三つ首の岩竜
古びた教会、穿たれた大地、そして大きな穴の中心には岩の巨体ことルゴルが倒れている。最後にルゴルにとどめを差したダイナスは褐色の槌を肩に担いで俺たちのほうに近付いてくる。俺と明はようやく倒すことができたことに安堵し、ふうと大きなため息をつくと、恵美がずいと目の前に現れた。
「ねえ、吉夫くん。左腕は痛くないの?」
彼女に指摘され、力なくぶらんとぶら下がっている左腕のことを思い出すと激痛が走り、苦痛の声を漏らしてしまう。戦闘しているときは、ルゴルを倒すことのみ集中していたせいで痛みを感じることがなかった。こうやって気を抜いたときに激痛を味わうことになった俺はダイナスに治療用の魔導具がないかと訊いてみる。
「治療用の魔導具はさすがにオラは持ってないなぁ。帝国にしか出回っていないぐらいだしなぁ」
残念そうに俺の左腕を見ながら、治療用の魔導具がどこにあるのか教えてくれたダイナス。前にちびっ子ことヴィヴィアルトが俺の怪我を治してくれたことを思い出し、彼女は帝国の出身であるのか、とぼんやりと考えていたときにダイナスがそうだ、と声を出す。
「別に魔導具じゃなくても、水の魔法で治すことだってできるから……」
水の魔法を唯一使える恵美のほうに目を向けるダイナスに、俺はまだ初心者だからできないと返す。ユグドラシルの氷姫ことサティエリナであれば、これぐらい治せることを思い出していると、むっと頬を膨らませる恵美。
「サティエリナさんのことでも考えているでしょう?」
「まあな。あいつなら、これぐらい治せるが……恵美なら、時間をかけて学べばきっとそれくらいできるようになるさ」
「むー……納得できない」
不満そうにしている恵美であったが、誰かに気付いて手を大きく振るう。誰に手を振っているのかわからない俺は、後ろを振り返ろうとしたら腹部に衝撃を受け、倒れそうになるのをぐっとこらえる。痛ぇ! ぎゅっと誰かに抱き締められ、さらに痛みが高まってしまい、恵美が慌ててヴィヴィちゃん! と叱るのを耳にした。
ヴィヴィちゃん? ということは、いま俺に抱きついているのは……ヴィヴィアルトか。俺を抱き締めているヴィヴィアルトが離れると、彼女は青色の瞳に涙をためていた。
「ヨシオさん、腕がひどいことになっているじゃないですか!」
「ルゴルのせいで折れた。さらにおまえがぎゅと抱き締めたせいでさらに痛くなったからな」
「ごめんさない。でも、ヨシオさんたちがいる方向から邪気を感じて、心配しました」
よく見れば、ヴィヴィアルトが着ている白い服は泥と土まみれで汚れている。あれから彼女はアマリリスとフローラと一緒に洞窟に残って、魔物をすべて倒してくれたとわかり、俺のことを心配して必死にここまで来てくれたヴィヴィアルトに感謝する。
「ありがとな。でも、これくらい我慢すれば平気だ」
「どこが平気ですか! いま、腕を治してあげますからじっとしていてくださいね。――開け、ゲート」
ヴィヴィアルトが手を目の前の空間にかざすと、そこから三十センチほどの黒い穴ができる。開かれた穴に手を入れ、そこから取り出したのは天使の羽が生えた白い球体。治療用の魔導具であるとわかっている俺は、彼女に任せる。
ヴィヴィアルトは魔導具を握り、空いている手で俺の左腕にそっと添える。
「<この者の傷を癒せ>。……はい、治りましたよ。でも、しばらくは大人しくしてくださいね」
「おお……普通に動かせる」
白い球体から光があふれ、俺の身体を包むと折れていたはずの左腕が普通に動く。治療用の魔導具の効果に驚きながらも、俺は胸にある傷痕まで治っていることに気付く。どうやら、効果は傷付いた箇所だけみたいだ。
「ヨシオさん。もう一度だけ言いますが、戦闘を控えてくださいね。最低でも二日ぐらい身体を休まないといけませんからね」
「わかった。ありがとな、ヴィヴィアルト」
感謝の気持ちとして彼女の頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。なんだか、可愛いな。俺たちの隣にいる恵美のほうを見てみると、彼女は不満そうに頬を膨らませていた。
「どうした、恵美?」
「ヴィヴィちゃんばっかりずるい」
「なんだよ、いつも添い寝しているからいいじゃないか。……まあ、今日はがんばったから甘えてもいいぞ」
「……うん、甘えさせてもらうからね」
うっすらと頬を赤くした恵美は嬉しそうに微笑み、俺は恥ずかしくなってそっぽを向く。ちょうど俺が見た先にいたのは明とフローラ。
フローラは俺たちまで聞こえるような大きな声でたわけ! この命知らず! と明に罵倒を浴びさせていた。 対して明は自分がしたことに心当たりがあるのか、なにも言い返さない。……もしや、フローラにフラグが立ったのか? どうやって立てたのだろうか……と思考しようとしたときに、ひゃあと驚いたように声を出すヴィヴィアルトにどうした、と訊く。
「と、とと虎です……」
動揺するヴィヴィアルトについ苦笑してしまう俺と恵美。ヴィヴィアルトが虎、と口にしたときにこの世界にもそういう動物がいるのか、と納得しているとノルーヴィが俺になんとかしてよ、と頼む。
ヴィヴィアルトをなだめていると、ノルーヴィと出会っているはずなのに……どうして彼女はこんな反応をするだろうか。 外見は虎で、頭にはトナカイのように枝分かれした角があるせいか? それとも、ノルーヴィの容姿に気付いてなかったのかもしれないな。
「どうした、ノルーヴィ」
「君たちが来たおかげでボクとダイナスは助かったよ。ありがとう」
「俺はほとんどなにもしてないさ」
「その割には暴走した魔族を飛ばしたり、腕を切り落としたよね」
「ほとんど明のおかげだろう。……あれ、ヴィヴィアルト。アマリリスはどこだ?」
ぐるっと教会を見渡してみると彼女の赤い髪が見当たらない。ヴィヴィアルトもきょろきょろと首を動かし、アマリリスの姿を探し求めていると彼女はとある方向に指を差す。
俺と恵美がその先を見つめると、アマリリスはルゴルが倒れている場所にいた。どうしてあそこに行くのだろうか、と思い、彼女が<欠片>を集めようとしていることを思い出して我に返る。
「ノルーヴィ。<欠片>の適性者じゃないと、ルゴルのように暴走するのか?」
「場合によって暴走する可能性もあるから……」
「まずいな」
俺たちの会話を聞いていたヴィヴィアルトはアマリリスのほうに走り出すが、その前に異変が起きる。アマリリスが近付こうとしたルゴルの死体が風船のようにぼこりと膨れ上がり、彼女は危機を感じたように後ろに下がった。
彼女を制止しようとしたヴィヴィアルトも足を止め、ぼこりと風船のように膨らんだそれはとある形に変化していく。全身に分厚い皮膚を多い、三つの口には獲物をかみ殺すための鋭くとがった歯が並び、尾はひらひらと揺れる。閉ざされた六つの目が同時に開き、憎悪に染まった鮮血のように赤い眼が俺たちを睨む。
三つ首の竜。それとも岩の肌をしている。
「なんだよ、これは……」
場は静寂に満ちていたせいか、誰かがぼそりと呟いたことが全員の耳に届く。
見上げるほどの巨体。三つ首の岩の竜は咆哮を上げ、すうと大きく息を吸う動作に入る。息吹、という言葉が頭の中に浮かび、俺たちが動く前に岩の竜は無数とも呼べる岩の飛礫を飛ばしていく。
その内の一つが俺たちのほうに飛んでくる。とっさに俺は恵美を突き飛ばし、彼女に降り注ぐはずであった岩の飛礫はこちらに向かってくる。恵美は俺を助けるために手を伸ばそうとするが、あえて拒絶する。
俺は彼女を守る、と約束した以上恵美を助けないといけない。代償が俺の命であったとしても、だ。
「――よっしーのアホ」
異世界アースに来てから、一度も聞いたことのない彼女の声がした。聞き慣れている声の持ち主がここにいる、とわかっていても俺には眼前に迫ってくる岩の飛礫をどうすることもできない。
そんなときに、黒い影が俺の目の前に現れる。
そして、眼前に迫っていたはずの岩の飛礫がその人によって弾かれ、彼女はこちらを振り向いた。
「無茶し過ぎやで、よっしー」
俺の命を救ったのは黒いローブを着て、黒髪を後ろに束ね、人懐っこい笑みを浮かべる九条鈴音であった。




