迷子を捜して
ユグドラシルの城下町を歩く一人の少女は、はぐれてしまった少年の行方を探し求めていた。はぐれた少年は、旅にはかかせない食料や果実を持たせている。紙袋がいっぱいになるまで買ったので、いまごろどこかで転んで地面にばらまかせていないのか心配している。
「レオ~。どこー?」
少年――レオナルドの名を呼ぶかわいらしい声が周囲に響くが、すぐに人々の喧騒に紛れて聞こえなくなる。
ふうと深呼吸をした銀細工のように輝く髪を二つに括った少女は、海のように蒼い瞳をきょろきょろと動かす。幼い顔つきをしている少女の仕草は、親に離れた子供の姿を連想させる。彼女はこれでも十七歳はあるのだが、外見が小柄な少女なので誰も信じようとせず、逆にからかわれることが多い。
彼女は動きやすい白を強調した服を着て、腰には二振りの銀の剣が差してある。これでも少女は冒険者ギルドでランクSを取っており、「閃光」という二つ名を持っている実力者。
「ヨシオさんはいまごろなにをしているのかな」
頬を赤らめながら彼の名前を口にする。あの日にトローヴァとの戦いを終え、身体が麻痺している自分の所に戻ってきたヨシオ。あのときまで、自分は凛々しい顔つきをした女性騎士にずっと守られていた。襲いかかる魔物をたった一人で相手にして、彼女は傷付きながらも剣を振るい続けた。
そんなときに黒髪の少女を抱えながら、さっそうと姿を現したヨシオ。彼は女性騎士――ジュリアスが傷付いていることに激高したのか、全身から”黒い雷”をあふれさせた。彼は腰に差していた細長い剣――カタナと呼ばれる武器を振るい、闇よりも濃い漆黒の牙が放たれた。たった一振りでジュリアスを襲おうとした魔物の大半が消えた。
氷のように冷たい眼差しで魔物を見下し、命を奪うのをためらわないように再度放たれた漆黒の牙。おかげで自分たちに群がっていた魔物はほとんどいなくなり、命だけは助かった。けれど、あのときはヨシオに殺されるという恐怖を抱いていた。自分だけではなく、ジュリアスもそう感じていたように身体を震わせていたことを思い出す。
――迎えに来たぞ、ジュリアス。ちびっ子。
春風のような温かい微笑みを浮かべたヨシオに、恐怖を忘れてつい見惚れてしまった。
あの日以来、少女はお互いのことを知る第一歩として自己紹介をした。加えて、たった一日だけ背中合わせで魔物の群れを相手にしたことがある。あの日は彼と一緒にいたおかげで楽しい時間を過ごし、いまでも忘れることができない。考えるだけで胸の高鳴りが止まらず、頬が火傷したように熱くなる。
迷子になったレオのことを忘れ、背中合わせで魔物の群れを相手にしていたときのことを思い出そうとした矢先、後ろから誰かに抱きつかれる。
「ヴィ~ヴィ」
「きゃ。あ、アマちゃん。いきなり抱きつかないでよぉ。びっくりするじゃないですか」
アマちゃんと呼ばれた少女はヴィヴィアルトの背後に立ち、彼女の頭にあごを乗せる。この少女はヴィヴィアルトの親友であるアマリリス。燃えるような赤い髪は緩やかに波打ち、頭の上からぴょこと三角巾の耳が生えている。強気な瞳には髪と同じ色を宿し、機嫌がよさそうにしっぽを振るう。
彼女の髪の色を合わせるように赤を強調した服、そこには獅子の形をした刺繍されており、ホットパンツからのぞくのは小鹿を思わせるような白くしなやかな脚。手足を守るように銀色に輝く手甲と脚絆を装備している。
彼女も冒険者ギルドでランクSを取っており、「赤獅子」の二つ名を持つ少女。
「レオいた?」
「いないよ、アマちゃん。全然見当たらないよ……」
「それもそうね。だって、ヴィヴィはずっ~と王子様のことを考えていたみたいだし」
「ず、ずっとじゃないよっ。ちゃんとレオを探していたよ」
否定するようにくるりとアマリリスのほうに身体をむけ、上目使いで見つめる。
余談だが、ヴィヴィアルトはヨシオのことをアマリリスに教えているせいで、彼女は彼のことを王子様と呼ぶ。もちろん、二人きりのときだけ。
「もうっ、ヴィヴィがかわいくて仕方ないじゃないの」
ぎゅっと抱き締めるアマリリスにヴィヴィアルトはほどよく実った胸に顔を埋め、抵抗するように手足をジタバタさせる。こうやっていつもアマリリスに可愛がれることに慣れているヴィヴィアルトは、彼女が満足するまでじっとしていようと決め、抵抗をやめようとしたら――急に懐かしい気配を感じた。
剣術を教え、いつも遠くから温かく見守ってきた優しい兄でわかる彼女はアマリリスから離れ、腰に差している双剣を抜き放つ。同じようにアマリリスも腰を落として拳を構える。
「安心するがいい。今日は挨拶をするだけであって、けっして争うつもりはない」
前触れもなく現れたのは、外套に身を包んだ人物。目元まで伸びた銀色の髪、蒼い瞳。彼の名前はハーゼル。ヴィヴィアルトの実の兄。
「兄様。あなたをここで止めます」
「止める? 否。 ここで私と貴女が戦えば、無関係な人たちを巻き込むこととなるぞ」
「……っ」
「それと私は人払いの魔導具を使用していなかったら、騒ぎとなっていたはずだぞ」
ハーゼルの言葉にはっとしたヴィヴィアルト。街の中で剣を抜けば騒ぎとなっていたもおかしくないのに、周りには人気がないためそうならない。人払いの魔導具を使用しているのであれば、なおさら好都合。誰にも目撃されることなく彼をここで倒すことができる。
「はああっ」
ヴィヴィアルトがハーゼルに斬りかかるよりも、アマリリスが前に飛び出す。炎を宿した拳はかわす素振りを見せないハーゼルにぶつかる――はずだった。アマリリスとハーゼルの間に見えない壁があるように、炎を宿した拳は宙で止まっている。
「争うつもりはない、と最初に告げたはずだ」
ハーゼルが敵意を宿していないと理解したヴィヴィアルトは双剣を鞘に収め、アマリリスは悔しそうに離れる。
「単刀直入に告げる。邪神様は<欠片>がすべてそろうまでなにもしない」
「なにもしないなんてありえないわ! 邪神がその気になれば、いつだってこの世界を滅ぼせるでしょう!?」
「是。そして否。もしも、邪神様がアースを滅ぼすつもりであれば、貴女たちはここにはいない。なぜなら、<欠片>がすべてそろうまでなにもしないでくれ、と私が頼んだからだ」
ハーゼルが邪神にそのようなことを頼んだことを始めて知ったヴィヴィアルト。彼女はどうして、と誰にも聞かせることなく呟いた。隣にいるアマリリスはそんな自分のかわりに、ハーゼルに問いかける。
「そんなこと信じられないに決まっているじゃない! どうやったら、邪神があなたの頼みを聞くのよっ」
「世界をただ滅ぼすたけではつまらない、という理由で私の頼みを聞き入れてくれた」
否定するようにアマリリスが叫ぶと、ハーゼルは自分の身に起きたことをあっさりと教えてくれた。邪神がまだ世界を滅ぼさないとわかったヴィヴィアルトはハーゼルを見据え、いままで疑問を抱いていたことを口にする。
「どうして邪神の味方をするのですか? 兄様」
「……いずれ封印が解かれる日が来るかもしれなかった。だから、最悪の事態が起きる前に……な」
「兄様……あなたという人は」
「さらばだ、ヴィヴィアルト。近い内に剣を交えることになるだろう」
微笑みを浮かべるハーゼルがちりんと心地の良い音を懐で鳴らすと、彼の姿は目の前からいなくなる。ハーゼルがいなくなると同時に人払いが解け、周囲に活気が戻っていく。ヴィヴィアルトはふうとため息をつき、アマリリスのほうを向いて天使のように微笑む。
「アマちゃん。わたしは絶対に兄様を止めるから、手伝ってくれる?」
「もちろん! ヴィヴィのためならなんだってしてあげるわよ」
強がっていると見抜いているアマリリスは明るい調子でヴィヴィアルトに、改めて協力してくれることを宣言してくれた。ヴィヴィアルトは心の中で彼女に感謝し、迷子になっているレオを探し出そうとしたそのとき。
「ヴィヴィ姉ちゃん! アマ姉ちゃん!」
鷹のように鋭い目、ツンツン髪の少年が紙袋を抱えて自分たちの前に姿を現した。ヴィヴィアルトは自分とほとんど背丈が変わらない少年――レオに二つ提案する。
「素振り五百本とランニング十キロン(キロ)。どっちがいいかな、レオ」
罰を与えようとしたら、レオが早口で自分の身に起きたことをまくしたてる。
「ごめん、ヴィヴィ姉ちゃん! よそ見していたら不良にからまれちまった。でも、赤い髪の兄ちゃんとヴィヴィ姉ちゃんにみたいな白い髪の姉ちゃんに助けられたっ」
それを聞いたヴィヴィアルトは彼に罰を与えるのをやめ、助けた人物の顔を思い浮かべる。
赤い髪の兄ちゃん――ユグドラシルを救った「疾風」の勇者アキラ。
白い髪の姉ちゃん――白狼とバーサーゴブリンのときに助けてもらった少年ヨシオ。姉ちゃん呼ばわりされたヨシオが怒る、と考えなくても想像がつき、レオに忠告しておく。
「レオ、今度その人たちに会ったらちゃんと謝ろうね」
「え? もう会わないかもしれないのに、どうして謝るのさ?」
「……レオ、忠告したからね」
ヴィヴィアルトはヨシオがここにいるかもしれない、と期待に胸を高鳴らせ、きょろきょろと周囲を見渡す。白い髪はユグドラシルでは珍しい。ここは茶色か黒、または栗色の髪が当たり前である。そのため、ヨシオの存在は比較的よく目立つ。
「あっ……」
とくんと高鳴る心臓。腰まで伸びた白い髪をなびかせるヨシオを発見すると、彼女は迷うことなく決断する。
「じゃあね、アマちゃん。レオ。わたし、急用を思い出したから」
「しょうがないわね。さっさと王子様のところに行きなさい」
苦笑するアマリリスとレオに見送られて、ヴィヴィアルトはヨシオの後を追いかける。人の波をくぐり抜け、ヴィヴィアルトが目にしたのは、手を伸ばせばすぐに届きそうな位置にいるヨシオ。彼女は彼に声をかける。
「ヨシオさんっ。またギルドで依頼でも受けたのですか?」
「げっ。ちびっ子。おまえの相手をしている暇なんてない」
「ちびっ子ではありませんって何度言えばわかるのですか、ヨシオさん!」
いつも通りのやり取りをしながら、二人はフィオナの森に向かう。