聖地にて
フィオナの森の奥には聖地と呼ばれる場所があり、そこにここの主である白銀の狼――白狼は夜空を見上げていた。暗闇に輝くのは大地を照らす黄色い満月と宝石のように散りばめられた星たち。
白狼はいつものように夜空を見終えると、眠りにつこうとした。が、今日は聖地に誰かが足を踏み入れたのを察知し、すぐさま戦闘体勢に入る。ここに足を踏み入れた者は、この大地に封印されていた邪悪な存在の<欠片>と同じ雰囲気をかもし出し、禍々しい気配をしていたからだ。しかも、比べものにならないほど邪気がその侵入者からあふれ、神聖な聖地が邪気によって侵食されていく。
『何者だ?』
海のように青い瞳を細めた白狼は静かに問いかける。聖地に足を踏み入れた侵入者は歩みを止め、律儀に名乗り上げる。
「私の名前はハーゼル。この地に眠る者の封印を解きに来た」
目元まで伸びた銀色の髪を払いのけ、青空を連想させる双眸で白狼を睨みつけてくる青年――ハーゼル。
「邪魔するなら、たとえ精霊であっても私は斬り捨てるまでだ」
腰に差している鞘から剣を抜いたハーゼルは静かに構え、なにも知らない彼に白狼は真実を告げる。
『残念だが、ここにはおぬしが求めるものはない』
「……なに?」
『三日前にとある人物がこの地に眠る魂を燃やしつくし、一片の欠片すら残っていない』
「残っていない? 否! この大地の奥底に眠っているではないか。貴公の目は節穴だな。燃やし尽くされたのは魂ではなく、他の存在だ! ……たとえ、そうであったとしても邪神の<欠片>が死ぬと思うのか?」
邪神という言葉を聞いた白狼は大きく息を吸い込む。白狼の全身に雷が帯びていき、口の中には荒れ狂うエネルギーが収束していく。
「否。邪神の<欠片>が封印されている大地は穢れ、すべての生命力を奪い取る。故に精霊であるあなたがこの聖地から出ようとしないのは、被害を最小限に抑えるため」
『黙れ』
四肢を踏ん張った白狼は収束したエネルギーを解き放つ。白狼が放ったのは雷を帯びた衝撃波。普通の人間であれば衝撃波だけで終えることもできるが、今回ばかりは<欠片>のことを知っている人物なので容赦しない。
雷を帯びた衝撃波はそのままハーゼルを包み込むかと思いきや、彼は剣を振るう。それだけで二つに裂かれてしまい、無傷のハーゼルは剣を正眼に構えなおす。
「これだけか、白狼?」
雷を帯びた衝撃波をたった一振りの剣で切り裂いたハーゼル。驚くこともなく白狼は大地を蹴り、三本になった尾に雷を纏わせ、その場から動こうとしないハーゼルに振り下ろす。
彼は慌てることもなく腰に差している鞘を握り、そこへ剣を収める。
「守護結界」
剣を収めた鞘の先を地面にこつんと当てると、彼に振り下ろされていた三本の尾は直前で止まる。いや、止まらされた。両者の間には目に見えない壁があったせいで、白狼の攻撃が届かなかった。
それに気付いた白狼は距離を取り、先ほどよりも速く大地を駆け抜ける。雷を纏った白狼は光の尾を引きながら休む間もなくハーゼルを攻めていく。
そんな白狼に対してハーゼルは目に見えない壁――守護結界で防ぎ続ける。たとえ、死角となる位置から攻めても彼には届かなかった。
『なるほど、そういうことか』
一歩もその場から動こうとしないハーゼルと守護結界のカラクリを見抜き、白狼は一旦攻撃をやめ、息を大きく吸う。同時にハーゼルが剣を構えなおす。
『降り注げ、雷よ』
ハーゼルの上に夜空に輝く銀色の魔法陣が浮かび上がり、そこから雷が生まれる。鼓膜を破らんとするばかりの雷鳴が轟き、目も開けることができない光量があふれた。
『ほう……よく耐えたな』
目が慣れてくると、ハーゼルが剣を鞘を収めて地面に突き刺している姿を見て感心してしまう。とっさに雷を防ぐことができなかったせいか、彼の服は焦げている。
白狼はハーゼルの守護結界が剣を鞘に収め、地面に突き刺していなければ発動しない、と見抜いていた。だから、息を吸うような予備動作をして彼に剣を構えなおす状態に戻したのだ。
白狼が息を吸う予備動作をするのは、雷を発生させるためか雷の息吹を使用するため。幸い、雷の息吹しか使用していなかったので、ハーゼルは見事にひっかかった。
「くっ……守護結界の欠点に気付くとは、さすがは雷の精霊だ。だが、私はここで倒れるわけにはいかない!!」
剣を抜いたハーゼルはこれまで一度も攻めなかったが、彼自ら前へ出た。白狼は雷の息吹を解き放つために四肢を踏ん張り、斬りかかろうとするハーゼルに向ける。
雷を帯びた衝撃波を前に臆することもなくハーゼルは前に進む。白狼は彼によって斬られることを理解しているため、三本の尾を蛇のように伸ばしていく。
「はぁ!」
予想通りにハーゼルが紙を裂くように雷の息吹を斬り捨てる。そこへ白狼は前へ進もうとしたハーゼルに向けて三本の尾を矢の如く振り下ろす。ハーゼルの首、胴体、脚といずれも人間の急所を狙っている白狼はこれはかわすことができないだろう、と予測する。
「温いぞ、白狼!」
三方向から襲い掛かる尾に対し、ハーゼルはかわす身振りも見せずにニッと不敵と笑う。彼は腰に差してある鞘を握り締め、剣と共に尾を退けていく。頭を貫こうとしていた尾は鞘で弾かれ、胴体を狙っていたもう一本は剣で切り落とされる。最後の一本だけはかわすことなくハーゼルの右脚を貫く。が、彼は痛みに顔をしかめながらも銀色に輝きだす剣と鞘をエックスを刻むように同時に振るう。
「銀の交差!」
とっさに白狼は襲い掛かる銀色の十字をかわすために後ろへと飛ぶ。そこへハーゼルが再び銀の交差を使い、距離を取った白狼の体を刻む。純白の毛は血によって汚れ、ぱっくりと傷が開かれた場所は灼けるように熱い。
それでも白狼は倒れることもなく、三本の尾に雷を纏わせていく。まずいと悟ったのか、ハーゼルは三度目となる銀の交差を放った。
襲い掛かる白銀の刃に白狼は尾に集めた雷を放出させると、そこから雷の矢が生まれ、銀の交差と相打ちとなる。目を大きく見開かせるハーゼル。白狼はそんな彼のことなど気にすることなく、雷の矢を尾から放つ。
「くそっ」
悪態をついたハーゼルは鞘に剣を収めることもなく、そのまま大地に突き刺した。守護結界であると見抜いている白狼は、鞘なしでも防ぐことができるのか? と疑問を抱いた。そんな疑問を解消するかのように、雷の矢はハーゼルにぶつかる直前に見えない壁に当たったかのように弾けた。続けて、ガラスが割れるような音が静寂に満ちた聖地に響き渡る。
『鞘なしでも守護結界ができるらしいが……効果は半分となるらしいな』
「是。しかし、私はこのようなところで負けるわけにはいかない。――出でよ、魔剣!」
ハーゼルの呼び声に応えるように彼の眼前の空間が歪み、そこへ手を入れた。歪んだ空間から彼ぐらいの高さのある大剣を取り出し、刀身は鉄色に輝いている。どこにでも売っていそうな剣だが、そこに込められているのは邪気。過去に対峙した邪神の雰囲気を感じ取った白狼はハーゼルを睨みつける。
ハーゼルはそんなことなど気にすることなく、軽くその剣を振るう。それだけで聖地に生えている植物は次々と枯れていく。それだけではなく、彼を中心をするように次々と色とりどりの美しい花は毒々しい紫色となり、太い樹はやせたように細くしぼんでいく。
「白狼を捕らえよ!」
ハーゼルが命じると大地から太い蔓が飛び出し、白狼の身動きを封じようとする。襲い掛かる蔓を前にしても白狼は臆することもなく、ただ静かにおたけびを上げた。
それだけで白狼を捕らえようとしていた蔓はぱんっと気味のいい音を残し、消えさる。再度同じことをしようとするハーゼルに白狼は告げる。
『邪神の<欠片>によって穢された大地であるが、ここは元々我の領地だ。我が存在している間、誰にも奪わせん』
白狼は吼える。それだけで聖地を覆いこもうとした邪気を払いのける。
「ならば、私が奪うまでだ!」
ハーゼルが魔剣を大地に突き刺すと、彼の周囲から無数の剣が現れる。長剣、短剣、大剣とさまざまな種類がああった。
白狼は彼が行動する前に三本の尾からそれぞれの雷の矢を放つ。矢の如く襲い掛かる雷に慌てる身振りも見せないハーゼルは手元にあった短剣をつかみ、無造作に投擲。三本の雷の矢は時間差でハーゼルを射抜こうをするが、そのまえに彼が投げた短剣が容易に切り裂いた。さらに短剣はまっすぐ白狼に向かい、彼の尾を切り落とした。
『くっ……ふざけるではない!』
二本となった尾を一つにまとめ、数多もの剣に囲まれたハーゼルに向かって突撃していく。白狼は雷の矢が通じないのであれば、雷の息吹も効かないと踏まえている。もしも、雷の息吹をすれば短剣、もしくは他の剣が容易に切り裂くだろう。
だから、白狼は己の牙でハーゼルの首を切り裂く。
ハーゼルを殺すために白狼はひたすら距離を詰めようとするものの、彼は正確な狙いで剣を投擲してくる。あまりにも正確な狙いであるせいでよけやすかったが、完全に回避することはできない。身体を僅かに横にズラして剣をかわし、脚を狙う短剣を前に一歩出てよける。
美しかったはずの白狼の純白の毛皮は赤く汚れ、全身に裂傷を作りながら、ようやくハーゼルの懐に潜り込むことができた。彼の周囲には剣などなく、そのかわり足元には魔剣が突き刺さっている。あれを抜いても間に合わない、と踏まえた白狼は鋭い牙を見せつけるように口を大きく開かる。その場から動こうとしないハーゼルの首へ牙を突き刺す――はずだった。
白狼の周りから太い蔓さえ現れなければ、眼前にいるハーゼルをかみ殺せた。白狼は自分を拘束する蔓を噛み千切ろうとするが、うまくいかない。ならば、全身から雷を放電させるのみ。
雷の精霊である白狼は全身から青白い光を放ち、束縛している蔓を燃やそうとする。そんなときにハーゼルは地面に突き刺している魔剣を抜き、白狼に言い放つ。
「すまないが、貴公には新たな<欠片>となってもらう」
『なっ……』
絶句してしまう白狼は放電をできず、ハーゼルに反論する。
『我ら精霊を邪神の配下にすることなどできるわけがない!』
「否。環境によってはそのようなことができるのだ。<欠片>によって穢れた聖地、邪神によって生み出された魔剣さえあれば配下となる。加えて、弱っている貴公であればすぐに受け入れるだろう」
断言したハーゼルは蔓に拘束された白狼に魔剣を突き刺した。
「さて……これで私の仕事を終えたな」
太い蔓に束縛されていた白狼の姿は黒い塊と成り果てていた。そこから魔剣を抜いたハーゼルはどくんどくんと脈打つ黒い塊――新たな<欠片>の繭が存在していることに安堵の息をつく。白狼には新たな<欠片>になれる、と言っていたがそうなる確率は極めて低く、うまくいく自信すらもなかった。
ただ、崇拝なる邪神の言葉を信じて行動したハーゼルは<欠片>がなかった場合はこうすればいい、と自分自身を納得させる。また精霊によって<欠片>が封じられているのであれば、倒してしまえばいい。そうすれば新たな<欠片>を生み出す必要性もないが……場合によっては屈服させてしまい、配下にしてしまえばいい。自分だけの部下というのも悪くはない、とハーゼルが結論を出すとあと六体もの精霊がいることを思い出し、深くため息をつく。
アースにいる精霊たちがどこに住んでいるのかハーゼルにはわからないが、<欠片>の位置を知ることができる邪神に聞けばよい。ただし、<欠片>が邪神の復活によって目覚めていなければ意味はない。
「面倒だ……だが、これは世界を救うためである」
不満を漏らしたハーゼルは魔剣を消し、懐から緋色に輝く羽の形をしたバッチを取り出す。これは自分の行きたい場所を頭に思い浮かべ、宙に投げればそこへ行くことができる。後はこれを宙に投げれば今回の任務は達成する。
白狼によってやられた怪我を癒すためにしばらくは大人しく過ごそう、とハーゼルが頭の中で考えていると、邪魔する者が前触れもなく現れた。
「逃がさへんでぇ」
不意に少女の声が聞こえたと思うと、ぞわりと鳥肌が立つ。空気を引き裂く音を耳にしたハーゼルは反射的に剣を振るうと、甲高い金属の衝突音が響き渡る。
「おっ、イケメンやないか。でも、よっしーとあっきーよりも劣るなぁ」
不意打ちをしてきたのは――艶やかな黒髪を束ね、夜を映し出したような深い闇の両眼をした少女であった。彼女は獰猛な笑みを浮かべ、漆黒の槍でハーゼルの剣を受け止めていた。
「貴女はなにをしている?」
「それはこっちのセリフや。白狼を新たな<欠片>にしたお前さんを生かしておくことができん。だから、うちが殺ってやる」
彼女が何者であるのかハーゼルにはわからないが、自分の目的を知っている少女を斬るしかない。ハーゼルは少女の槍ごと斬り上げようとするのに、剣は岩の如くぴくりとも動かない。否、動かせない。
斬り上げることができないと悟ったハーゼルは彼女がなにかの魔法を使用していることを見抜く。この状況から抜け出すためにハーゼルは力を抜き、一歩だけ後ろに下がる。
拮抗状態であった剣が離れると、いままで押さえつけていた槍が大地に叩きつけられた。轟音が響き、それによってほんの一瞬だけ大地が揺れる。これによってハーゼルは彼女は扱う魔法を見抜いた。
「貴女は闇の使い手だなっ」
「まあな。闇ちゅーても扱い始めたばかりで、ただ質量を重くすることしかできん」
だから、槍を斬り上げることができなかったのか、と納得したハーゼルは腰に差している鞘を握る。
「でもな、軽くすることだってできることを忘れんとき」
鞘を振るおうとした直後に少女が消えた。いや、消えたと錯覚されるほどの速度で彼女が動いていた。ハーゼルは音もなく振り下ろされる漆黒の槍を勘で察知し、それを鞘で防ぐ。すぐさまに体を回転させ、剣で少女がいる場所を斬ろうとするが空振りする。
「くっ……少しばかり無理でもするか」
白狼との戦いで脚を負傷したハーゼルは自ら動くことなく、暗闇に紛れて攻撃してくる少女に反撃することにした。彼は剣と鞘に魔力を流し、あたり一面に銀色の刃を次々と放っていく。闇を照らす銀色の刃を連続で放ち続けているハーゼルの額から汗が浮かび、頬を伝って下へと流れていく。
いま、彼がしていることは本来ならば自らが動き、相手を切り刻むための技――銀の舞。だが、脚を負傷しているため動くことができないハーゼルはひたすら銀の刃を放ち続ける。少女がどこにいるのかさえわかれば、銀の舞をしなくても済む。
「そこかっ」
銀の刃がある場所のみかき消されていくのを目にしたハーゼルは脚の痛みを無視し、そこへ飛び込む。
同時に闇から姿を現した少女は漆黒の槍で彼を迎え撃とうとする。
「散るがいい!」
「甘いで。――貫け、我が槍よ!」
闇と光。相入れない二つの属性がぶつかり合い、ハーゼルと少女がすれ違う。お互いに背を向けた状態がしばらく続き、ハーゼルは握っていた剣と鞘を落とす。銅鑼が響くような音が静寂に満ちた聖地に広がる。
「私の……負けだ」
左肩を押さえるハーゼルは自らの負けを少女に告げた。彼の肩は槍によってごっそりと削られ、血が腕を伝って地面にこぼれていく。肩を押さえている手からおびただしい量の血があふれているため、ハーゼルは死を覚悟していた。
「それはこっちも同じやな」
背を向けていた少女がハーゼルのほうに振り向くと、彼女は腹に手を当てて苦しそうな表情をしていた。
相打ち。この結果を目にしたハーゼルは結論を出し、チラリと白狼が閉じ込められている黒い塊に目を向ける。あれを少女に破壊されてしまうと、新たな<欠片>を生み出すことができない。ここは、刺し違えてでもこの少女を倒さないといけない。
右手にある鞘に魔力を流し、いつでも白銀の刃を放てるように準備していると、少女が彼の心を見透かしたように告げる。
「安心しとき。うち、もう戦えんし、魔力もほとんど残っておらん。だから、大人しく引かせてもらうで」
「ならば去れ」
「言われなくてもそうするつもりやから、気にしなくてもええよ?」
人懐っこい笑みを浮かべる少女は空いている手を前に出し、開けと口にした。それだけで彼女の眼前の空間が歪み、深淵の如く深い闇が生まれる。
「でも、次に会ったときはきっちりとお前さんの心臓を貫いたるからな」
宣戦布告のようなことを言い残した少女は、目の前の空間に姿を消した。
少女が去ったことで安堵の息を漏らしたハーゼルは夜空に浮かぶ満月を見上げる。久し振りに見る満月は美しく、暗闇に輝く星たちとよく似合っていた。
「……そろそろ、人々の目を覚まさなければならない。偽りの平和を壊し、新たなる世界のために私は暗黒の勇者となるのだ」
懐から緋色に輝く羽の形を取り出し、自分の我が家を頭の中で思い浮かべる。それから、ハーゼルは宙にふわりと投げる。
「異世界から来た勇者と白狼の加護を授かった者よ。明日は貴公らの初舞台となるであろう」
聖地から消える間際にハーゼルは呟いた。
そして、誰もいなくなった聖地に残ったのは心臓のように脈打つ黒い塊と、ハーゼルが気づくことができなかった人物であった。
「王よ……私はあなたを裏切らせていただきます。いまの勇者では、世界を救うことができません」
全身を黒いローブに覆われた人物は黄水色に染まった双眸が縦に割れおり、男性の声をした彼は闇に紛れるように姿を消した。