地下都市へ
地下都市スビソルにようやくたどり着いた俺たちは、ダイナスがいつも使っている宿屋”止まり樹”で夜を過ごすことにした。先ほど夕食を食べ終えた俺はあてがわれた部屋に行き、ベットで仰向けとなる。明たちも、俺と同じようにそれぞれの部屋でのんびりとしているだろう。
この部屋はベット、クローゼット、机というシンプルな物が置かれている。この”止まり樹”は冒険者も使っているということで、毎月一定の金額さえ払えば住むことができる。俺の頭の中で宿屋イコールアパートという式が自然と浮かび上がってしまい、つい納得してしまった。
余談だが……ダイナスと出会わなければ後六日ほど歩き続けていた。彼が馬車で俺たちを連れて行ってくれたことで、たった二日でスビソルまで着くことができた。今回ばかりは明の人助けに感謝しなければならない。いつもは厄介ごとしか招かないのに、今日だけは良くやってくれたよ。
「疲れた……」
ついそう呟いてしまうのは、ここまで”地下都市スビソルの迷宮”でさんざん迷ったせいだ。迷路というのは言葉通りであり、スビソルに着くまで楽しみ……らしい。どうしてさんざん迷ったかと言えば、明が通った道に必ず目印をつけるのにちょっと歩けばその場所に戻っていたのだ。迷うだけならよかったものの、 石の巨人や 土人形という魔物が邪魔をしてきた。
さすがに何度も同じ道に戻ったり、魔物に邪魔されたせいで全員のストレスが爆発しそうになったとき、前触れもなく俺たちは街に出ていた。まるで、転移されたように。
”止まり樹”の女将さんが夕食時に、昔ここに住んでいた賢者がまっすぐスビソルに行くのはつまらないだろう、という理由で迷宮化させる魔法をかけた、と教えてくれた。しかもスビソルに入る洞窟全体に、だ。
どうしてこうしたのか、と女将さんは説明してくれた。迷宮化の魔法は楽しむためでもあるが、悪意を持つ者には容赦なく牙をむく。魔物は凶暴化し、永遠に迷路をさまよい歩くことになる。
これを聞いてぞっとした。つまり、俺たちがスビソルを攻めようなどと考えていれば一生たどり着けなかった。それと前触れもなく転移されたのは、悪意がないと判断されたせい。誰が判断しているのか、俺は知らん。女将さんいわく賢者の亡霊が迷宮にさまよっている……らしい。
その賢者……まさか、精霊王とかじゃないよな、と俺は思ったがあえて口にはしなかったが。
「吉夫くん。起きている?」
ノックもなしに入ってきた人物に俺は反射的に身を起こし、ベットに立てかけている白銀の剣の柄をつかんだ。それを見た人物は――恵美は大きな声を出した。
「わ、私だよ吉夫くん! だから、落ち着いてよね?」
「驚かすなよ」
「ごめんね」
剣をベットに傍に置き、部屋のドアを閉めた恵美は俺の隣に座る。添い寝するじゃないのか、と疑問を抱いていると恵美の顔が一気に近付き、頬にちゅという音と温かいなにかが触れた。
「この前、キスできなかったからね」
はにかむ恵美の顔を真っ赤だ。彼女のせいで、俺の心臓はいつもより速く脈打ち、頬にキスされたところは熱を帯びたように熱い。
この前……というとハーゼルが襲撃する直前か。最高、いや最悪のタイミングで現れたハーゼルのおかげで恵美はキスができなかったからって……いまする必要があるのか?
「おまえなぁ……」
「だ、だって吉夫くんはいつも私は寝た後に額にキスするのに。私がしてはいけない、なんてないよね?」
「理屈はわかった。でも、もう二度と不意打ちをしないでくれ」
「どうして?」
「……恥ずかしくて死にそうだ」
恵美はくすっと微笑んで、添い寝してもいい? と訊いてきたので俺は仕方ないな、と思いながら承諾した。うっすらと頬を赤くしながら、彼女は俺の左腕を引き寄せて頭を預ける。
「まったく……無防備過ぎる」
目を閉じた恵美の半開きの口から寝息が聞こえ、うっすらと赤い頬を指で押してみるとぷにっとした弾力が返ってくる。枕代わりされている左腕には、彼女の体温と柔らかな二つの双丘を感じる。
普通の男であれば恵美をこのまま襲っていたかもしれない。俺は彼女と何度も添い寝をしてきたせいで耐性がついてしまい、これぐらい平気で過ごせる。
彼女の顔のかかる前髪を払い、いつものように俺は額にキスをする。
「おやすみ、恵美」
目覚めると、恵美がうれしそうに俺の顔を見ていたので朝から彼女の頬をつねた。それでも、幸せそうに微笑む彼女におまけとしてデコピンをあげる。ふと外を見てみるとうっすらと明るくなっているので、朝だろう、と判断した。
涙目となりながらも彼女は自分の部屋に戻り、俺は先に下に行くと告げた。”止まり樹”の下は食堂となっており、昨日の夜に食べた夕食はおいしかったなと思い返す。
地下都市スビソルでしか採れない黄色いイモ――マンジョルカ。米のように歯ごたえがよく、うまい。
ここの主食じゃマンジョルカ、もしくはパンとダイナスが教え、それから人々が飽きないようにさまざまな味を作り出していると熱く語ってくれた。
四人が座れるテーブルに座って、そんなことをぼんやりと考えていると恵美、ダイナス、明の順番でやってきた。ダイナスとは一時的な関係なのに、彼は何故か協力してくれると強い意思を宿した水色の瞳で俺たちの目を見てきた。せっかくなので、協力してもらうことにして、やってきた朝食を食べながらそれぞれの行動を決めた。
俺と恵美は壊れた槍を直すために武器職人を。
明は<欠片>に関する資料を探すために図書館に。
ダイナスは魔鉱石を依頼したドワーフの元に届ける。
馬車に乗っていたあの女性は恵美と相部屋で、彼女はまだ眠っているというので放置しておく。
「<欠片>……か」
俺が<欠片>をトローヴァからもらった次の日、明たちに邪神のことや残り六つを集めないといけないことを包み隠さず話した。明は<欠片>に関する資料を探すというが……ユグドラシルで見つからなかったことをそう簡単に見つけることができるだろうか?
魔王という存在がすでに脅威であるのに、邪神というのは……さらに面倒だ。明は、どちらも倒すというが……無理だろう。
それと、まだ明たちに黒騎士から魔王にならないか、という誘われたことについて話していない。俺自身でさえ、どうしようか悩んでいることを誰かに言えないから……隠している。
いろいろ考えていると、吉夫くんという聞き慣れた声を聞いて我に返る。心配そうに俺を見つめる恵美がいて、明とダイナスはもうテーブルに座っていない。考え事をしている間に、あの二人はさっそく行動を開始したようだ。
恵美の姿を確認してみる。
軽装姿で腰に刀を差し、頭には花のかんざし、ぴょんとはねている髪を見かけた俺はあれを買おうと密かに決めた。
腰に白銀の剣があることを確認し、”止まり樹”の外に出る。
そこは一言で広いと表現できる場所、いや、都市であった。
すなおにそう思うほどここは広く、洞窟の中にある街とは思えないほど大きな空間。レンガで作られた家が並び、”止まり樹”から大きな鐘がぶら下がる建物が見える。さらにその奥には、古びた教会が建っていることに気付いた。
それを目にしたとき、静電気に触れたようにぴりっとした感触が全身を襲う。
なんだこれ……?
「行こう、吉夫くん」
恵美に手を引かれたおかげで俺は教会から目をそらし、彼女と一緒に歩き出す。
俺と恵美は離れないように、とどちらかが決めたせいか手を繋ぎながら街を歩いていた。お互いの顔は赤く、それでも俺たちは手を離すことはなかった。
街には見慣れた種族――人間と小柄なドワーフによってあふれている。男性ドワーフは小柄でたくましい体つき、女性ドワーフは男性ほどではないが見麗しい。
こうして歩いているだけでどこからか、かんっかんっと鉄を打ちつける音が聞こえてくる。ここに住む人間たちはドワーフたちと会話しながら仕事をしているようだ。たまに、人間とドワーフのカップルを見かけ、種族など関係なしに恋人になれる彼らが珍しい。
俺たちは武器職人を探し求め、さまざまな鍛冶屋に顔を出した。なのに……彼らドワーフは壊れた物を直さない。ドワーフたちは一からすべてを情熱を注ぐからできない、と拒否された。
遠まわしに壊れた槍を直したくない、と言っていることと同じ。どうして直したくないのか、俺にはわからない。
「はあ……」
「ため息をつくと幸せが逃げるよ、吉夫くん」
「仕方ないだろう。ドワーフたちは誰も相手にしてくれないし、槍は壊れたまま。それまで、俺はこの剣を使わないといけないからな」
歩き続けた俺たちは、”止まり樹”から見えた鐘がぶら下がる建物の近くにある公園にいた。噴水の近くに座り、子供たちが楽しそうに遊んでいる。そこには子供たちとドワーフたちが一緒になって、鬼ごっこらしいことをしていた。
緑色の草木と色とりどりの花を眺めながら、つい愚痴をもらしてしまう。
「どうしてそこまで槍にこだわるの? 吉夫くんはジュリアスさんから剣術を教えてもらったのに」
「いろいろと理由があるのさ」
腰に差している剣を抜き、白銀に光る刀身を見ながら雷を流す。帯電していることを示すようにバチバチと音を鳴らし、それを恵美の前に出す。
「普通の剣なら雷を流した時点で刀身に亀裂が入る。なのに、魔導具やこの剣はそうならない。どうしてかわかるだろう?」
「吉夫くんの魔力に耐えることができるから。……ねえ、吉夫くん。槍が直るまで剣に慣れたほうがいいよね?」
「慣れるようにしているぞ。これでもちゃんと素振りをしているからな。そういう恵美こそ、水と土の魔法の練習をしているのか?」
「うっ……それは」
目をそらす恵美。ああ、これはなにもしていないのか。
「いますぐ指導から……ほら、水蛇をやれ。やらないのなら頬をつねてやる」
頬とつねるという言葉に反応したのか、恵美は刀を鞘から抜いて水蛇と呟く。刀からトローヴァを束縛した水色の大蛇かと思えば……小さな蛇であった。
「なんだ、これは」
握っている剣を鞘に収める音に、恵美はびくっと身体を震わせる。集中力が途切れたのか、水の蛇が水となって地面に落ちた。
「な、なにって……水蛇だよ?」
「ほほーう。俺が知っている水蛇とはずいぶんとイメージが違うなぁ」
「本当はこうだったんだよ! でもね、吉夫くんを助けたいという気持ちのおかげで大蛇になったの!」
そういえば、あのときの恵美はすごかったな。トローヴァを前に逃げ出さず、勇敢に立ち向かった彼女の姿はまさに戦女神のようだった。
「まあいいや。これから俺がみっちりと指導してやるから覚悟しろよ」
「や、優しくしてね」
「甘やかすつもりはないから、厳しくやるぞ。ほら、いまから水蛇と水の矢の練習だ。火炎の球ができたなら、水の矢は楽だろう」
「お、鬼だよね!」
「余計なことを言えばもっと厳しくする。いいな? もちろん、ごほうびをあげるからがんばれよ」
「うー。私がサボったからいけないからちゃんとやるよ」
しぶしぶながらも恵美は俺の指導を受け入れ、水の魔法を発動させていく。
公園にいた人たちや俺たちの前を通った者は面白そうにこちらを見ていたが、睨みつけて追い払うこともあった。
その後、少しはマシになった恵美に”止まり樹”に戻る途中で買ったあれをプレゼントしておいた。
”止まり樹”に戻った俺と恵美は、一足早く戻ってきた人物たちがいるテーブルに向かう。集まる時間帯など決めてないくせに、お昼頃にこうやって”止まり樹”に戻るのは全員同じことを考えていたせいだろう。
食堂のテーブルに座って話し合う明とダイナスに声をかけ、テーブルの上にいくつか開かれている本に気付く。
「おかえりなんだなぁ、ヨーさん。メグさん」
「どうだった、吉夫。槍を直せる人とかいた?」
「だめだった。スビソルの鍛冶屋をほとんど聞いてみたが……誰も直したくない、だってさ」
俺は明の隣に座り、恵美はダイナスのほうに。
食堂の中には俺たち以外にも他のテーブルに座る人々がいて、にぎやかに会話をしている。女将さんはカウンターにいるドワーフたちと話していたが、俺の視線に気付くと微笑みを浮かべた。
「吉夫くん……年上が好みなの?」
ジト目で見てくる恵美。
「いや、大人の女性だなと思うだけさ。そうだろ、明?」
「うん。女将さんは清楚でお淑やかな人だよ。吉夫はどちらかと言えば、鈴音やメグさんが好みなんだよ」
「ほらな。だから、俺は年上が好みじゃないってことが証明されただろ? ――って、なに人の好みを教えているんだよ!?」
「よ、吉夫の好みぐらいはっきりさせないとメグさんだって気になるじゃないか!」
「ヨーさん、あっきーさん。みんな注目しているから、落ち着いて欲しいなぁ」
のんびりとしたダイナスの声が割り込み、俺と明は周りがこっちを見ていることに気付く。ちょっとした言い争いだから気にしないでください、と明が丁寧に対応すると彼らは雑談に戻る。
恵美の様子をうかがうと、彼女は頬をほんのりと染め、上目遣いで俺を見ていた。うっ……好みであると彼女に知られたせいか、こっちまで恥ずかしくなる。
「オラたちの前でラブらないで欲しいな~」
「恋人じゃないからラブってない!」
「二人ともお似合いなのになぁ。……ヨーさん、そろそろ本題に入らないと」
「……はあ、そうだな。明、なにか情報があったか?」
ダイナスの前で<欠片>という言葉を使わず、明が調べたことを求める。すると、明はアイコンタクトで<欠片>のことはなかった、と教えてくれた。そのかわり、スビソルについていろいろわかった、と伝えられたのでそれを頼む、と返す。
やはり、ユグドラシルで見つからなかったことをスビソルでうまく手に入れることなんてできないか。明はテーブルの上に開かれた本から得たことだけど、と情報を語る。
要約するとこうだ。
地下都市スビソルはこれまで一度も攻められたことはなく、「難攻不落」という二つ名を過去に持っていた。スビソルがそうならないのは、昔ここに住んでいた賢者がかけた迷宮化の魔法。
洞窟全体にかけられたその魔法は、悪意を持つ者を永遠にさまよわせ、また凶暴化した魔物によって命を落とす。そのため、決して中に入ることができない。
そして。
「魔王とその息子が魔導具を作る技術をドワーフたちに伝えた、とこの本に書いてあるよ」
「へえ……ん? それじゃあ、昔は魔鉱石から魔導具を作れることをドワーフたちは知らなかった、ということになるのか」
「そうみたいだね。……魔王って、こうやって聞くとあまり悪い存在には思えないね」
「どちらかと言えば正義だな。だが、ユグドラシルを攻めたのは魔王の部下である黒騎士」
「それは違うなぁ、ヨーさん。黒騎士は魔王自身で、彼は自分を倒す布石を手に入れるためにユグドラシルを攻めた。危機に陥ったとき、異世界から勇者を召喚する、ということを知っていたのさ~」
やんわりと否定しながらとんでもないことを俺たちに――いや、明と恵美に教えるダイナス。明は目を大きく見開き、恵美は予想していたかのようにやっぱり、と呟いていた。この二人に重大なことを教えたダイナスはテーブルの上にある本を閉じ、語りだす。
「二ヶ月前に邪神の封印が解けた頃、魔王はユグドラシルを攻めた。魔王はあっきーさんたちが召喚されることを踏まえていたけれど……まさか、二人の候補が現れるなんて、誰も信じられなかったなぁ」
こいつはどこまで知っている? ダイナス、おまえは”二人の候補”と言っているが……まさか。こいつは……お伽噺の”本当”のことを知っているのか? サティエリナとギースしか知らない、あのお伽噺を。
「これ以上はオラの口から言えないぞぉ」
「わかった。いろいろと教えてくれてありがとな」
「それじゃあ、情報を提供してくれたオラに三人分おごって欲しいな~」
「さすが商人。ずいぶんと鮮やかな手口だな」
空間魔法から新緑の芽が描かれた銀色のコインを一枚取り出し、女将さんを呼ぶ。ダイナスは三人分、それと俺たちの分まで注文し、女将さんが去った後に恵美があれ? と首を傾げる。
「こっちのお金ってどういう風になっているの?」
なにも知らない恵美に俺と明、ダイナスはそろってため息をつく。そんな彼女に空間魔法から異なる輝きを放つコインを取り出し、テーブルの上に並べる。
ヘアルという通貨と使い、意味は平和。通貨にはそれぞれの形がある。
銅貨は種。
銀貨は新緑の芽。
白銀貨はつぼみ。
金貨は満開の花。
「それで、銀貨は銅貨五十枚分の価値なんだ。つまり、五千ヘアル分の食事を払ったことになる。もちろん、お釣りぐらいはあるからな。……ダイナスがきっちりと使いきることがなかったらの話だが」
「えーと。じゃあ、銀貨二枚で一万ヘアル。だから、白銀貨一枚分になるの?」
「そうだ。白銀貨が十枚あれば十万ヘアル。金貨はかなり価値が高いが、それは王族とか商人の間にしかあまり使われることがない。一般人には到底手に届かない金額だ」
「じゃあ、どうしてここに白銀貨と金貨があるの?」
恵美は机の上に並ぶ異なる輝きを放つコインを見ながら、問いかける。
俺と明は顔を見合わせ、同時に同じことを口にした。
「フィオナの森にいる魔物を討伐したおかげで、たっぷりと膨れ上がっただけ」
「二人だけずるい! 私にも少し分けてよ」
再び顔を見合わせる俺たちは意見を求め合う。
「どうする、明?」
「メグさんをギルドに登録させて、依頼を受けたらいいじゃないか?」
「それはいい。昼食を食べ終えたら行くか」
そこでダイナスがいい依頼があるんだなぁと告げる。
どういう依頼なのか俺たちは聞き、後でギルドに行こうと決めた。
いまは女将さんが用意してくれた昼食を食べることが優先だ。