下る雷
フィオナの森には太い樹々が並び、常に静寂に満ちているはずなのに今日だけは騒音であふれていた。駐屯場ではバーサーゴブリンを筆頭に<欠片>の影響を受けた魔物たちが騎士たちと冒険者たちを襲う。圧倒的に数では魔物のほうが勝っているはずなのに、人々が押していた。その光景を右目から眺める人物がいた。
少年のように短く髪を切りそろえた黒髪に気だるい表情をした男性。彼の左目にはアメジストのように輝き、本来右目がある場所にはまるでくり抜かれたようになにもない。黒い鎧を身にまとう男性――黒騎士ザックは右目から送られる情報に感心していた。
「ほぉ……さすがはユグドラシルの氷姫と呼ばれるだけの腕前だな」
栗色の髪をなびかせ、表情を変えることなく剣を振るうのはユグドラシルの氷姫。彼女は青い鎧を身にまとい、周囲には先が尖った氷塊――氷の棘が浮かんでいる。氷姫は近付く魔物に対し、彼らの足元から氷の槍を生み出して串刺しにさせる。遠距離の魔物には牽制という意味で氷の棘を飛ばし、宙に浮かぶ大きな蜂――キラービーを貫く。
接近すれば彼女は剣で斬る、離れていれば氷の棘で貫かれる。氷姫は距離など関係なく己の実力を発揮できる人物に、ザックは心の中で高評価した。
「おっ。あのメイド……すげーな」
右目からリアルタイムで送られる情報にザックは慄く。白い髪を三つ編みにまとめ、メイド服を着る女性が腕を振るう度に突撃してくる魔物の身体が二つに別れる。彼女とは、五日前にユグドラシルの訓練場で戦ったことがある。
右目を細め、彼女が振るう物を見つめる。細い銀の煌きが一瞬だけ暗闇に現れると、数匹の魔物の肉体がバラバラとなった。それが糸であると見抜いたザックは珍しいなとぼやく。武器としての魔導具は知っているが、あのように日常で扱うものを戦闘で用いることなど聞いたことがない。おそらく新しい魔導具か、もしくは過去の産物であるか。
時代は変化している、と糸の魔導具を見たザックはそのように実感した。
「もういいか」
氷姫とメイドがいることで駐屯場のことは彼女たちに任せてもいいと判断する。もしも、苦戦を強いられることがあれば手助けする予定であった。彼がトローヴァの本体ではなく、分身を倒したことによってこのような事態が起きてしまった。なので、ザックが手助けするのは彼なりの贖罪でもあった。
「んじゃ、次は勇者だな」
駐屯場にある右目を勇者のところまで転移させると、ザックは目を大きく見開かせることとなる。右目から伝えられる情報は、傷付いた三つ首の獣――ケルベロス。ケルベロスは威嚇するように唸り、対峙する人物に息吹を放つ。
一つはすべてを焼き尽くす灼熱の炎。もう一つは生命の時を永遠に停止させる極寒の息吹。そしてもう一つは、光と匹敵する速さで放たれた雷の息吹。
三つの息吹は容赦なく、寝癖のように跳ねている赤みがかった髪をした少年――勇者と膝をつく偉丈夫の男性に襲いかかる。勇者は紅蓮の炎を纏わせた剣で、自分たちを飲み込もうとする三つの息吹を切り伏せる。
ザックは魔法を斬ることができる剣――魔導具のことぐらい熟知している。けれど、彼が驚いているのはこのことではなく、勇者が剣に纏わせている紅蓮の炎。
「おいおい……あの野郎、覚醒したのかよ。でも……これは好都合だな」
息吹を斬られたことに憤りを隠せないケルベロスは吼え、息を大きく吸う。息吹の予備動作。勇者は二度も同じことをさせないために、自ら距離を詰めていく。
「こりゃあ……勇者の勝ちだな」
勇者が紅蓮の炎を出現させたことによって、ザックは彼の勝ちであると確信している。あの紅蓮の炎は、すべてを燃やし尽くす性質であると彼は思い出す。そのため、最後まで見届けなくてもよい。
「最後はムタヨシオだな……ん?」
右目を邪気があふれる聖地に転移させると、ちょうど銀髪の女性――ヨシオが剣の柄を握り締めた。黒く塗り潰された刀身、中央には白い線が刻まれている両刃の剣。その剣で彼はトローヴァが放った黒い光線を切り裂いた。
「なるほど。ヨシュアはヘンリエッタを守れきれなかったことを後悔しているからこそ、ムタヨシオに力を与えたのか。……二度と同じ悲劇を生み出さないために」
彼が思考している間にヨシオはトローヴァに肉薄し、踏まれている黒髪の少女を助けるために足を斬りつける。わずかに浮かび上がる足。その一瞬を見逃すこともなく、ヨシオは少女を抱えて距離を取っていく。トローヴァは黒い雷を繰り出し、後退するヨシオたちに当てようとするが彼の剣によって防がれる。
「おっと。邪魔すんなよ」
前へ飛び出そうとしたトローヴァを聖地にある右目で睨みつけると、彼は時が止まったように動かなくなる。トローヴァは目に見えないなにかに怯える。それがザックであると知らずに。
「おっ。大胆だなぁムタヨシオ。つーか、あの獣人もよく女神の涙とか持っていたよな」
女神の涙を絹のように美しい黒髪の少女に口移しさせるヨシオ。女神の涙を飲んだことによって彼らの傷付いた身体は癒され、消費したはずの魔力はあっという間に回復する。
激戦と化す戦いを尻目にザックは女神の涙はどうやって作ったのかと頭をひねる。なにせ、女神の涙という液体は死人すらよみがえらせることができるほど効果がある。オリジナルの女神の涙をたった一滴、水に落とすだけで劣化版を作り出せることすら可能。しかし、効果はオリジナルよりも劣るものの傷を癒し、魔力を回復させることさせることぐらいできる。
ザックはケルベロスとなったあの獣人が劣化版ではなく、ヨシオにオリジナルをあげたことに肩をすくめた。つまり、オリジナルをタダであげるほどあの獣人は黒狼を倒して欲しかっただろう。そう考えれば、彼がトローヴァの分身を倒したのも納得できる。
けれど、どのようにオリジナルの女神の涙を手に入れたのかザックとしては興味がある。
「おっ、もう終わったのか」
ザックはどこに女神の涙の材料がしっかしと思い出し、右目から送られる情報に眉をしかめる。分身を操り、不死を自称するあのトローヴァがあっさりとヨシオに<欠片>を託す。おかしいというレベルではない。異常だ。
「……行くか」
ヨシオが少女を抱え、どこかに去っていくのを右目で見送ったザックは自分自身を聖地に転移。先にここへ転移させておいた右目を回収し、本来あるべき場所に戻す。
「しっかし、派手にどんぱちしてくれたよな」
ヨシオとトローヴァが本気でぶつかり合ったことを示すように、聖地の大地があちこち陥没している。聖地の近くに生えている樹など、上から半分は消え失せていた。ザックは周囲の様子をうかがいながら、胸元に交差するように刻まれたトローヴァを発見する。
「よぉ、トローヴァ。死にかけているおまえに訊きたいことがあるんだよ」
「そ、その声は……ぐあっ!」
トローヴァに重力をかけると、その巨体は大地に沈み、彼の傷跡を開かせていく。ザックはそんなことなどお構いなしに問いかける。
「オレのことを覚えているか?」
「あ、当たり前だっ。邪神様の友人でもあり、勇者の敵でもあった……ぐあっ」
さらにトローヴァにかける重力を重くするザック。彼によって言葉を紡ぐことができなくなったトローヴァは睨みつける。
「いまからオレの質問に答えろ。――なぜ<欠片>を手放した?」
「はっ。あいつは白狼の加護を授かっているせいで、雷の魔法を使えるじゃないか。それと<雷の欠片>にはぴったりの適性者だ」
「たしかに、あいつは<雷の欠片>と相性がいい。だが、分身を使ってあいつらの体力を削ろうとしたズル賢いおまえが、そんな理由で手放すわけがない」
ザックは静かに開け、と口にするとトローヴァの上に四本の剣が現れる。いずれも両手両足を狙うように配置されている剣たちを見上げたトローヴァから冷や汗があふれた。ザックは一本の剣に右手を命じる。
命じられた剣はトローヴァの右手を貫き、そのまま柄まで深く刺さっていく。苦痛を漏らすトローヴァにザックは嘲笑う。
「<欠片>をなくしただけでそれかよ。まっ、あれさえあれば並外れた回復力を手に入れることができるが……いまのおまえは不死じゃない。いつでも殺せるぜ」
さっきと同じようにトローヴァの左手を剣で貫いたザック。苦痛を漏らすトローヴァなど興味を示さない彼は、最初にした質問を繰り返す。
「なぜ<欠片>を手放した?」
「邪神様を倒すため。それとあいつを闇に堕とすため」
あっさりと答えたトローヴァにザックは彼にかけている重力を解除。いぶかしげにザックを見つめるトローヴァ。
「オレが目をつけた奴に余計なことをしてくれたじゃねえか」
怒気を帯びた声でザックは片手でトローヴァの巨体を軽々と持ち上げた。トローヴァの両手を大地に突き刺していた剣はその拍子に抜ける。いや、ザックが剣に戻れと命じたおかげでトローヴァの両手にはなにもない。
「いいじゃねぇか。俺サマたち<欠片>の願いとおまえ、勇者の想いは同じなんだし……」
「同じじゃねえ。オレたちはあいつを倒すことだったが、力不足で封印することにした
で、おまえたち<欠片>の願いと同じだったら、どうしてあいつの味方をしたんだよ」
「邪神様には逆らえなかった……」
「嘘だな。少なくても、おまえ以外の奴らはあいつに洗脳されていた。おまえはな、洗脳される以前に最初からあいつの下僕だったろ?」
目を大きく開かせるトローヴァにザックは鎌をかけてよかった、と心の中で安堵した。
「……ああ。俺サマは邪神様の下僕さ。いまでもどうしてあのお方を止められなかったのか、後悔しているぜ。だから、<雷の欠片>をあげた奴には一度闇に堕ちてもらう。さらなる力を得るために。邪神様を――」
「そっか。後は全部オレに任せろ、雷のトローヴァ」
トローヴァの巨体を宙に放り投げたザック。彼は落下していくトローヴァを見据え、幾度に重なる銀色の魔法陣を展開させていく。同時にザックの髪は黒から銀へと変わり、たった一言だけ紡ぐ。
「来たれ、神雷よ」
白銀の雷が魔法陣から現れ、落下していくトローヴァの肉体を燃やし尽くす。肉体だけではなく、邪神の<欠片>に取り込まれた白狼の魂と穢れた聖地を浄化していく。聖地全体に広がっていく白銀の雷によって、そこは神聖な大地に戻っていく。大地から新芽が生え出し、毒々しい花は色とりどりの美しい花へと変わり、咲き乱れる。
「……ムタヨシオ、おまえを魔王にするために大切な人を傷付けてやる。
そして、勇者と共に世界を救え」
元魔王であるオレが決めたことに文句はないはずだ、と呟いたザックはぐにゃりと歪んだ空間に姿を消した。