召喚されて
「……ん?」
気が付くと、俺はいままで見たこともない場所にいた。そこがどこなのか、と確認するために回りを見渡してみる。足元には魔法陣が刻まれており、周囲には支柱が規則正しく並び、神聖な神殿のように見える。その場にいるのは、ローブで顔を隠した人たちが数名と、白いドレスを着た人形とそこに控える金髪の髪をポニーテールにした女性がいた。
俺だけではなく、隣には明と恵美もいるが、この二人はなにが起きているのかわからない、という顔をしていた。それは俺も同じような気分であるが……ここはどこなんだ?
「あなたたちが、勇者ですか?」
という少女の声を聞いたので、そちらに目を向けてみることにした。こちらにゆっくりと近づきながらも、問いかけてきたのは白いドレスを着た西洋人であった。人形のようにきれいに整えられた顔つき、そこにあるのは表情と呼べるようなものなどない。
氷のように冷たい瞳は栗色に染まっており、髪はロングヘアまで伸ばされ、目と同じような色をしている。肌は陶磁のようで、純白のドレスを身にまとっている彼女にはよく似合っていた。姫様という言葉が似合いそうな少女だけど……もしかして、そうなのか?
「再度問います。あなたたちが勇者ですか?」
腹が立っているのか、今度は怒りを滲ませた声で問いかけてくる少女。
「勇者……それなら、こいつであると昔から決まっているぞ」
俺は隣にいる明のことを教えると、はっとした表情であいつは、
「吉夫、僕たちは夢を見ているのか?」
と、ここでとぼけてきたので遠慮なく明の頭を叩く。あいつは痛ぇとうめいていたが、痛みを感じるということで、少なくとも夢ではないとわかるはずだ。これは現実である。
「しっかりしろよ。ここは現実だぞ」
「そうだな。……で、なにがどうなっている?」
「いまさっき、おまえが勇者であることが確定したぞ。よかったじゃないか。ついに、おまえの夢が叶う場所にたどり着いたからな」
「ああ、そうだな。これは、夢である」
とほざいていたので、もう一度、しかも今度はさっきよりも強めに明の頭を叩く。
少女は、俺たちのしていることについて口をはさむことなく、静観していた。その傍らに控える金髪の髪をポニーテールにした女性は、なぜか俺を睨みつけていた。おそらく、勇者と確定した明に対してこのようなことをしている俺が気に入らないのだろう。
おっと、恵美のことを忘れるところであった。
「恵美。大丈夫か?」
明と少女のことを優先にしたせいで、すっかりと彼女の存在を忘却していた。
「え? あ、うん。吉夫くんが女装した状態で私を襲い、そのままお楽しみに――」
「黙れ、この変態が」
「痛いから、頬をつねらにゃいでぇよぉ」
恵美がおかしな妄想を頭の中で展開していたようなので、強制補正しておいた。
その後、女性騎士が落ち着く場所で話をしましょう、ということを提案してくれたので、俺たちはすんなりと受け入れることにした。
少女と女性騎士が案内してくれた場所は、応接間であった。そこに向かう途中でここが中世ヨーロッパ風の城であることに気が付いた。こうして見てみると、俺たちはさっきまでいた世界とは違う場所にいると嫌でも自覚してしまう。
ため息をついた俺は応接間にあるソファーとテーブル、それと書棚があるのを見ると気分が落ち着いてくる。さっきいた神殿よりもマシだ。
ソファーに明、俺、恵美の順番に座り、反対側には相変わらず無表情を貫く姫様っぽい少女が座る。無言であれば、人形に見間違えてしまうほど整えられた顔つきをしている。少女のことを観察していると、声をかけられた。
「紅茶でも飲みますか?」
さっきまでなかったテーブルの上には、いつの間に空のティーカップが並べられていた。そのことに驚きながらも、声のした方向に目を向けてみると……おお、本物のメイドがいる。
腰まで届く白い髪を三つ編みにまとめ、切れ長い目はルビーのように赤く、落ち着いた雰囲気をした女性……いや、メイドであった。彼女の手にはポッドが握られ、白いエプロンを纏い、黒をベースとした服装をしていた。スカートは足首まで伸ばされ、動きにくそうという印象を与えるような服装であったが、実はそうではない。
なにかあったとき、いつでも動くことができるように前提として作られたようにスリットが入っている。そこからのぞくすらっとした細い脚はあまりにも魅力的で、異性の目を釘付けにしてしまう。
不覚にも俺はそこに目が釘付けになってしまったが、恵美がゴホンとわざとらしくせきをしたので、我に返る。せっかく紅茶をオススメしようとするメイドの好意に甘え、ありがたくもらっておく。そのときに、恵美の頬がほんのりと赤く染まっているのを見てしまい、見惚れているかもしれないなと予測しておいた。
隣に座る明にいたっては……俺と同じような状況であるが、目がいやらしいぞ。 空のティーカップに注がれる茜色の紅茶を味わいながら、静かに目の前の少女に控える女性騎士を眺める。
金細工のように輝く髪をポニーテールでまとめ、凛々しい顔立ちをしている。彼女の目には自身にあふれたエメラルドグリーンの輝きが放っている。背はモデルのようにスラッと高く、腰に差している剣をいつでも抜けるように手を柄に添えていた。警戒……しているのか?
「……ノルト、お願い」
ソファーに座る少女は短い一言をメイドに告げる。
「はい。では、サティエリナ様は紅茶でも飲みながらくつろいでください」
全員のティーカップに紅茶を注いだメイド――ノルトと呼ばれる女性はポッドを片手にしゃべりだす。
「まずは自己紹介させてもらいますね。ワタシはメイドのノルト、こちらに座るのはユグドラシルの氷姫と呼ばれるサティエリナ様。そして、こちらが彼女の近衛騎士であるジュリアスです」
「ああ、よろしく。……ジュリアスってそこの爆乳騎士か……」
「よ、吉夫! 初対面の人たちに対して失礼じゃないか!」
明がここで喰いかかってくるが、あえて無視しておく。すると今度は恵美が続けて、
「そうだよ、吉夫くん! ジュリアスさんの場合は爆乳じゃなくて、巨乳のほうが――」
「おまえは黙っていろ」
余計なことを言い出そうとした彼女の頬をつねる。爆乳騎士――ジュリアスの様子をうかがってみると、彼女は顔を真っ赤に染めていき、なにかに耐えるようにぷるぷると肩を震わせている。まずい、彼女が怒りそうであると感じた俺はさっさと話を進めることにした。
「俺は牟田吉夫で、こっちが勇者となったばかりの親友の緋山明。で……女子大好きな二階堂恵美だ」
「私の扱いだけひどくない!?」
「巴の胸を揉んでいるとき、幸せそうな表情をしていたおまえに言われたくない。冗談はここまでにしておき、こいつは二階堂恵美な」
お互いに自己紹介を終えると、ノルトはどうしてここに召喚されたのか説明しだす。そのことを聞きながら、俺は面倒なことになるな、と感想を抱きながらも彼女の話に耳を傾ける。
◇ ◇ ◇
教会の窓にあるステンドガラスからはさまざまな色があふれ、光を浴びると己の存在を示すように輝く。そんな中、俺は一人の女性を腕の中に抱えていた。
「ずっとあなたの傍にいますよ、ヨシュアさん」
いまにも死にそうなほど弱っているはずなのに、腕の中にいる女性の目には強い意志が込められていた。彼女の白い瞳から目をそらすことのできない俺。見つめ合っていると、血によって赤く染まった手で女性が頬に触れてきた。幼子をあやすように、彼女は優しく微笑みながら言葉を紡いでいく。
「ダメだよ、ヨシュアさん。あなたはいつものように強気じゃないといけないのに……泣いてはいけませんよ?」
これで泣くな、と言われるほうがおかしいじゃないか。
銀細工のように輝く髪は赤く染まり、この日のためだけに用意したウエディングドレスは黒ずんでいる。純白を穢す赤は、だれだけ多くの血が失われているのか明確となっていた。
「ヘンリー……! 僕がリーンと話をしていなかったせいで……」
「平気だよ。リーンからあなたを奪うようなことをしたのは、私だから……こんな目に合うのは罰なの」
「ふざけるな! 君が罰を受けることが正しいことなどありえない! 君がいない世界に、僕は――」
なにを紡ごうとした俺の口は、柔らかいなにかによってふさがれた。それが女性が唇を重ねていることだとわかった俺は拒絶することなく、彼女を受け入れることにした。女性は残っている力を振り絞るかのように俺の首に腕を回し、最後の口付けを味わっている。
長いキスを終え、唇を離した彼女は、
「愛しています、ヨシュアさん」
優しく微笑みながら、女性は――ヘンリーは愛の告白を告げて静かに息を引き取った。
「夢……か」
寝汗で着ているシャツがべったりと肌にくっついて気持ち悪い。先ほどまで見ていた光景がすべて夢であってよかったと思いながらも、なぜか後悔していた。あの女性、ヘンリーと呼ばれる人を救うことができなかった自分が悔しくて、惨めで、情けないという負の感情を抱いている。
そのことを忘れるために、俺は夢だから、と切り捨てて見慣れない天井を見上げる。右腕が温かくて、鼻腔をくすぐる甘いにおいを感じることなど気にしないおくか。
昨日、ノルトからどうしてユグドラシルに召喚されたのか聞かされ、この国について教えてくれた。
まず、わかっていることはここは俺たちが住んでいた世界ではなく、アースと呼ばれる異世界。数ある国の中でユグドラシルは森に包まれ、資源が豊富であると有名な場所であるということ。近くにあるフィオナの森と呼ばれる場所には魔物が住み着いているが、騎士と冒険者たちが定期的に駆除している。普段から魔物を駆除しているおかげで、ユグドラシルは常に平和であったという。
けれども、二ヶ月前に黒騎士と呼ばれる存在が大量の魔物を率いて、平和なユグドラシルに牙を向けた。幸い、この国にはいつでも動けるように攻撃と防御に特化した騎士団が配置されていたので、被害は最小限に抑えられた。
しかも、この二つの騎士団を率いたのはユグドラシルの王であるギースと呼ばれる人物。すげえな、王自ら前線で戦う姿なんて想像すらできない。
「言葉が通じるのは……魔法のおかげか」
ノルトと会話しているときに、どうして言葉が通じることができたのか? と尋ねてみた。すると、彼女は俺たちを召喚する魔法陣にサティエリナが言葉を通じるように、とオリジナルの魔法を書き加えたという。
文字については、俺が相手に読ませたいように書けば伝わるそうだ。なんか無茶苦茶だよな。それと、読むことも可能であるとノルトから教えてもらったので、時間があれば読書したい。
召喚、ということで思い出したことが一つだけあった。過去に同じようなことをした、とノルトが教えてくれたので、そのことを思い出していく。
千年以上前のことだが、かつて魔王が世界を陥れようとしたときに魔法使いたちは禁忌に手を出したという。その禁忌こそが異世界から勇者を召喚し、この世界を救ってもらうということ。
藁にすがるような気持ちで彼らが禁忌である異世界召喚を使用すると、そこから人が現れた。成功であると確信した魔法使いたちは彼、勇者に必要最低限のことを教えると外へ放り出した。それも、護衛である女性騎士と共に。
しかも、当時の勇者は右も左もわからず、言葉すら通じなかったから旅は困難であったらしい。けれども、護衛していう女性騎士から言葉を教わりながら旅を続けた。困っている人を見過ごすことのできない勇者は各地で活躍し、仲間を得て、彼らと共に成長していく。
最終的には、見事に魔王を倒すことができた勇者は世界にハッピーエンドを導き、護衛をしていた女性騎士と結婚した。という伝説が残っている。
だから、この伝説を信じるという方法しか残されていなかったこの国、ユグドラシルは窮地であるとわかる。サティエリナが俺たちを呼んだのはきっと、いや、千年前と同じ状況になったからだ。
勇者は明と確定しているし、俺はあいつの活躍を見届けるために同行する。けれど、恵美は? あいつには危険な目に遭わせたくないから、この国にとどまって欲しいと俺は願っている。元の世界に戻す方法さえあればすぐにでもやってあげたいのに、サティエリナは召喚はできても帰還はできない、と真実を告げられている。
それにも関わらずに、あいつは吉夫くんのためならどこにでも行くよ、とか言い出す始末になってしまった。はあ……これは、魔王を倒す旅をしながら恵美を元の世界に戻す方法を探すしかないよな。
「……右腕、重いよな」
先ほどから感じている質量の正体が気になった俺は、空いている手で布団をめくる。その先にいたのは、気持ちよさそうに眠る二階堂恵美であった。俺の右腕を枕のかわりにするように眠り、ぎゅっと離さないようにきっちりと彼女の両腕でロックされていた。
これが現実であるのか、と確かめるために自分の頬をつねてみるとしっかりと痛みを感じる。現実逃避などできないので、彼女の寝顔を見させてもらう。
鼻腔をくすぐる甘いにおい、きっちりと彼女の両腕にロックされた右腕は胸の位置にある。これは得しているな、俺。気持ちよさそうに眠る恵美はかわいらしく、無防備な唇をつい奪いたくなってしまう衝動に駆られるが自制する。
彼女の長い黒髪はシーツの上に幾筋の小川のように流れている。空いている手で恵美の頬を触れてみると、ふにふにしていて柔らかく、いつまでも触っていたくなる感触であった。
そのようなことをしていると、彼女を起こすことを思いついた。
すなわち、頬をつねるということ。
「さっさと起きろ、恵美」
「ふにゃあ!」
奇声と共に恵美は目覚めた。