真実を語る狂人(一幕劇)
演じる場合は一声かけてね。ボイスドラマにアレンジするときも手伝うよ!
登場人物
佳子:病人
雅代:その母親
医師
看護婦(必要に応じて)
場所:病室
時代:現代
注:観客の笑い声などの反応を佳子に語らせるが、雅代と医師にそれは聞こえず、「幻聴」として処理する。
幕が上がると丸椅子が二つ置いてあり、医師が座っている。上手側に鉄製のデスクとドア、パソコン。下手側には看護婦が立っている。問診表を手渡すと、椅子を指して、
看護婦:あ、このクッション、破けてます。裂け目から綿が
医師:本当だ。縫っといてくれる?
ノックの音がして看護婦が声をかけると佳子と雅代が上手から入ってくる。雅代は憔悴しきった面持ち。佳子は興奮して、何かをぶつぶつ呟いている。
佳子:(観客の方をじっと見つめ)誰か見ている気がするわ。
雅代:誰も見ていないわ。
佳子:そうかなぁ。誰かの視線を感じてるんだけど
雅代;先生、一週間前からこんな感じなんです。
医師:(カルテに書きつけ)他に症状はありませんか?
雅代:これは舞台上での出来事だ、とか私は作者に支配されてる、とか。
医師:作者? 作者とは誰ですか?
雅代:さぁ……有栖川、違う、有坂……とか。
佳子:有沢翔治よ。
雅代:(イライラして)だからそんな人いないって。
佳子:そうかなぁ。気のせいかしら。わたし、誰かに操られてるような感じがするんだけど。
雅代:疲れてるのよ。少し休んだら?
医師:作為体験ですね。
雅代:作為……体験……?
医師:ええ、自分は誰かに操られている妄想がその典型ですが、他にも神の啓示を聞いたなどが見られます。お嬢様のケースで言いますと、自分は舞台に立っていて、女優をしてる妄想があるようですね。投薬治療がメインになりますが、カウンセリングも行ないます。……ところでお嬢様は演劇にご関心がありましたか。
雅代:ええ、高校・大学と演劇部です。
医師:(カルテに書きつけて)なるほど……、(問診表に目をやり)大学院生とのことですが、どんなことを?
佳子:ピランデッロ『作者を探す六人の主人公たち』におけるメタフィクション、ハイナー・ミュラー、それからベケットも研究してます。(雅代に)そんなことよりいい加減、下手な芝居はやめたら?
雅代:これは芝居でもないし、わたしは女優でもないの。あなたのお母さんでしょ。
佳子:(冷淡に)そういう設定のお芝居ね。タイトルにもあるでしょう? 『真実を語る狂人』って。もっとも、このタイトルも最初は「ある妄想」、次に「作者を語る一人の患者」っていうどうみてもピランデッロを意識したタイトルだったのよ。でもそれじゃ、流石にまずいと思って……。
雅代:(溜め息をついて)タイトル? どこに書いてあるの。
佳子:そこからじゃ見えないわ。この位置からじゃないとね。(医師に向かって)それから先生、あなたもね、本当は医師免許を持っていないただのしがない俳優。(ここに演者名を入れる)っていうね。(看護婦の方を向いて)それから看護婦さん。
看護婦:(優しく)なんでしょう。
佳子:あなたなんかいなくてもやっていけるのよ。それを自覚してね。
雅代:いい加減になさい。
佳子:だってそう書いてあるんですもの。
雅代:どこにそんなことが!
佳子:台本に。
医師:(慌てて)よく寝られますか?
佳子:まぁ、本当の医者みたいな口ぶり。患者が妄想を抱いているときは話題を逸らすのが鉄則なのかしら。でも妄想してるのはあなたたちの方じゃないかしら。わたしの母親だっていう妄想を、いや、演技をしてるのは分かってるから。
医師:……最近なんか悩みはありますか? ショックだったこととか何でも構いません。
佳子:悩みね。本当は自分が誰なのか解らないの。これは演技でも何でもなく。
(医師は順調に診察を進める。やがて雅代、何かに気付いたように観客席を向く)
雅代:そこにいるのは誰? やだ、わたし見られてるわ。それもたくさんの人に。
医師:(笑って)誰もいないじゃないですか。
雅代:それにさっきまでこの子が言ってたように、親子じゃない。わたし、母親を演じていただけ。
佳子:ね? わたしとあなたは本当はアカの他人。劇団で一緒にやってきた関係。
雅代:そうよ! こんなお芝居バカバカしい!
雅代、佳子、観客席に退場後、最前列に腰を下ろして観客の演技を。
佳子:この芝居は最後ってどうなるのかしらね
雅代:わくわくするわね。もうわたしたちは演技をしなくてもいいんですから。ゆっくり見ましょう。
佳子:そうしましょう。
暗転後、ピンスポット。
舞台に一人取り残された医師、ポケットから台本を取り出して読み上げる。
医師:雅代、佳子、観客席に退場後、最前列に腰を下ろして観客の演技を、か……。
やれやれ、これじゃありきたりの前衛演劇だな。40年代の『ゴドーを待ちながら』を大衆化した感じ。(肩を竦める)確かに『ハムレットマシーン』よりはわかりやすいが、芸術性に乏しい、と脚本家は思っているようだ。少なくともこの台本にはそう書いてある。わたしとしては(劇に関する演者の批評を述べる)。それじゃ、わたしもこの演劇を見るとしようか。
医師が観客席に退場すると、舞台照明が消える。しばらくして開幕ベルが鳴ると、舞台照明がつく。最初の状態が望ましいが、演出家の判断で誰もいない舞台も可能。