剣ではなく、拳で打ち抜き、続けてもう一体に脚で蹴り飛ばす。風の弾丸によって飛ばされた最後のキラービーは低空にいるが、もう一度風の弾丸を放つ。
すべてのキラービーを倒し終えると、大猿が豪腕を振るってくるがこれをかわし、手のひらに風を凝縮していく。凝縮された風を維持したまま大猿の懐に潜り、掌底を食らわせる。
大猿のたくましい胴体からどんっと空気をびりびりと震わせ、相手は明が食らわせた掌底によって樹にぶつかり、そのまま動かなくなる。
ただの掌底だけではなく、これは吉夫が雷を収束するのをもとに作られた魔法。生物であれば内側から臓器を潰し、物体であれば内側から爆ぜるという技。
「さすがに疲れたな……」
連続で魔物を狩り、剣の素振りをしてきた明であるがさすがに肉体と精神が持たない。竜王に言われたことを気にしてひたすら強さを求め続けてきたが、何のために、とわからなければこの訓練は意味を成さない。
ため息をついた明は”竜の里”に戻ることにした。
三日も連続で”竜の里”から出て、魔物の相手をしてきた明。これまで一度もゆっくり”竜の里”を歩いてないことにいまさら気付いて、息抜きのために散歩することにした。
始めてここに来たときには目にもしなかったが、どの家もレンガで作られており、いまも竜人たちは新しい建築物を建てている。自分たちの世界では家を作るのは全員が大人であるが、ここでは明と同い年くらいの子供たちまで仕事している。
人によってはその頃から傭兵をやる者や、仕事を求めてギルドに行く者もいる。
自分たちの世界では、彼らは学校に通っていてもおかしくないが……日々を生きるために、こうやって仕事をしなければならない。大変かもしれないが、それが現実。
ぐうっと腹が鳴り、朝食を抜いていた明は食べ物を求めて歩き出す。
いつも早起きし、訓練を行う明は竜王が住む屋敷に戻っていたが今日だけは早めに切り上げたのでたまには外で食べるのも悪くはないだろう。
にぎやかな市場へと向かうと芳ばしい匂いが鼻腔を刺激し、何かを食べなくなった明は食べ物を探し求める。じゅーと音を立てて、鉄板の上で焼かれる肉。さわやかな果物の匂い、香辛料の香り、生臭い魚の臭い。……魚?
「おっ。兄ちゃん、魚を食べたいか!」
魚を売る店の前で止まった明に、店主と思われる人物が声をかけてきたので彼はじっとそれを見る。身体は細長く、鼻の先が剣のように鋭い魚。もしも、遠くから見れば剣にしか見えない。気になってみている魚に店主が丁寧に説明してくれた。
「そいつは鋭き剣と呼ばれる魚でな、海に住む中でもっとも危ないやつなんだよ」
「へえ……。たしかにこれは危ないですね」
「おうよ! こいつが最高の速度に乗った状態だとな、船を簡単に貫いてしまうからな!」
危ないどころではなく、かなり危険な魚であると教えられた明。鋭き剣以外に面白い魚などないが、この男性から聞かされる話はなかなか興味深い。明が天を突くように建つ教会、海の真ん中にあるそこは聖都と呼ばれることを知り、さらに上に行けば水の都。下へと行けば魔族が住む魔の国。
魔の国はすべての種族が暮らすということについて驚き、そこには偏見がないことに感心していまう。
が、それは二ヶ月前の話。いまでは魔族が他の種族を迫害している、と彼から聞かされた。
「どうして……」
「さあな。もしかしたら、魔王がいなくなったかもな。それとも、誰かが魔王になっちまったかもしれねぇし」
「情報ありがとうございます。ところで、これはいくらですか?」
「払わなくてもいいぞ! 勇者である兄ちゃんにはタダであげるからなっ」
豪快に笑う男性はパンを差し出した。中には焼いた魚に臭いを消すハーブ、という実にシンプルな組み合わせのパンであるが、見た目からして美味しそうだ。
さらに焼き鳥ならぬ焼き魚までもらい、串に刺さっている肉を食べてみると口内に味が広がる。調味料を使っていないのにも関わらず、塩が身にしっかりと染み込み、それほどしょっぱくない。ちょうどいい具合の塩加減は海という自然が生み出した味。焼いた魚があるパンを食べてみると生臭さはなく、口の中に広がるハーブの味としっかりと焼かれた魚。
男性にお礼を告げてから、明はその場から去ってからしばらくして彼に勇者であることを名乗ってないことに気付く。”竜の里”に勇者が来た、と知っているからこそ彼は自分をそうであると見抜いた、と明は疑問に思わないで結論に至った。
朝食を食べてから、明は”竜の里”の近くにある草原に寝転がって雲ひとつない青空を眺めていた。草木の匂い、心地よい風を感じているとうっかり眠りそうになる明はついあくびをしてしまう。
青空を見上げながら、竜王に言われたことについて悩んでいるところに影が差し、その人物は彼の名前を呼ぶ。
「アキラ、ここにいたのか。いつも朝食を食べに来るのに今日だけは来ないから妾は心配したぞ」
深い緑色の髪、吊り上った金色の瞳、黒の民族衣装を身にまとったフローラであった。彼女を自然と上から見上げてしまうような形となっている明は、彼女の服の内側から大きく膨らんだ胸に目を向けてしまう。
明は親友の吉夫から巨乳好きであると言われ、それを自覚している彼はついそこを見てしまうことが多い。ユグドラシルに召喚され、ジュリアスから剣の訓練を教えてもらっているときについぶるんと揺れるそこを凝視してしまったことがある。
まさか、彼女との訓練を終えてから吉夫に指摘され、ジュリアスに怒られるなんて予想していなかったが。
過去のことを思い出した明は二度も同じ過ちを繰り返さないように、フローラの目を合わせようとして……固まった。
羞恥に頬をうっすらと赤くしながらフローラは拳を振り下ろし、慌てて明は横に転がる。さっきまで明がいた場所に彼女の拳が地面すれすれで止まり、こちらを鋭く睨みつけてくる。
「妾の胸をじろじろ見るではないっ」
「だからって殴らなくてもいいよね!?」
追撃してきそうなフローラから逃れるために立ち上がった明。けれど、彼女はなにもすることなく結局はその場に座り、ほっとしながらもフローラの隣に腰を下ろす。
肩を並べた二人は無言のまま、しかし彼らにとっては心地のよいときであった。背中合わせで戦ってきたせいか、彼女の隣は落ち着くことができる。
「フローラさん。今日はゆっくりと”竜の里”を歩きたかっただけだから……朝食を済ませたよ」
「そうか。妾はおぬしが魔物にやられていないかと、心配してしまったではないか。今度から連絡してくれぬか?」
「連絡って……どうやるの?」
「風の囁きという風の魔法じゃよ。それさえ習得できれば、特定の人物と話すことができるからの」
「そっか。じゃあ、戻ったらその魔法について教えてくれるかな?」
「よいぞ。……ところでアキラ、どうして強さを求めるのかおしえてくれぬか?」
それは……と言いかけた明は口を閉じる。
強さを求めるのは、”竜の谷”にいるドラゴンゾンビを倒すため。それと勇者である自分が相手に負けないためでもある。だが……本当は違う。
「僕は……世界を救うために力をつけている」
「それが強さを求める理由かの? しかし、規模が大き過ぎてるではないか。もっとまともなことを考えるのじゃ」
そう言われて、明の口から自然と言葉が紡がれた。
「……悔しいから、かな」
ふと思い出すのは、ユグドラシルのフィオナの森で黒騎士で敗れ、地下都市スビソルでは銀の騎士にも負けたこと。
どちらも自分よりも強く、かなりの実力者であると剣を交えたことがある明はわかる。あの二人に負けたことが明にとって悔しい。いつかは彼らの内一人を倒したいからこそ、強さを求める。
竜王にはっきりと言われたことも含まれるが、そこは彼女に告げないでおく。
そのことを聞いたフローラはそうか、と納得し、遠くを見つめる。
「……約束か」
ぽつりと呟いた明は吉夫のことを思い出す。吉夫が恵美を守ると約束したのは、異世界に召喚された彼女が不安であると感じ取ったから。一度交わした約束を破らない親友は、たとえ自分の命を犠牲にしてまでも恵美を守り続けると明にはわかる。
地下都市スビソルで岩の竜を倒し終え、前触れもなく現れた魔族のせいで恵美は傷ついた。それを目にした彼は自分の命を引き換えに魔力を生み出し、魔族と互角に渡り合えた。
もしかしたら、恵美が彼のことを守ると約束したのはそれを見通していたかもしれない。
明は隣にいるフローラと目を合わせ、思ったことをそのまま口にしてしまう。
「君を守らせてほしい」
「……なっ」
ぼんっと沸騰したように一瞬にしてフローラの顔が朱に染まり、なななっと意味のわからない言葉を口走る。苦笑しながら明は彼女に理由を話す。
「ほら、フローラさんはもっとまともなことを考えてって言ったよね? だから、僕は君を守りたい」
「し、しかし妾はおぬしに守られるほど弱くはない」
「わかっているよ。でも……僕は君を守りたい。そうすれば、きっと吉夫の気持ちもわかるかもしれないしね」
「……はあ」
落胆したようにため息をつくフローラに明はどうしたの? と訊こうとしたときに獣の咆哮を耳にした。二人はすぐに声がした方向に顔を向け、そこに向かって走り出す。
草原を駆け抜け、声がした方向に近づけば近づくほど血の匂いは強くなっていき、二人は顔をしかめながらも足を止めない。彼らは森の中に入り、明はいつでも戦闘できるように腰に差している剣を抜いて周囲を警戒するが……様子がおかしいことに気付く。
森の中が”静か過ぎる”。
動物の気配など感じることができず、風によって木の葉がこすれ合って音を奏で、二人の息遣いが響いてしまうくらい静か。
「ひっぐ……ひっぐ……」
かすれるような少女の鳴き声を耳にした明はすぐに大地を蹴り、相手が魔物に襲われているかもしれないと危機感を抱く。けれど、そこには魔物などいなかった。
かわりに、そこにいたのは緑色の半透明な少女。ただの少女ではなく、十五センチしかない。彼女の周りには鋭い刃に切り裂かれたように魔物の死体が転がり、原型を留めていない状態まである。鼻をつく濃密な血の匂いを我慢し、明は緑色の半透明な少女に話しかける。
「大丈夫かい?」
「……っ」
驚いたように身体をびくっと震わせる少女。彼女は愛嬌のある大きな緑色の瞳を向け、泣き顔の幼い顔つきの少女は警戒するように明を睨みつける。
「僕は君の敵じゃないよ」
「本当……?」
「本当だよ。僕は君の味方だから、安心して」
「……うん」
ふわっと彼女は身体を浮かせ、ちょこんと明の肩に座る。安心したようにえへへと声を弾ませた少女は、目を閉じてもたれかかって来た。軽い彼女はまるで風のようになにも感じることなく、明は少女がいた場所を見る。
ここで何が起きたのか彼にはわからないが、いまはフローラと合流して”竜の里”に戻ることが優先だ。