奪われた日常 Ⅰ
「ふあ……」
「吉夫があくびをするなんて珍しいな。夜遅くまでなにをしていた?」
田倉高校の制服である学ランを身に纏う俺は、大きく欠伸をしている最中で隣を歩く明に声を掛けられた。なんて答えようか、と思考しているととあることをふと思い出し、そのことを口にする。
「明の小さい頃に書いた作文について、俺は全員に発表するかしないか悩んだ」
「悩むなよ! いや、その前にどうして僕の作文についておまえが知っている!?」
「鈴音から教えてもらったのさ」
「り、鈴音め……覚えていろよ……!」
ここにはいない幼なじみに、悔しそうに呟く少年の名前は緋山明。
あちこちが寝癖のように跳ねている燃えるように赤い髪と、珍妙に見られる事も多い紫色の瞳。だがその複雑なパーツを違和感なくさせている整った顔立ちは、正しくハンサムというに相応しい。非常に羨ましい事だが、女子達からも無差別に好意を向けられ、イケメン様々。身長も百八十越えとかなり高い。
そして女子生徒からは毎日のように告白を受けている。すべて、本気で好きになれる人じゃないといけない、と返答しているおかげで余計に女子たちのハートに火をつけてしまう始末。女子たちにとって毎日が戦争で、猛烈アタックして来るほどの人気ぷっり。
あとは、とあることをしているおかげでさらに人気を高めてしまう困ったヤツなんだよ。
「ふあ……ギャルゲーをしていたのさ」
「あ、あはは……さらっととんでもないことをありがとう」」
アニメ、マンガをこよなく愛する俺はギャルゲーに手を出すことなど当たり前である。昨日は新作のギャルゲーが出たからそれをプレイしてみると、なかなか楽しくて止まることなんてできなかった。
おかげで妹から兄さん、たまには私に構ってよなどと文句を朝から言われたぐらいだ。妹公認でギャルゲーをしている兄にそのようなことを言う人は、おそらくあいつだけだよな。今日、帰ったらたっぷりと相手をしてやる、と約束してやると上機嫌であった。
明にギャルゲーの良さを説明させようとすると、あいつは聞きたくない、と拒否した。ちっ、ギャルゲーとは確かにさまざまな女の子を攻略できるから、その良さについて語りたかったのに。
ギャルゲーについて語ることをあきらめた俺は、明に昨日は何人女子に告白されたのか問いかけようとすると、
「は、離してください!」
という少女の声が聞こえた。
「ああん? 人に謝っただけでは足りないいんでよぉ、だからよぉ、体で払えっつうの」
という聞いただけで相手が男であるとわかり、とりあえずそちらに目を向けてみる。そこにいるのは、三人の不良らしき人物と、田倉高校の制服のセーラー服を身にまとう女子がいた。
明はすぐに困っている女子を助けるために、不良たちがいるところまでまっすぐ向かう。迷いなく面倒事に介入していく明を止めず、俺はまたかとうんざりしながら後ろを付いて行く。前までは明が誰かを助ける事を、何度も止めようとした。だがその度に困っている人は見過ごせない、と明が言うものだから俺は、仕方なく明の善意に付き合う事にしている。
本当なら他人に一切興味を抱かない俺が、こうして明と飽きもせず付き合ってるのは、こいつの性格のせいとも言える。見ず知らずの他人を助けるのは勇者、またはヒーローとも呼べる。明にはそのような称号がとてもお似合いだ。
「そこまでにしたらいいだろ?」
「ああん?」
明が一声掛けると、女子へ絡んでる最中だった不良の一人がこちらへ振り向く。その髪型を見て少しだけ吹き出してしまった。まさか時代を感じさせるリーゼントとは、今回は中々骨のある悪役みたいだ。笑うことを我慢しながら、おれは明と不良たちの成り行きを見守っている。すると、リーゼントが俺の方を見て、
「おっ、なんだ。女連れかと思ったら片方男じゃねぇか」
と言いやがった。おかげで俺の中にある堪忍袋の緒が大きな音を立てて切れた。よくも人の事を女と言ったな、この時代錯誤リーゼントが。男に対して侮辱のような言葉を吐いた事を、後悔させてやる。
第一俺は、線が細い顔つきをしているだけであって、決して女性的な顔立ちではない。背は明の肩に届く程、百六十二程度しかないが、髪と目は今まで黒髪のまま染めた事はないし、下半身には男の勲章だって付いている。何度だって繰り返すが、俺は決して女ではなく男であり、人の気にしている事を平気で口にする奴が大嫌いだ。
ついでに俺は人が嫌いだ。元々は男女に関係なく気軽に会話を交わしたものだが、昔に親友だった奴から裏切られて以来、人を信じる事が出来なくなっている。
明やこいつの幼なじみである鈴音、それと家族には心を開いているから普通に振まうことができる。けれど、そいつ等以外とは会話をする事すら無理だ。眼前にいる時代遅れのリーゼントが、いい例である。俺の事を女呼ばわりした罪は重い。
「ああ、これはまずいな」
他人事のように明が呟いたがどうでもいい。
いまの俺は、目の前にいるリーゼントを殴らないと気が済まないぐらい腹が立っている。自分のことを女、と呼ぶ連中には必ず制裁をしなければいけない。
「さぁて、なにをしてあげようかなぁ?」
女呼ばわりしたてめぇを気絶するまで殴るからな、と心の中で付け足しておく。
「はっ! 女になにができるんだよ!」
強がりを見せ付けたリーゼントに俺はニヤッと不敵に笑う。あいつには、一回ぐらい殴らないとこのイライラが収まらないからな。そんなことを思っているとリーゼントが獣のようにおたけびを上げ、顔面に向けて殴りかかってきた。
こいつ、喧嘩慣れしているよな。頭というのはある意味人の急所でもあり、しかも顎とかくらったら脳震盪を起こす。まあ、頭を思い切り強く殴ればそうなるが……顎からやったほうが効率がいい。
顔面に向かって殴りかかってきたリーゼントの拳をひょいとよけ、すぐさまにこいつの胴体に一撃を入れる。体をくの字にするリーゼントは、ふざけるなとか言っていたがこのさいだから無視しよう。だって、こいつが怪我しても俺のせいじゃないし、喧嘩を売ってきたほうが悪い。
「や、山さんッ」
部下の一人がリーゼントのことを心配し、もう一人はこっちに向かって襲い掛かってくる。
が、明が俺の隣で成り行きを見守っていたので、すぐにそいつに蹴りをくらわせる。おお、明の蹴りが吸い込まれるように男の胴体に入ったぞ。こいつもリーゼントと同じように体をくの字にし、そのまま地面に倒れていく。
仲間とリーゼントが一瞬にしてやられたことを信じられないかのように、残った男はおれと明の顔を見比べる。
「さっさと行かないと、おまえまで潰すぞ?」
つまらないから脅してみると、男はひいっと情けない声を漏らした。
「おいおい、吉夫。いくらなんでもそれは弱いものいじめになるだろう?」
そこへ救いの手を差し伸べる明がいた。これをチャンスと見たのか、男は倒れてるリーゼントと仲間の首襟をすばやく掴むと、彼らを地面に引きずりながら去っていく。ここで覚えていろよ! と悪党が吐く台詞さえあれば、ちょっとだけおもしろかったな。
「……ちっ。正義の味方は敵にも情けをかけるのかよ」
「そうじゃなくて……これだと、まるで僕たちが悪者じゃないか……」
「わかったよ。学校に遅れるからこいつらのことを忘れるとするか」
「そうだね。じゃあ、行くとするか」
何事もなかったかのように、俺たちは学校に向けて歩き出すことにした。このようにあっという間に終わる喧嘩とは、すでに牟田吉夫の日常の一部と化しているのは言うまでない。
途中で、明が不良たちにからまれていた女の子のことを思い出すが、俺はすぐに出会うからいいじゃないかと返した。すると、明はそうだな、と苦笑した。
なぜなら、このようなイベントが起きると必ずあれが起こる。
そう、いつもの告白タイム。
だから、女の子にモテるのだ。
「あなたのことが好きです!!」
と、教室の前で朝助けた少女から告白される明はいつものようにごめん、と返す。少女はそれでもあなたのことをあきらめません!! と告げると、彼女は明から去っていく。
このような光景を何度も見たこともある俺は、さすが明だ、と感心してしまう。
「おー、さすがはあっきーやないか。女の子にはよくモテるなぁ」
席についた明を冷やかすのは、彼の幼なじみである九条鈴音。人懐っこい笑みをしている鈴音の髪と目の色は漆黒で染まっている。顔つきはなぜか俺と似ているので、並んで歩くと兄妹に間違われるぐらいだ。髪はまとめるのが面倒という理由で、後ろに束ねただけでシンプルな髪型。
「なんや、あっきー。うちを襲う案について考えてるような顔をしているやないか」
何の前触れもなく、いつものように鈴音が明をからかいだした。
「誰がおまえなんか襲うか!! いや、その前に僕はそのようなことを考えるような人じゃないから!」
「じゃあ、いま思っていることは?」
「鈴音のスタイルがいいな。……はっ。ぼ、僕を図ったな、鈴音」
「うちはなーんもしておらんよ」
明と鈴音の会話をしながら、俺の親友はバカだと評価しておく。気を許した相手だけに、このような会話ができるが俺たち以外であればこのようなことなど話さない。
明の追及を逃れるように鈴音はふっと人懐っこい笑みを消すと、獰猛な微笑みを浮かべた。明はこれ以上何かを言うつもりがないのか、口を閉ざす。もしも、この二人がこれ以上の口論をすれば絶対に明が負け、鈴音が勝ってしまうのはもうお決まりである。負けるとわかっている明は、あえて口を閉じることで彼女との口論をしない方針にしているようだ。
これはいつものことなので、俺は二人の様子を見守っておくと鈴音がさっき来た少女のことについて述べる。
「それにしても……あっきーはまたフラグを立てるとは罪な男やなぁ?」
「う、うるさい! 僕が好きでフラグを立てているわけではない!」
「だよな、こいつの夢は――」
「うあああ、黙れ吉夫!! それだけはタブーだ、タブー!!」
俺が彼の幼い頃の夢について語りだそうとすると、必死に阻止する明に鈴音はくすくすと微笑み。俺はにやにやさせてもらう。
ちなみに、明が小さい頃に書いた作文には僕の夢は正義の味方になることです、と小学一年生の時に堂々と全員の前で発表したことがある。と、鈴音に教えてもらっているので、こいつをからかうときは多いに役に立つ。
しかも、鈴音も明をからかうために、あっきーの夢は――と過去を暴露させようとする。このような仲である二人は幼なじみであり、お互いの好きな人や秘密ぐらい把握しているからちょっとうらやましい。けれど、からかわれるのであれば遠慮しておく。
明が幼かった頃に願っていた正義の味方という夢は、不良たちにからまれている女の子を救うということで叶えられている。それだけではなく、困っている人がいればその人を助けに行く、という優しい奴だ。
それと、明が不良たちにからまれている女の子を救うことで、そいつらとの喧嘩とかはすでに日常茶飯事となっている。俺が喧嘩することになっていることも同じことだ。
「あ、そうそう。よっしーには大切な話があるからちいと耳を貸してくれん?」
「ん、別にいいぜ」
耳元まで顔を寄せる鈴音。そのときに鼻孔をくすぐる甘い香りを感じてしまい、かあと体温が急上昇していく。うう、他人には興味がないおれでも、一度気に入った人であれば普通の人として接してしまう。しかも、女子であった場合はなおさらタチが悪い。
「……ということや、どうやよっしー? 興味あるやろ?」
「あー……どうだろうな」
「またまた、そう言っているくせにちょー気になっているやないか?」
「いや、全然」
「でもな、会うだけでもいいからな? な? ええやろ、よっしー」
すると、ここで上目使いでお願いしてくる鈴音はかわいいが……心臓に悪いな。どきっとしてしまうだろう。
鈴音のお願いとかは滅多にないから……たまにはいいよな。それに、今日は妹の巴に構ってあげないといけないから……少しぐらい遊んでいいよな。よし、仕方なく承諾するとするか。
「わかったよ、会うだけで済むならそれでいいよ」
「ほんまな? でも、よっしーが気に入ったならずっと一緒にいてもいいからな」
「うるせえよ」
鈴音の視線から逃げるように俺は顔をそらすと、彼女はくすくすと楽しそうに笑う。
◇ ◇ ◇
放課後の田倉高校のある教室で、俺と明はとある人物を待ち合わせをしていた。鈴音から、その人物は部活をしているからしばらく時間がかかるかもしれない、とあらかじめ伝えられている。時間を潰すために明と話をしていると、鈴音が教えてくれた親友について教えたくなった。
なぜ鈴音の親友かといえば、俺に彼女がいないから。せめて、そのような関係になるためには友達から始めよう、ということである。俺としては、彼氏彼女の関係なんかよりもその人に興味すら抱くことがないから……正直、どうでもいいことなんだよ。
他人に興味を抱くことができなくなってしまった俺には、女性とそのような関係になること事態が嫌である。相手に気を使わないといけないことが面倒だ。素の俺を受け入れることなど鈴音と妹の巴ぐらいしかできない。
そこで、なぜここに明がここにいるのか? と俺は疑問を抱いてしまう。だいたい、予想はできているが……明に質問してみると、おまえと鈴音の親友の仲立ちだ、と返してきた。
やっぱりな。俺は他人に対して興味を示すことなどなく、仲のいい人としか話をしない。それは、明や鈴音、妹の巴ぐらいである。
始めて会う人であったとしても、俺は無関心を貫いてしまうことぐらい自負している。たとえ、鈴音の親友であったとしても……いや、さすがにあいつの友達には興味あるから無関心できないな。
などと、考えているとガラッと教室のドアが開かれた。
「遅れてごめんね、吉夫くん」
謝罪をしながら教室に入ってきたのは、前髪を目元まで短く切りそろえている少女。大きな瞳にかわいらしい顔立ち、まっすぐに伸ばされているストレートな髪はしっかりと手入れが行き届いている。髪には花のかんざしをつけており、彼女にはよく似合っていた。この少女に着物でも着せたら、大和撫子という言葉がとても似合いそうだ。
彼女の姿を観察しているとかわいい、とすなおに評価してしまい、俺は心の中で苦笑してしまう。やはり、鈴音の親友には興味津々であるとわかると、他の人たちには目すら向けない自分がいることに判明してしまう。
かわいい少女の姿を見つめていると、彼女は細長い棒状の何かを背負っていることに気が付いた。なんだあれは?
「鈴音の親友は、剣道部部長の二階堂恵美さんだったのか」
と、隣にいる明が少女の名前を口にしてくれたことで、妹の巴がいつも話題にしてくる人物であると一致する。巴いわく剣道部の部長は常に竹刀、または刀を持ち歩いているので夜道に彼女に襲おうとした輩は、遠慮なく斬られるという。
しかも、剣道部では鬼のような練習量を淡々をこなし、巴は弱音を吐くこともなく、彼女に連いていくという。巴の憧れの人物は、目の前にいる二階堂恵美であることにわかると、あいつに電話したくなった。
なので、携帯を取り出そうをすると、
「待って、吉夫くん。誰に電話しようとしているの?」
恵美が問いかけてきたので、正直に答えることにした。
「誰って、俺の妹である巴だけど? あこがれの二階堂恵美がここにいる、と伝えるだけだからさ」
「伝えなくてもいいよ!」
なぜか拒否する恵美に俺は疑問を抱きながら携帯をポケットにしまい、彼女に気になったことを訊ねてみる。
「……で、あいつは余計なこととか言わなかったか?」
「え、えーとね。巴ちゃんがいつも兄さんはすごい人とか、槍術ができるとか、料理は最高だとか……」
「あのバカ妹め、ブラコンはほどほどにしておけと言ったのに……!」
「と、巴ちゃんのことを攻めないで、吉夫くん。元はといえば、私が彼女に吉夫くんってどういう人なの? って質問したら、勝手にしゃべりだしたから」
巴を弁護するかのように、恵美が罪がないことを証明しようとする。はあ……。あのバカ妹め、俺のことになるとベラベラとしゃべりだすし、家ではべったりとくっついて来るから……ブラコンだよな。いや、あいつはそれ以上の関係を望んでいることぐらい俺は知っている。
はあ、と何度目になるかわからないため息をついた俺は、会話に参加することなく、ニヤニヤする明を殴っておいた。軽く力を加えただけだから、それほど痛くはないはずだ。だから、ニヤニヤするなよ、明。おまえが気持ち悪いから。
「なあ、恵美。おまえは鈴音の親友だよな?」
「う、うん、もちろんだよ」
「あいつから……あのことを聞いたよな?」
あのこととは、彼氏彼女の件についてである。俺は、恵美とはそのような関係にはなりたくないし、彼女が望むことなどなければ、この件などなかったことにできる。
「聞いたよ。で、でもね、いきなり恋人からじゃなくて友達から始めようよ」
「俺はおまえと恋人のような関係になるつもりはないからな」
「そうなの……?」
目元に涙を浮かべる恵美がかわいそう、という罪悪感を抱いたが、ここで引くわけにはいかない。
「俺は、おまえと友達という関係であればそれでいいと思う。恋人というのは、俺には必要のないことだからさ」
「そ、そうだよね。いきなりそんな関係になるのは困るよね」
「ああ、だからさ。俺と友達になろうか、恵美」
恋人になることだけは勘弁してくれよ、と心の中で付け足した俺が恵美の様子をうかがっていると、彼女は花が咲くような微笑みを浮かべる。彼女の容姿は元々がかわいいから、そのようなことをすると、目をそらしたくなってしまうだろう。はっきり言わせてもらうと、とてもかわいい。
「どうしたの、吉夫くん?」
こっちがなにもしなくても、恵美から近づいてきたせいで、かああと体中の体温が上がることを感じてしまう。うう、やばい。まさか、出会ったばかりの相手のことを気に入ってしまうなんて、俺らしくないぞ。しかも、相手は鈴音の親友だからつい、恵美のことが気になってしまうじゃないか。
「な、なんでもないからな」
「そっか。ところで吉夫くん、その人の名前は?」
その人とは、いままで会話に参加することなく、静観を貫いていた明のことだろう。恵美には明のことを紹介しておくと、所詮僕はおまけなのさ、と不満を漏らしていたが無視しておく。
このまま、教室で駄弁るわけにも行かないので、俺はどこかに行こうと恵美に提案してみた。すると、彼女はとっておきの場所があるということで、そこに連れて行ってもらうことにした。
そういえば……どうして、明なしで始めて出会った人と普通にしゃべることができるのだろうか? やはり、鈴音の親友ということが一番の要因だろうか?
「へえ、吉夫くんって見た目よりもおもしろい人だね」
「うるせえ」
「あ、これとか似合うかもしれないから……どう?」
「あ、いいかもしれないな――って、俺はなにをしているんだあああぁ!!」
心の奥から叫んだ俺のことなど気にすることなく、恵美はどうしたの? という感じでかわいらしく首をかしげる。いま、俺は田倉高校のセーラー服を着ているのだ。それも、恵美の制服である。逆に恵美は俺の制服を着ている。
「なにって……コスプレだけど?」
「なにがどうやってコスプレになるんだよ!! おい、明、なんとか言えよ!!」
この場で唯一まともな明に話を振ると、あいつはおまえの女子バージョンすごく似合うぜ! と返してきた。あいつはもはや恵美の毒牙にかかった様子。
俺が恵美の制服を着ているのは訳がある。
何故こうなったかと言えば、恵美がとっておきの場所に行こう、と言い出したからだ。そのとっておきの場所がどこなのか? と問いかけると恵美は秘密と返し、俺と明をとある教室まで連れてきた。その教室の名前を確かめておくと、
『コスプレルーム』
と書いてあった。
冷や汗がどわりとあふれ、そのときはまさか俺に女装させるのか? と恐る恐る恵美に尋ねてみると、彼女は肯定してくれた。恵美が教室のドアを開けると、そこが別世界であると感じてしまったのは俺だけでない。
だってよ、ここには魔法少女にコスプレしている人とか、頭に猫耳、お尻に尻尾をつけている人とか、メイド服着ている人とかいたからな!
しかも、全員が女子であった。明はそれを知ると鼻の下を伸ばし、少女たちの姿をきっちりと目に焼きつこうと彼女たちを見つめていた。だが、いまでは俺が恵美にコスプレされることを楽しんでいるかのように、携帯のカメラで写真を撮っている。
はっきり言おうか、これは屈辱である。
いままで、恵美に強制的に着替えさせられたおかげで俺はチャイナ服、ゴロスリ、メイド……を着させられた。しかも、カツラとかも用意されていたので、それを使用する羽目になったのは言うまでもない。おかげで、あの人は男性なの? とここにいる少女たちの囁きまで聞こえたが、あえて無視しておいた。
うう、この女ぽっい顔つきのせいで俺は男性ではなく、女性として見られているからな。
はあ、恵美に着せ替え人形扱いされる俺は男として恥じるべきではないのか? と疑問を抱く。だが、この少女の前では俺が着替えようとしても、あいつが着ている服をぱぱっと脱がし、次のコスプレを強制装備してくる。
「あっ、兄さん」
という聞き覚えのある声を聞き、そちらのほうを見てみれば大人びた少女が立っていた。田倉高校のセーラー服を身にまとっているはずなのに、この少女が着ると他とは比べ物にならないぐらい目立つ。何が目立つかと問えば、この少女はスタイルがなかなかよいのだ。出るところはしっかりと出て、引っ込むべきところはちゃんと引っ込んでいる。髪はポニーテールでまとめており、背中には細長い棒状の袋……竹刀か木刀を背負っている。
この大人ぽっい高校生は俺の義理の妹である牟田巴。俺よりも背が高く、百七二センチもあるからコンプレックスを抱いている。
こいつは恵美と同じ剣道部に属し、いつも帰宅が遅いはずなのに……どうして、ここにいる?この、コスプレルームに。
「あっ、巴ちゃん」
いままで俺の着せ替えを楽しんでいた恵美は、まっすぐに巴に向かうと、彼女の後ろに回る。なにをするのだろうか、と様子を見守っていると、恵美が迷うことなく巴の胸をわし掴みにした。うわ……巴の顔が見る見る赤くなっていき、胸を揉んだいる恵美は幸せそうな表情をしていた。
「……兄さん、助けて」
「すまん、おまえが恵美とそのような関係であったこととは知らなかった。だから、楽しんでこいよ」
「さっすが、巴ちゃんのお兄さんだよね。吉夫くん、巴ちゃんを一晩借りるね」
「ああ。でもな、俺も一緒じゃないと許さないぞ?」
その台詞を聞いた恵美はかああと完熟トマトのように顔を赤く染めていき、巴から離れていく。巴はすぐさまに俺の背後に回り、
「私を口説くなら、もっと雰囲気がある場所にしてよ」
と怒られた。
俺の背中にいる巴に、どうしてこのコスプレルームにいるのか、と問いかけると彼女は、気分転換と答えてくれた。ここで気分転換って……どうゆうことだよ。しかも、聞くところによれば、ここは生徒会公認のコスプレ部の部室ではないか。……巴、まさかおまえはここの部員なのか?
「ううん、もしも、兄さんを誘うであればどのような服であればいいのか、と研究するために来ているよ」
「アホ。それで、こんな場所に来ている時間があるなら、さっさと部活しろ」
「それがね、兄さんを着せ替え人形のように弄んだ恵美さんが、今日は部活なし! って宣言したから。だから、今日はここにいるわけ」
「そうか。……おい、恵美。きっちりと巴とどのような関係があるのか聞かせてもらうからな!」
「ええっ。私と巴ちゃんはただの部活仲間だよ?」
俺から目をそらして、そのようなことを答える恵美の頬をつねる。
「さっさと吐け」
「痛いよぉ。は、話すから手を放してよ」
恵美に拷問する様子を明と巴は温かい視線で見守ってくれた。
「あー、楽しかった」
「俺はもう嫌だ……」
「僕も吉夫と同じさ……」
コスプレルームから出た俺たちは、家に帰るためにそれぞれの岐路に着こうとしていた。だが、俺と明、さらに恵美は途中まで一緒なので、こうして帰りも会話をしながら駄弁っている。巴は、兄さんの恋は邪魔しないからね、と意味のわかないことを告げると先に家に帰っているのでここにはいない。
それにしても……この格好、どうにかならないだろうか。
俺は、いまだに恵美の制服を着ていおり、しかもコスプレルームにあったカツラまでつけている。なぜか? それは、恵美が吉夫くんにはそのセーラー服がお似合いだよ、と言われ、反論する気力もなかった俺はそのままにしている。
で、恵美といえば俺の制服を身にまとっているのだ。ふと、思ったんだが……恵美と俺は、着衣室で一緒にいたのにも関わらず、一度もこいつの下着姿を見ていないような気がする。というか、気が付いたらもう脱がされていた、という感じであったからなぁ。あと、どのように着替えたのか知りたい。
それにしても……男装している恵美って、似合うなぁ。学ランを身にまとい、背負っている竹刀のおかげでかわいらしい男子、という印象を与える恵美。
……あれ?
俺って、ここまで誰かと仲良くなれたっけ? これって、恐らく始めて……いや、鈴音以来かもしれないな。こいつが鈴音の親友だから、俺は彼女に興味を抱くことができるし、信頼できる。だから、ここまで仲良くなれる……かもしれない。
「ところで……吉夫くん、いつまで私の制服を着ているの?」
「メグさん! それは、あなたが吉夫くんにはそのままにしてもらからねと言ったじゃないか!」
ここで、明のツッコミが炸裂する。
しかも、恵美のことをメグって親しく呼ぶ明に嫉妬してしまうのは、どうしてだろうな?
「あれ? 私はそんなことをいった覚えがないな」
とぼける恵美に、俺はもうこのままでいいよとすなおに思ってしまった。
「よ、吉夫。このままでは、おまえが女性として認められてしまうぞ!」
「吉夫くんは男の娘だからいいの」
「よ、吉夫、メグさんになにか言えよ」
賑やかな二人のことを放置しておき、俺ははあとため息をついて前を見ていると……ぐにゃと目の前の空間が歪んだような気がした。気のせいか? と思いながらもそこをじっと目をこらして見つめていると、またぐにゃと空間が歪む。
なんだ、これは?
俺の疑問に答えるかのように唐突に見たこともない模様――いや、これは魔法陣と呼んでもおかしくないものが浮かび上がる。それはぐるりと俺たちの周囲を囲い、このことに気が付いた明は驚いた表情を浮かべ、恵美は困惑している。
「よっしー、あっきー、メグみん!!」
魔法陣の外には何故か鈴音がいて、泣きそうな顔でこちらに手を伸ばそうとしていた。どうして彼女がここにいるのだろう? と疑問を抱いたが、いまはそのようなことはどうでもいい。
鈴音の手を取れば、いまから起きようとしていることに巻き込ませることができるかもしれない。同時に鈴音と一緒であれば、なんでもできる、という直感があった。
ひどいかもしれないが、俺は彼女を巻き込ませようとしている。それでも、彼女がそちらで独りぼっちになるよりも俺たちと一緒のほうがいいかもしれない。彼女の幼なじみである明、親友である恵美、友達である俺がいれば、どのような困難を打ち砕くことだってできるはずだ。
だから、鈴音のほうに手を伸ばそうとすると、彼女は俺の名前を呼びながら近づいてくる。
だが、運命とは残酷なものだ。
俺と鈴音の手があともう少しで届きそうになったところで、彼女の姿が視界から消えてしまった。鈴音には届かなかった。
それが、俺にとって一番忘れることができない最後の光景であった。