聖炎
教会にあるステンドグラスにさまざまな色が散りばめられ、ここに来る者を祝福するように輝いていた。白いウエディングドレスを着て、同じ色の髪をした女性は、腕を組んで隣を歩く青年の様子をうかがう。
彼は紺のタキシードに黒いネクタイ。いつも穏やかな笑みをしている男性の顔は緊張のせいか、少しばかりこわばっている。
それもそのはず。
彼らがいま歩いているのは教会の中央にある通路、その両側には来客の席が設けられ、自分たちの知り合いが見守っているのだ。そこに寝癖のように跳ねた赤い髪の青年――自分の弟でもあり、隣にいる男性の親友もここにいる。
自分と彼の両親もいるが、唯一この場にいて欲しい親友がここにいないことに落胆を隠せない。
親友は彼の姉でもあり、自分の幼なじみ。幼い頃に知り合ってからずっと、長い間同じ時間を共有してきた仲。
「ヘンリー。リーンのことなら心配しなくてもいいよ」
気遣ってくれる男性にヘンリー――愛称を呼ばれたヘンリエッタは大丈夫ですと返し、小さな声で彼にあることを頼む。
「ねえ、ヨシュアさん。たまにはリーンにも構ってあげてね?」
「もちろんだよ。そうしないとリーンが嫉妬しちゃうから。……結局、リーンは来なかったのか」
「仕方ないよ。リーンにとってヨシュアさんは大切な存在なんだよ。私があなたと結婚することは、リーンからヨシュアさんを奪うって意味になるの。彼女には……見ているだけで苦しいよ」
もしも、私がリーンの立場だったら現実を受け入れることができないから、とヘンリエッタは心の中で呟いた。隣を歩くヨシュアはそれから口を開くことなく、ひたすら前に進む。
ヘンリエッタは本当にこれでよかったのかな、と疑問を抱きながら、あともう少しで着く祭壇の前で足を止めた。
「ヘンリー?」
歩みを止めたヘンリエッタにヨシュアが声をかけるが、彼女は無視をした。いや、無視せざるおえない状況となってしまった。教会の外から邪気を纏った人物が近付いている、とヘンリエッタは感知してしまったため。
彼女は闇に対して敏感なため、遠くからでもその存在を感じとることができるから。
「なんでもないよ、ヨシュアさん」
不安を隠すように微笑みを浮かべ、歩きだそうとしたそのとき。遠くにいた闇の気配が近付いてるのを感じ、後ろを振り返る。ヨシュアも彼女と同じ方向を見つめると、大きな両開きのドアが勢いよく開かれた。
自分たちの結婚式を認めないように乱入してきた人物は――リーン。絹の如く美しい黒髪、夜を映し出したような深い闇の両眼、人懐っこい笑みを浮かべいている彼女から邪気があふれている。
この場にふさわしい服装を選んだのか、黒一色に染まったウエディングドレスを着ている。彼女の手には黒一色に染まった槍が握られている。
激しい憎しみをたたえた目で睨みつけてくるリーンに、ヘンリエッタは優しく微笑む。それだけでリーンの纏う邪気はいっそう濃くなり、ヘンリエッタの目の前から消えた。
いや、消えたと錯覚されるほどの速度で接近してリーンは手にしている槍でヘンリエッタを貫いた。
不思議なほど痛みを感じなかった。ただ、これが自分が受けるべき罰であり、リーンを悲しませた罪であることを認めている。本当なら、彼女が纏っている邪気をいまこの瞬間でも焼き尽くすことができるがあえてやらない。
これで罪滅ぼしできるからだ。
「リーン」
彼女の耳元にヘンリエッタは名前を呼び、最後の願いを託す。
「私はあなたが邪気を宿しているのを見抜いている。それでも、あなたの魂だけは闇に穢れないで」
「だったら、どうしてこの場であなたの聖炎で私ごと焼き尽くさないの? 私は、もう生きる資格すらなにのに」
「あなたは私を殺した。この罪を背負いながら生きて欲しい……けれど、あの二人があなたを許さない」
「そうね。なら、私はあなたを殺した罪を背負いながら死ぬ。そして、転生してもう一度会ったら、最初からやり直そうよ」
人懐っこい笑みを浮かびたリーンから邪気が薄れていくのを感じながら、ヘンリエッタの身体から槍が抜かれる。リーンは間合いを取り、血塗られた漆黒の槍を手放した。
隣にいたヨシュアは崩れ落ちるヘンリエッタを支え、必死に声をかける。ヘンリエッタは彼に自分たちのやり取りを聞かれなかったことに安堵し、彼の首に腕を回し、残っている力を使って唇を重ねた。
「これは……なに?」
いつもリーンと呼ばれる女性に殺される夢――悪夢を実際に目にした恵美。彼女は第三者として結婚式で起きたことをすべて見ていた。リーンの負の感情に同調した闇の存在、それによってヨシュアとヘンリエッタの結婚式を台無しにしてしまう。
リーンが殺したヘンリエッタの亡骸はなぜか白い剣へと変わり、それを握り締めたヨシュア。彼に殺されることを望むように抵抗する身振りせず、リーンはぼろぼろと涙を流しながら腕を大きく広げる。
明のように寝癖みたいに跳ねた燃えるように赤い髪をした青年は、悔しそうにヨシュアとリーンを殺す場面を見守る。
ヨシュアが白い剣でリーンを貫くために、どんどん間合いを詰めていくと――彼女は獰猛な笑みを浮かべた。
ヘンリエッタを貫き、足元に転がしていた槍を拾ったリーンはヨシュアとぶつかる。ぼろぼろと涙を流していたリーンは獰猛な笑みを浮かべながら、何度もヨシュアとぶつかり合い、彼らは踊るように戦い続ける。
けれど、唐突に踊りは終わりを告げる。
紅蓮の炎を剣に宿した青年――ガウスと呼ばれる人物が乱入し、ヨシュアと共にリーンを殺すためにそれぞれの武器を振るう。
どちらも憎しみをぶつけるように剣を振るう青年たち。逆に彼らの憎しみをぶつけられているはずのリーンは穏やかな表情をしていた。おかしい、と恵美が疑問を抱いたときにすべてが終わっていた。
リーンの身体はヨシュアの純白の剣によって貫かれ、ガウスの紅蓮の剣が彼女を切り裂くと炎に呑み込まれた。
「……納得できない」
いつもは悪夢では自分がリーンに貫かれる場面しか見ていないが、最後まで見たせいで自然と言葉が紡がれた。誰にも幸せになれないバットエンド。大切な人を自らの手で殺すという選択しか選べない。
なにより、一番許せないのはヘンリエッタがリーンを闇から救う方法があったのに、なにもしなかったこと。ヘンリエッタには彼女なりの考えがあったかもしれないが、恵美から言わせてみれば”あきらめている”。場合によってはリーンを闇から助けることも、ヘンリエッタが死ぬこともなかったからだ。
「私は……絶対にあきらめない。たとえ、何があってもあきらめたくはない!」
自分の前世がヘンリエッタと自覚している恵美は、もう二度と同じことを繰り返さない。強い意志を目に宿した恵美は、誰にもいない教会に彼女の名前を口にする。
「だから、ヘンリエッタさん。私にあなたの力を貸してください。闇に呑み込まれた吉夫くんを――私の大切な人を取り戻すために」
恵美の想いに応えるようにどこからか白い炎が現れ、やがて人の形をとる。優しい微笑みを浮かべ、灰色の瞳、白い髪を背中まで伸ばした女性――ヘンリエッタとなった。
「はい。あなたの想いを受け取りましたよ」
「ありがとう、ヘンリエッタさん」
身体の奥から力がみなぎってくるのを感じた恵美は、開かれた両開きのドアに向かって歩き出す。ヘンリエッタは彼女に声をかけることなく、姿が見えなくなるまで見送る。
「あなたなら、きっと彼を助けることができるわ」
私が目を開けると、いまにも泣きそうな表情を浮かべるサティエリナさんを見上げていた。いつも無表情な彼女がこのように感情を顔に出すのが新鮮だったから、ついくすっと微笑んでしまう。
サティエリナさんは私の態度が気に入らなかったのか、ひんやりとした冷たい指で頬をつねる。
「起きて、メグさん。あなたが気絶している間に大変なことになっているから」
そのときにどうして私がサティエリナさんを見上げていたのかわかった。彼女に膝枕されていたから。上体を起こした私は、サティエリナさんの隣に立つジュリアスさんになにが起きたのか、と簡単に説明された。
それを聞いた私は訓練場でぶつかり合う二人に目を向ける。黒い雷を宿した吉夫くんは黒剣を振るい、明くんは鮮やかな赤い剣で防ぐ。
甲高い金属音が響き、吉夫くんは力任せに剣をなぎ払う。飛ばされた明くんは宙で体勢を整え、彼を中心とするように緑色の帯が二つ現れると斬りかかってきた吉夫くんと再度ぶつかり合う。
あの帯は……明くんのオリジナル魔法<風の衣>。相手の攻撃を自分からそらすだけじゃなくて、防御や拮抗状態のときでも応用できる。明くんがあれを使用しているのは……吉夫くんを傷付けないため。
私たちの後ろに生えている神聖な樹――ユグドラシルを一度だけ見上げ、覚悟を決めた私はサティエリナさんとジュリアスさんに告げる。
「いまから私が吉夫くんを闇から助け出すから……手伝ってくれないかな?」
「ふざけるなっ。あなたにいまのヨシオを止める術などない! 仮に失敗すれば、あなたは死ぬことになる!」
すぐに反応したのはジュリアスさん。だから、私は自分の意志と想いを彼女に教える。
「大丈夫、私は彼を助けることができるから。吉夫くんは私が殺されているって思い込んでいるから、まずはそこを正す。それができないのなら、私は正面からぶつかる。
あの状態だとどう考えても後者になるかもしれないけど……私はあきらめないよ。だって、私は吉夫くんのことが好きだからね」
「……っ」
正面からジュリアスさんと向き合うと、彼女はやれやれという感じにため息をついた。
「しょうがない。メグミがそこまで言うのであれば、私は手伝うしかないだろう」
腰に差している剣を鞘から抜いたジュリアスさんは、サティエリナさんと目を合わせる。こくりと頷いたサティエリナさんは右手を前に出し、静かに魔法の名を口にする。氷の棘、と。先が鋭い六つの氷塊が彼女の周囲に現れ、吉夫くんに向かって飛来していく。
続けてジュリアスさんが剣に魔力を流すと光り輝き、それを横になぎ払うと白い一閃が放たれる。サティエリナさんとジュリアスさんの魔法と技が剣戟を奏でる彼らに降り注ぐ。
明くんはこちらに背を向けていたにも関わらず、まるでこうなることをわかっていたように横に飛ぶ。ちょうど明くんに斬りかかろうとした吉夫くんの黒剣は空振りとなる。
そのときに自分に向かってくる氷の棘と一閃に気付いた彼は慌てることなくかわし、また打ち落とす。ありえない、あの状況でかわすことができる吉夫くんが異常にしか見えない。
「では……行ってくる。ヨシオのことを任せたぞ、メグミ」
ジュリアスさんは腰に差している剣を抜き、吉夫くんのほうに走り出す。吉夫くんはもう一人増えたことなど気にすることなく、黒剣を振るい、彼らの攻撃を軽快なステップでかわす。
「メグさん。あなたならヨシオを闇から救い出すことを信じているわ」
自身満々に言いきったサティエリナさんは、栗色の髪をなびかせながら三人がいる場所まで向かう。彼女は氷の棘で牽制し、ひるんだ吉夫くんに明くんとジュリアスさんが同時に攻める。
皆、吉夫くんのためにがんばっている。いまの彼は本当の吉夫くんではない、とわかっているからこそ戦える。本当の彼を取り戻すために彼らは剣を振るい、魔法を放つ。
だから、私が彼に宿っている闇を浄化するためにこの力を使う。ヘンリエッタさんから授かった力を使うために、私は深呼吸してから歌うように言葉を紡ぐ。
「聖なる炎よ、私と共に在れ」
ぼうっと白い炎が私の身体を包むように現れる。不思議と熱くない。私の全身に広がる白い炎を優しくて、心が落ち着くぐらい心地よい。これが聖なる炎……ヘンリエッタさんから授かった力。
彼女の弟であるガウスさんの炎は、対象を燃やし尽くす破壊の炎。それが明くんにあるとわかった私は、彼がガウスさんの前世であると見抜いた。
彼があの炎を振るわないのは、吉夫くんに宿る闇だけを焼き尽くすことが難しいから。吉夫くんごと燃やしてしまう可能性も高い。
私は自分の周りに炎の球が浮かんでいるとイメージする。頭の中で形を想像し、それを実現させるために名を口にした。
「<火炎の球>」
白い炎に包まれた複数の球体が現れたのを確認した私は叫ぶ。
「いますぐ吉夫くんから離れてっ」
吉夫くんの相手をしていた明くんとジュリアスさんはすぐに後ろに下がる。氷の棘をしていたサティエリナさんも手を止めていた。吉夫くんは私が火炎の球を放つのも知らず、ジュリアスさんに斬りかかろうとする。そうはさせないっ。
「行けっ」
命令された火炎の球はまっすぐ吉夫くんに降り注ぐ――はずだった。彼は黒剣で打ち落とし、踊るようにかわしていく。……あっ、私が叫んだ時点でこうなるって彼は気付いていたはず。なにをやっているんだろう、と反省していると吉夫くんの銀色の双眸がこちらに向けられた。
「恵美の亡霊か。はっ、約束を破った俺を嗤いに来ただろう」
いつもと違う吉夫くんの態度に私は泣きそうになった。それでも気丈に振る舞うことで自分の気持ちを抑える。
「彼女は亡霊じゃないっ。ちゃんと生きているじゃないか、吉夫っ」
吉夫くんの言葉を否定するように斬りかかる明くん。吉夫くんは黒剣で受け流し、バックステップで下がった彼は私を睨みつける。
「生きている……ね。俺には死んでいるようにしか見えないんだよ」
私が新たな火炎の球を生み出すよりも早く、吉夫くんは黒い雷を宿した左手をこちらに向ける。彼がなにかをすると察知したジュリアスさんは光り輝く剣を構え、横になぎ払う。さらに続けて縦に振るう。
光の十文字を前にしても吉夫くんは動くことなく、左手に収束した黒い雷を解き放つ。黒い光線と光の十文字が激しくぶつかり合い、ジュリアスさんの技が吉夫くんの魔法をどんどん前に押していき、彼女が勝つと思っていたとき。
新たな黒い光線が追加され、光の十文字が消滅。もちろん、吉夫くんの魔法も同じように消滅。
「おい、ジュリアス。亡霊を守る意味なんてどこにもないはずだ」
「なぜ貴様はそこまでメグミの存在を否定するのだ!?」
吉夫くんとジュリアスさんがそれぞれ放った一閃が交差し、どちらも消滅する。それでも彼らは止まらず、剣を交える。
「俺はもう他人の言葉を信じることができない。自分が見せる世界だけが真実だっ」
「ふざけるなっ。誰も信じられないというのであれば、私を信じろ!」
「口にするのは簡単だ! でもな、誰かを信じることは難しいんだよ。俺は、あいつに裏切られてから誰も信じることができなくなったんだ! おまえに俺の気持ちがわかるのかっ」
心の底から叫ぶ吉夫くん。胸が締め付けられそうになる痛みを感じた私は、どうして吉夫くんが人嫌いなのかわかった。「あいつ」と呼ばれる人から裏切られたせいで、誰も信じることができなくなった。だから、いくら口で「信じてくれ」と言っても確かめることなんてできない。
「そんなこと知るかっ!」
なのに、ジュリアスさんはたった一言で彼の言葉を否定する。
「私は誰かに裏切られたことなどない。だが、私から貴様を見ればただの駄々っ子だ」
吉夫くんは弾かれ、ジュリアスさんが距離を詰めていく。吉夫くんが黒剣を振るうよりも速く、先が鋭い氷塊――サティエリナさんの氷の棘が降り注ぐ。
吉夫くんは黒剣で打ち落とそうとするけれど彼の肩に、脚に氷の棘が届く。動きが鈍くなった吉夫くんにジュリアスさんが剣で彼の黒剣目がけて振り下ろす。
「貴様は信じることを恐れている。そして、自分自身の言葉に怯えている」
「そうだ。だから、俺は闇に堕ちてしまった」
「なっ……」
ジュリアスさんの剣は止まった。いや、止まらされた。彼は黒剣を弾かれないために”歯”でジュリアスさんの剣を受け止めていたから。彼の口の端から血がつーと流れる。吉夫くんはジュリアスさんの剣を”噛み砕き”、彼女の胴体に蹴りをくらわせた。
剣を失い、地面をごろごろと転がったジュリアスさん。吉夫くんは彼女のことを見向きもせず、私を見据える。彼は私のほうに雷を収束し終えた左手をこちらに向け、バチバチと音を鳴らしながら解き放たれた。
私は白い炎を一つの火炎の球に凝縮させ、黒い光線に向けて行けと命じる。白い炎と黒い雷は引かれ合うようにまっすぐに進み、このまま吉夫くんの攻撃を相殺できる、と考えていた矢先。
「分散」
白い炎がぶつかる直前に黒い雷が爆ぜ、分裂していく。槍のように細長い黒い光線が私に届く前に、火炎の球で打ち落とそうとするよりも早く、動く人影があった。明くんとサティエリナさんだ。
二人は吉夫くんと私の間に立ち、矢の如く鋭く飛んでくる光線を打ち落とすためにそれぞれの魔法を、技を放っていた。明くんが赤い一閃を放つたびに十本ぐらいの光線がかき消され、サティエリナさんは氷の棘で相殺、または氷でできた壁――氷の壁で防ぐ。
私も自分の身を守るために火炎の球を黒い光線に当てていたら、右肩に衝撃が走る。まさか、と思いながら確認してみると、私の左肩に矢が刺さっていた。
それなのに……痛くない。当たった、という衝撃しか私に伝わらなかったことで、とある結論に至る。
ただし、実現させることができる可能性は限りなく低いので、私は命を懸けることとなる。それでも、吉夫くんを戻すことができるなら私は自分の命を代償として使うしかない。
「じっとしていろよ、おまえら」
思考していた私が顔を上げると、明くんとサティエリナさんは悔しそうに吉夫くんを見ていた。あの二人がただでやられるわけがない。
「いいことを教えてやるよ。俺の麻痺にかかると長い時間身体が動かない状態となる。……そこで大人しく亡霊が死ぬのを見ていろ」
麻痺。
相手の身体の自由を奪う魔法。吉夫くんは私を殺すために二人に麻痺をかけた。動けない明くんたちのことなど気にすることなく、吉夫くんは私のほうにゆっくりと歩き出す。だって、もう彼の邪魔をする人はいないから。
残るは私だけ。吉夫くんに黙って殺されるほど、私は弱くない。
火炎の球を生み出し、白い尾を引きながら吉夫くんに放つ。彼はよける必要もないのか、黒剣と次々と切り裂いていき、私との距離を詰めていく。
だんだん近付いてくる吉夫くんに恐怖を抱く。怖い。彼はあの黒剣で私の命を奪い、自分の目的を達成する。でも、もしも闇に堕ちた吉夫くんが我に返ったら、さらなる絶望を味わうことになる。
なぜなら、彼は誰も信用しようとせず、その言葉すら嘘であると思ってしまうから。
自分の目で見て、手で触って、体温で温もりを感じる。「亡霊の恵美」が「本物の恵美」であると知れば、彼は死ぬほど後悔する。
「なあ、亡霊。もう死んでいるから、死ぬことは怖くないだろう?」
私の目の前に立った吉夫くんは律儀にも声をかけてくれた。
「そんなことわからないよ。私はまだ生きているから」
「ふざけるな。さっさと死ねよ」
私は覚悟を決めて、全身にあふれる白い炎に防御して、と命じる。目を閉じないで、吉夫くんが黒剣を振り下ろすまでしっかりと見つめる。
吉夫くんの黒剣が私に触れると、全身に強い衝撃が走った。肩に矢が刺さったときよりも強く、眉をしかめながらも私は彼から目をそらさない。吉夫くんが握っていた黒剣は私の白い炎によって弾かれ、彼の後ろに転がっていた。彼はなにが起きたのかわからない、という顔をしている。
いましかない。
呆然としている吉夫くんを逃がさないように強く抱き締めると、彼は苦痛の声を漏らす。それでも私は離さず、吉夫くんを包むように白い炎を展開。
手負いの獣のように叫び、腕の中で苦しむ吉夫くん。私がしているのは、彼の内側にある闇を焼き尽くすこと。ヘンリエッタさんの聖炎は闇のみ焼き尽くす。
だから、吉夫くんに宿る闇が聖炎によってどんどん浄化されていき、元の彼に戻っていく。
「……バカだな、恵美は」
どれくらいの時間が経ったのかわからないけれど、私の耳元で吉夫くんが呟いた。
「なにバカなことをしているんだよ。おまえは自殺志願者か?」
私の存在を確かめるように頬に触れる吉夫くんは、いつもの彼だ。涙が勝手にあふれてきて、視界がぼやけてしまう。
「吉夫くんのほうがバカだよ。誰も信じようとしないで、私を殺そうとしたくせに……」
「すまない。闇に堕ちたせいで、誰かを信じることができなくなった。……なあ、どうやっておまえは俺の内側にあった闇を取り除いた?」
「私の聖炎。ううん、ヘンリエッタさんから授かった聖なる炎。もしも、ヘンリエッタさんと出会わなかったら吉夫くんを助けられなかったよ」
「じゃあ、どうやって剣を弾いた?」
「それは……」
吉夫くんが分散させた矢が私の肩に当たるまで、このことを思いつかなかったと言えない。聖炎を纏っていたおかげで矢は肩に当たらず、軽い衝撃だけで済んだ。
もしかしたら、と思いながらあのときに聖炎を防御に回したおかげで私には傷一つない。かわりに打撲したように全身がずきずきと痛む。こんなことを説明したら、きっと怒られる。
「まっ、言いたくないのならそれでもいいか」
私が黙っていることに吉夫くんは気を遣ったのか、時間が経ったら打ち明けてくれと説明を後にした。つまり、私のこと信じてくれるってこと?
そう思っていると、私の頬に触れていた吉夫くんの手がぎゅとつかみ、そのままねじられた。
「い、痛い! 私の頬をつねらないでよ!」
「でもな、もう二度とあんなマネをしないでくれ。おまえたちのおかげで闇に呑み込まれた俺は意識を取り戻した。けれど、”あいつ”のことを思い出したせいで誰も信じられなかった」
つねている頬から手を離した吉夫くんは、顔を近付ける。えっ、な、なにをするの、吉夫くん。
心臓がいつもより速く脈打ち、身体が熱を帯びたように熱くなる。こつん、と吉夫くんと私の額が重なり、至近距離で見つめられる。
「俺はもう二度とおまえを傷付けないと約束する」
「口だけでは信じられないって私が言ったらどうするの?」
「それでいいさ。ゆっくりと時間をかけて、俺のことを信じればいい。俺も、おまえのことを信じる」
「……うん」
引き寄せられるように私と吉夫くんの顔がどんどん近付いてく。今度は誰にも邪魔されない、と確信していた私はこの流れに乗った。お互いの唇があともう少しで届く、という場面で。
「わたしの前でいちゃいちゃしないでくれるかしら」
不機嫌で、それでいて怒りを帯びたサティエリナさんの声が聞こえた。
「ひゃあっ」
驚いた私はくるりと吉夫くんに背を向けると、冷たい視線を注ぐサティエリナさんと目が合う。あ、あれ? どうしてここにサティエリナさんがいるの?
「私は麻痺を自分で治せるの」
ちょうど疑問を抱いたところにサティエリナさんが心を見透かしたように答えてくれた。
「なるほどな。今度はなるべく強めの麻痺をおまえにかけないとな」
後ろから優しく抱き締めてきた吉夫くんは、肩にあごを乗せる。彼の行動を目にしたサティエリナさんの眉がぴくりと動く。こ、怖いよっ。
「わたしにするよりも……メグさんにかけてあげたらどうかしら?」
「んー悪くないな。こいつは怪我している可能性が高いから、暴れるならちょうどいいな」
「怪我、というよりも打撲に近いはずよ。ねえ、メグさん」
二人の会話を聞いていた私は肯定するように首を縦に振る。
「だよなぁ。よし、恵美。ベロルの実をすり潰した軟膏を塗ってあげるから、大人しくしろよ?」
ベロルの実。打撲やねんざに効果がある小さくて青い実。私も何度か使ったことがあるので、思わず吉夫くんの言葉に反応していた。
「私のお腹に塗るつもりなの!? って、私が打撲していたのわかっていたの?」
あえてサティエリナさんが口にしていた打撲という言葉を使っておく。全身が痛い、なんて言ったらおかしなことをされそうだから。
「辛そうな顔をしていたから、サティエリナが打撲していると口にする前からわかっていた。ふむ、腹か。……サティエリナ、俺が女性化した状態であれば、『襲っている』ことにはならないよな?」
「ええ、その通りよ。ところでヨシオ。あなたは私の氷の棘で怪我しているはずよね? あなたの怪我を治してあげるから、後でわたしの部屋に来なさい」
「……襲わないよな?」
「ふふっ。どうかしら」
目を細め、口元に笑みを浮かばせるサティエリナさん。なんでだろう。吉夫くんと一緒にいるときだけ、サティエリナさんは生き生きとしている。やっぱり、一時的な従者関係のせいかな? この二人は一緒にお風呂を……あっ。
「まだお風呂に入っていないから、一緒に吉夫くんも――」
「メグさん。彼は男性よ? 彼をわたしたちがいるほうに招くなんて、おかしいわよ」
サティエリナさんがこういうときに正論を持ち出す。くうっ、あともう少しで吉夫くんと二人きりになれたのに!
「へえ。じゃあ、吉夫くんと一緒に入ったサティエリナさんはどうなの?」
「わたしの命令で従わせたわ。ヨシオ、いまからわたしと一緒に入浴を……あれ?」
「そんなの私が許さない! 女性化した吉夫くんなら、タオル一枚あれば私たちと一緒に同じ時間を過ごせるよ! ねっ、吉夫くん――って、いない!?」
後ろから優しく抱き締めていた吉夫くんはいつの間にいなくなっていた。サティエリナさんは途中で気付いていたのか、きょろきょろと周囲を見渡している。
私も彼の姿を探し求めると、すぐに見つかった。明くんとジュリアスさんの所にいて、吉夫くんは彼らに話しかけている。ある程度話終えた吉夫くんに明くんは仕方ないな、という顔を。ジュリアスさんは大きくため息をつき、こちらまで声が聞こえるほど怒り出す。
「貴様はもう少し私のことを信頼しろ! 誰も信じなかったせいで、このような事態を招いたのだ!」
「うるせぇ、爆乳騎士」
「ケンカを売っているのか!? 私は貴様のことを心配しているというのに。……もう二度と会えない、と思ってしまったぐらいだ」
「心配させてすまなかった。なあ、おまえを蹴飛ばした痛みが引いてないだろう? 立つのも辛いはずだから……」
「や、やめんか馬鹿者……!」
「やめねぇよ。今日だけ我慢しろ」
ジュリアスさんと和解した吉夫くんは、彼女の背中と膝の裏に手を回して、そのまま私たちのほうに歩き出す。お姫様抱っこされたジュリアスさんの顔を真っ赤なくせに、まんざらでもないという顔をしている。
吉夫くんの隣に歩く明くんは楽しそうに彼らを温かく見守っている。私とサティエリナさんは顔を見合わせ、吉夫くんたちを迎えに行く。
今日だけはジュリアスさんに譲っておこう。
そのかわり、今日の夜は久し振りに吉夫くんに甘えよう。