教会にて
古びた教会の前に立っていたのは青みがかった黒髪、水色の瞳をした男性。ぽっちゃりとした体型でたれ目のダイナスであった。彼は俺たちを見かけると声をかけてきたので、ダイナスに近づくとヴィヴィアルトが背中に隠れる。彼女がどうして彼に対してこのような行動を取るのか知らないが、とりあえずダイナスにさっき起きたことについて訊いてみる。
「さっきのあれ、ここからでも見えたよな」
「もちろんさぁ、ヨーさん。あっきーさんとそこの彼女、それとヨーさんの三人であのゴーレムを倒したのを、オラは最後まで見ていたぞぉ」
「……で、あれは普通と思うか?」
「オラは異常だと思うなぁ。いままで、ここで過ごしてきたけれど一度も洞窟から魔物が現れるなんて聞いたことない」
やっぱりか。これまで一度も攻められたことのない地下都市スビソルが、急に襲われることなんておかしい。まるで、俺たちがここに来るのを待っていたかのように、あのゴーレムは現れた。勇者である明がいるせいか、もしくは<欠片>保持者である俺を狙ったのかわからない。
思考しているとダイナスが明がなにをしたのか、教えてくれた。だいたい予想しているが……。
「ヨーさん。あっきーさんは襲われいる人たちを助けるために自ら囮になったぞぉ」
「あのバカ……本当に自分を省みない奴だな」
勇者としてふさわしい行動をしている明。つい苦笑してしまった俺に、ダイナスが付け加える。
「でも、それがあっきーさんのいいところなんだなぁ。オラを助けてくれたときも、そういう感じだったからなぁ」
「そうか。ところでダイナス」
「んー?」
「この教会から懐かしい雰囲気、というのを感じるのはどうしてだ? 俺はここに始めてきたはずなのに」
古びた教会を見上げると、どうしてもここが懐かしい、という雰囲気を感じてしまう。ここは一度も来たことがない。なのに、懐かしいと思えるのは……もしかしたら、前世でヨシュアがヘンリエッタと結婚しようとした場が教会だったから。そして、闇に飲み込まれたリーンにヘンリエッタが殺されて……。
「中に入ればわかるぞぉ」
ダイナスの言葉で我に返った俺は教会から感じる懐かしい雰囲気の正体を知るために、とりあえず中に入ることにした。先頭を歩くダイナスの後に続いてヴィヴィアルトと共に教会に入ると、急に頭痛が起きた。
頭痛と同時に脳裏にとある場面が浮かび上がる。
闇に込みこまれたリーンは漆黒の槍を振るい、ヨシュアは純白の剣を握って彼女の一撃を防ぐ。さらに赤い髪をした男性が紅蓮の炎を纏った剣でリーンに斬りかかる。
リーンは踊るようにかわし、ヨシュアとガウスの相手を同時にする。舞い上がる紅蓮の炎。黒のウエディングドレスを翻し、漆黒の槍を振るうリーンの表情は悲しげで、しかし彼らの相手をするときは獰猛な笑みを浮かべる。
教会で彼らは何度も剣を交え、舞い続けていく。
そして――
「……ん。ヨシオさん!」
ヴィヴィアルトの声を聞いてはっとした俺は、さっきの光景を忘れるように頭を横に振る。心配するように見上げるヴィヴィアルを安心させるため、彼女の頭を撫でて歩き出す。あの光景が脳裏に浮かんだせいで足が止まっていたから、彼女を心配させてしまった。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
「平気だ。ちょっとだけ嫌なことを思い出しただけだ」
教会の中は両側に来客の席が設けられ、まっすぐ歩いていると祭壇が見える。見上げると大きなステンドガラスがあった。ステンドガラスの中心には羽を大きく広げた鳥、人々たちが手を空に向かって手を伸ばしている絵が描かれている。周囲には桃色の花が咲き乱れ、花びらが舞っている光景。
「きれいですね」
「ああ。この絵は……意味とかあるだろうか?」
「知りません。わたしはスビソルに来たばかりですから、ここまで見てませんよ」
お互いに思ったことを口にしていると、ハスキーな声が後ろから聞こえた。
「それはボクたちが世界を救い、ドワーフと 人間が感謝の気持ちを示すために作られた絵だよ」
振り返ってみるとそこには虎がいた。鋭い目は茶色く、頭にはトナカイのような枝分かれした角が生えている虎。全身は土色一色で、縞模様などない。
怖いと感じたのか、隣にいるヴィヴィアルトは俺の後ろに隠れた。
魔物だと判断し、腰に差している剣を抜くために、鞘に手を添えると虎がま、待ってよ! と叫んだ。
「なんだ」
「ボクは土の精霊王ノルーヴィ。この地下都市スビソルに住むよ。……君は? 白狼の雰囲気とそっくりな人間を始めて見たよ」
土の精霊王ことノルーヴィが名乗り、こいつのことをよく見ると懐かしい雰囲気を感じることができた。しかし……どうして、こいつからなんだ?
「ヨシオさんは白狼の加護を授かった人ですよ」
悩んでいるとヴィヴィアルトがあっさりと俺が隠していることを口にして、納得したようにノルーヴィは頷いた。
「……そうか。君は、白狼が閉じ込めていた<欠片>をその身に保持しているようだね。しかも、加護を授かっているから……ボクが勘違いしてしまうのか」
「どういうことだ?」
「いまの君は白狼という存在に近い。だから、君は精霊王であるボクがいる教会に近付いたときに懐かしいという雰囲気を感じたはずだよ。
……<欠片>が彼であることを知っているかい?」
ノルーヴィの隣に音もなく姿を現したのは、あのダイナスであった。彼はいつもと変わらないのんびりとした口調で、俺たちに名乗る。
「オラは<欠片>の一人である<爆砕のダイナス>。いまは邪神に操られてないから、オラは無害で、ヨーさんたちを傷つけるつもりはない。逆にヨーさんの味方さぁ」
「商人をしていることは嘘なのか?」
「本当のことだよ、ヨーさん。……ただ、オラは生みの親である邪神に操られ、ノルーヴィと戦った。そのときにオラは関係ない人たちをたくさん殺してしまったから、償いとして商人をしている。人を助けるために、オラは生きている」
「おまえがトローヴァのように好戦的ではないことに安心したよ」
「オラは基本的にのんびりとした生活が好きなんだぁ。それに、トローヴァは邪神に心酔していたから仕方ないのさ」
張り詰める空気。
俺とダイナスはお互いの腹の内を探り合うように見詰め合っていたが、ノルーヴィがひいっと悲鳴を漏らした。なんだ、と疑問を抱きながらそこに目を向けると見た目が恐ろしい虎が俺とヴィヴィアルトに背を向け、ぶるぶると震えていた。……虎のくせに震えるってどういうことなんだよ。虎は勇敢な生き物のはずだ。こうやって情けなく震えるような存在じゃない。
「あー、ヨーさん。無意識に魔力が放出しているから、落ち着いて欲しいなぁ」
ダイナスに言われ、俺は自分の身体から雷がばちばちとあふれていることにいまさら気付き、ヴィヴィアルトのことが心配となった。彼女は俺の背に隠れていたが……。
「よ、ヨシオさん、身体が動けません」
どうやら無意識に 麻痺を彼女にかけてしまったようだ。それもそのはず。彼女は俺の服の裾を掴んでいたせいで、流れた雷がそのまま 麻痺に変化してしまったみたい。俺は彼女の 麻痺を無効化させるために親指を噛み、あふれ出る血を飲ませるためにヴィヴィアルトのあごを上に向ける。
「ヨ、ヨシオさん!?」
「麻痺を手っ取り早く無効化させるためには俺の血を飲んだほうがいいぞ。ということで飲もうか」
「む、無理矢理は反対です! わたしの口にそれを――んぐっ」
「大人しく俺の指でもくわえていろ。俺の 麻痺は放置していたら半日はそのままだからな」
言うことを聞かないヴィヴィアルトの口に親指から滴る血を突っ込み、そのまま飲ませる。涙目で飲むヴィヴィアルトは扇情的で、うっすらと頬が赤くなっているのは辱めを俺から受けているせいだろう。
「わお……ヨーさん、大胆だなぁ」
「ボクはなにも見ていない、ボクはなにも見ていない」
目をそらすノルーヴィと何気なくのぞいているダイナス。
俺は後でどうやって精霊王であるおまえと<爆砕のダイナス>が仲良くなったのか訊くからな、と告げておき、ヴィヴィアルトの口から親指を抜く。ぬらっとした親指からはいまだに血が流れ、ぺろっと舐めとる。
ひゃああっと奇声を上げるヴィヴィアルト。それでも彼女は顔を真っ赤にしながら、どこからか取り出した包帯で俺の指に巻く。白はあっという間に赤く染まり、けれどおかげで血は止まっていくのを感じてヴィヴィアルトに感謝しておく。
一応 麻痺が解けたことを確認してみると、彼女は大丈夫です! と顔をこっちに向けることなく答えた。どうしたんだろうな、ヴィヴィアルト。
こちらを落ち着かせるためか、いつの間に紅茶を作ったダイナスが俺とヴィヴィアルトに渡す。ティーカップに注がれている紅茶から芳ばしい香りが漂う。
熱いのか、ふーふーと息を吹きかけるヴィヴィアルトに苦笑していると、彼女はヨシオさんのバカ、とそっぽを向いた。可愛らしい仕草につい口元に笑みを浮かばせてしまい、適当に空いている席に座る。
そっぽを向いてるはずのヴィヴィアルトは俺の隣に座り、ダイナスとノルーヴィは立ったまま話し出す。
「あのステンドガラスについて教えるぞぉ」
「ボクが先にドワーフと 人間が感謝の気持ちを示すために作られた絵って説明したよ」
もう一度だけ祭壇の頭上にあるステンドガラスを見上げる。
描かれているのは羽を大きく広げた鳥を中心とし、人々が空に向かって手を伸ばしていた。周りには桃色の花が咲き乱れ、花びらが舞っている。
「これは……世界に邪神が現れ、人間と他の種族たちはこの世界に絶望していた。でも、異世界から召喚された勇者が邪神を倒し、世界を救ったってことさぁ」
それが感謝の気持ちとして作られたと簡素に伝えたダイナスに、俺は何かが抜けている、と疑問を抱いていると、ヴィヴィアルトがあれ? と首を傾げた。
「魔王はどうなったんですか? 魔王を倒すために異世界から勇者を召喚したはずですよね」
「鋭いところを突いてくるね。ダイナス、この人たちに本当のことを教えていいかな?」
ダイナスに同意を求めるノルーヴィ。その二人が何か話しているが俺には聞こえない。
俺はヴィヴィアルトが”本当の”御伽噺を知っていることに驚きを隠せなかった。確認のため、聞きなおしてみると彼女は肯定し、青い瞳に憂いを浮かべて語る。
「私は皇族ですから、これぐらい知ってます。兄様は死を承知の上で……行動したのです」
なぜハーゼルが邪神を解き放ったのか、俺にはわからないが……倒すべき相手であることは間違いない。
ダイナスたちが話し合っている間に”本当の”御伽噺を思い出す。
異世界から召喚された勇者。彼は魔王を倒すために剣を振るい、襲い掛かる敵を切り伏せる。
魔族として生きていた青年は、暴君である魔王を倒すために一時的に勇者と手を組んだ。その魔族は魔王を止め、新たな王となるために彼と共に暴君を打ち倒した。
そこまで普通に世界は救われる、ってオチなんだけれど実は邪神という存在が隠れていた。それこそラスボスって感じだ。
勇者と新たな魔族の王となった魔王。
彼らが共に邪神を倒し、世界はようやくハッピーエンドを迎えたってこと。
これは明でさえ知らない物語。サティエリナが俺にこっそりと教えてくれたのは、黒騎士との戦いがきっかけだろう。あのとき、ノルトが俺を救いに来たのは恵美を部屋に連れて行った後ではなく、黒騎士から情報を引き出せないと踏まえた上での行動。
ユグドラシルでの騒動が落ち着くと、サティエリナにこのことを教えられた。魔王になるかもしれない、ということで王族にしか伝わっていないことを聞かされたときは心臓に悪かったな。
……もしかしたら、サティエリナは黒騎士が、ザックが魔王であることを見抜いていた可能性が高いな。
「えっ。本当に教えなくていいの?」
「いいだなぁ。ヨーさんたちはある程度のことを理解しているからなー」
思考に没頭している間にダイナスたちの会話が終わり、俺は元〈欠片〉である人物に目を向ける。こちらの視線に気付いたダイナスは苦笑し、聞きたいことを口にした。
「どうして〈欠片〉であるオラが精霊のノルーヴィと一緒にいるのか、ってことだな」
「ああ」
「簡単さぁ。洗脳されたオラを止めてくれたノルーヴィのためにいろいろ尽くしているだけさぁ」
「洗脳? 〈欠片〉であるおまえが洗脳されるなんて……」
「生みの親である邪神しかできないことさぁ。元々オラは戦うことなんて望んでいなかったから」
のんびり屋のダイナスに戦闘なんて向いていないな、と心の中で呟き、俺は〈欠片〉の一人であった彼にこのことを訊いてみることにした。
「そもそも、〈欠片〉ってなんだ?」
「オラたち邪神から生み出された存在はそれぞれ属性を宿す。つまり、ヨーさんが持っている〈雷の欠片〉以外にあと六つ残っていて、その内の一つはオラが所持する〈土の欠片〉さぁ。んで、邪神は属性なんてないのさー」
「属性がない……? いや、それよりも〈土の欠片〉ってもらえないだろうか?」
「ごめん、ヨーさん。〈欠片〉の一人であるオラは適正者に渡さないと、真価を発揮しないからできない」
「わかった」
〈欠片〉を手に入れることができないのは残念なことだが、あきらめるしかない。ヴィヴィアルトも〈欠片〉を手に入れることができないのか、不満そうにしている。
そうだよなぁ。簡単に〈欠片〉をもらえるわけじゃないよな。俺の場合はトローヴァを倒し、ようやくあいつから〈雷の欠片〉保持者として認めてもらったし……。
「ん……なんか、今日は異変でも起きるかもしれないね」
黙り続けていたノルーヴィが教会のドアを、いや、その向こう側を睨みつける。”異変”ということについて俺はわからないが、地下都市スビソルの精霊王であるノルーヴィがそういうのであれば、確実に起きるだろう。
今日のような騒動、ゴーレムが地下都市に姿を現すことと同じことかもしれないと考えていると、ノルーヴィが夜に起きる、と小さく呟いた。
一応、ダイナスに魔導具は売っていないかと訊いてみるが、彼はこっちが用意するからなーと答えた。ダイナスは信頼できるから……ここは任せるか。
「それじゃ、俺たちは帰るからな」
「んだ。ヨーさん、とりあえず、あっきーさんにも伝えて欲しいなぁ」
「わかった」
ノルーヴィが言っている”異変”について俺は、おそらく昼と同じように魔物が地下都市を攻めてくるだろう。
〈欠片〉と世界のことについて語ってくれたダイナスとノルーヴィに感謝し、俺たちは泊まっている宿屋”止まり樹”に戻る。