第5話:汚れの発生源と静寂の森
カチン、と硬質な音が響き、真夏の日差しが降り注ぐ通りに冷気が漂う。
ルクスの目の前には、氷の彫像と化した『鋼鉄鋏虫』が鎮座していた。
つい数秒前までその剛腕で石畳を砕き、冒険者たちを恐怖のどん底に叩き落としていたBランクモンスターは、今やピクリとも動かない。
「ふぅ……。とりあえず、生ゴミの処理は完了ですね」
ルクスは額の汗を拭う仕草(実際には一滴も汗をかいていない)をしながら、氷像を冷ややかな目で見下ろした。
「あ、あの……店長? これ、どう見てもただのゴミ処理じゃ……」
腰を抜かしていたミナが、震える声でツッコミを入れる。
しかし、ルクスの関心はすでに別の場所に向いていた。
彼は氷漬けのモンスターではなく、それが現れた方角――街の外縁部に広がる深い森を見つめていたのだ。
「おい、そこの君」
ルクスは、へたり込んでいる冒険者パーティのリーダーに声をかけた。
「ひっ、は、はい!? あ、ありがとうございます! あなたのおかげで助かりま――」
「この不潔な害虫、どこから湧いてきました? 害虫というのは一匹見かけたら三十匹はいると言います。巣ごと駆除しないと、私の店の衛生管理に関わりますので」
「え……? く、駆除……?」
リーダーの男は耳を疑った。
Bランクモンスターの巣を駆除? 正気か?
しかし、ルクスの瞳は真剣そのものだった。
男はゴクリと唾を飲み込み、震える指で森を指差した。
「あ、あそこだ……『静寂の森』。
最近、あそこの魔力濃度が異常に高まっていて、ダンジョンのような『魔力溜まり』ができてるって噂で……そこから溢れ出したんだと思う」
「『静寂の森』……なるほど。換気不足で湿気が溜まり、カビ(魔物)が繁殖したわけですね」
ルクスの脳内で、世界規模の脅威が『お風呂場のカビ掃除』レベルに変換される。
「よし。ミナ、出かけますよ」
「ええっ!? い、今からですか!? お店はどうするんですか!」
「イグニスさんがいますし、泥棒が入っても彼女が食べるでしょう。それより、開店前に近所のドブ掃除を済ませるのが先決です」
ルクスはエプロンを掛け直し、手にはミスリル製のフライパンではなく、より広範囲の制圧に適した『特注の箒(ミスリルと世界樹の枝製)』を握りしめた。
「さあ、行きましょう。大掃除の時間です」
街を出て数キロ。
辺境都市シルヴァの北に広がる『静寂の森』は、その名の通り異様な静けさに包まれていた。
鳥のさえずりひとつなく、ただ重苦しい紫色の瘴気が地面を這うように漂っている。
常人であれば、この瘴気を吸い込むだけで肺が焼け爛れ、即死するほどの猛毒だ。
「て、店長……ここ、空気がおかしくないですか? 息が苦しいっていうか……」
ミナが顔色を悪くして口元を押さえる。
獣人族の鋭い感覚が、ここが生者の来る場所ではないと警告しているのだ。
「ああ、やっぱり埃っぽいですね。ハウスダストが舞っています」
ルクスは無表情で指先を振った。
「『空気清浄』」
シュゥゥゥ……。
ルクスを中心とした半径50メートル以内の空間から、致死性の瘴気が一瞬にして消滅した。
物理的な塵だけでなく、呪詛や毒性魔力といった概念的な『汚れ』までもが完全に濾過され、森林浴に最適なマイナスイオンたっぷりの清浄な空気が満ちる。
「は、はぁっ!? 息ができる……!? 今、何をしたんですか!?」
「ただの換気です。さあ、奥へ進みますよ。汚れの根源は近いです」
森の奥へ進むにつれ、風景はよりグロテスクに変貌していった。
木々は捻じ曲がり、樹皮はドス黒く変色している。
地面からはヘドロのような魔力が湧き出し、周囲の草花を腐らせていた。
ガサッ、グルルルル……。
茂みの奥から、赤い瞳がいくつも光る。
現れたのは『影狼』の群れ。
Aランク相当の凶悪な魔獣であり、本来なら一匹で小隊を全滅させる化け物だ。
「ひぃっ! か、影狼!? 無理無理無理! 終わったぁぁぁ!」
ミナが悲鳴を上げてルクスの背中にしがみつく。
だが、ルクスは冷徹な目で群れを見据え、箒を構えた。
「床に泥汚れを持ち込むなと言っているんです。……まったく、躾のなっていない犬ですね」
ルクスの全身から、純白の魔力が立ち上る。
ただの掃除好きの青年が、世界の理を掃除道具で書き換える瞬間が迫っていた。
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【登場人物】
- 影狼: 森に生息するAランク魔獣の群れ
【場所】
- 静寂の森: シルヴァの北に位置する危険地帯。致死性の瘴気が漂い、強力な魔物が生息する。
- 魔力溜まり(ダンジョン): 森の奥に発生した異常現象。魔物が湧き出す発生源。
【アイテム・用語】
- 特注の箒: ルクスの掃除道具。ミスリルと世界樹の枝で作られており、広範囲攻撃(掃除)に適している。
- 空気清浄: 家事魔法。本来は部屋の空気を綺麗にする魔法だが、ルクスが使うと致死性の瘴気や呪詛すら完全に浄化する。
- 瘴気: 静寂の森に充満する猛毒の魔力。ルクスにとってはただのハウスダスト。




