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第4話 あの日の音

「俺が、プロに?」


 自分の声が、どこか他人のもののように響く。


 島田はスマホを取り出し、宮内の連絡先を開いた。練習試合のときに交換した番号。そこに並ぶやり取りは、ほんの数行の挨拶と、必要最低限の事務的なメッセージにすぎない。それでも読んでいると、あの日の鋭い打球音が鮮やかに蘇ってくる。


 宮内は、何を思ってるんだろう。

 自分がプロで、あいつがプロじゃない。

 そんな未来を、どう受け止めたんだろう。


 ふと、島田の胸の奥がざわついた。


 悔しいと思っていてくれ。理不尽だと思っていてくれ。

 じゃないと、俺は前に進めないんだ。


 というか、そもそも、なんで宮内がドラフトにかからなかったんだ。俺を選ぶなんて、スカウトは見る目がないのか。


 あいつもあいつじゃないか。影で素行不良だったのか? 小学校の頃はそんなキャラじゃなかったのに、変わってしまったのか? それとも守備面が拙いからか? 三振率か? それでも、なんで。このまま大学へ行って、自分とは違うキャリアを歩むのか?


 ……自分はただ、あいつが無敵でいてくれれば良かったのに。


 宮内が行けない場所で、自分はいったい何を支えに戦えばいいのか。いや、そもそも、スタートラインにすら立てないんじゃないのか。そんな不安が、津波のように押し寄せていた。


 ――まさか、自分がデッドボールでケガをさせたせいなのか。あの怪我が、彼の評価に影響したのではないか。


 そう考えた瞬間、島田は重い鉛を飲み込んだような感覚に襲われた。胸の奥でざわついていた不安が、じわじわと形を持ち始める。もし本当に自分のせいだったのだとしたら――。


 そのとき、机の上に置いていたスマホが、短く震えた。

 着信音は鳴らず、控えめなバイブレーションだけが静かな部屋に落ちる。反射的に手を伸ばした島田は、送信者の名前を見て、心臓を掴まれたように固まった。


 …………宮内。


 まるで、ずっと呼吸を忘れていたかのように、島田はひとつ息を吸った。喉がひどく乾いているのに、上手く飲み込めない。


 メッセージの画面を開くと、短い文字列が目に飛び込んできた。


『俺がプロに行くまで』


 たったそれだけだった。言葉の途中で途切れたようなその文章が、島田の胸の奥で火種のように明滅する。

 続きが来るはずだ。島田は息が浅くなるのを感じながら、スマホを握る手に力を込めた。数秒が、何倍にも引き延ばされたように長く思えた。


 やがて、もう一度だけスマホが震えた。


『無敵でいろよ』


 その瞬間、頭の奥で、あの打球音がよみがえった。鼓膜ではなく、胸の奥に直接届いてくる音。何度も聞いてきたのに、決して慣れることのない、宮内のバットの音。


 あの音が鳴る向こう側には、いつも宮内がいた。


 島田はゆっくりと顔を上げた。パソコンの黒い画面には、涙も浮かべず、ただ何かを飲み込もうとしている自分の顔が映っていた。迷いも、焦りも、後悔もすべて押し固めたような表情。


 視線を机へ落とすと、古びた写真立てが目に入る。小学生の頃の、二人のツーショット写真。背の低いキャッチャーと、少し緊張した顔のピッチャー。肩を並べたその姿は、当時の自分たちの距離そのままだった。


 ……あの頃は、対等だった。


 それを思い知らされるように、胸の奥がじんと熱くなる。


 島田は震えそうになる指を押さえつけるように、スマホの画面に文字を打ち始めた。ひと文字、ひと文字、噛みしめるように。


『そっちもな』


 短い。けれど、それ以外の言葉では伝えられなかった。

 送信ボタンを押した瞬間、身体の奥に溜まっていた重さが、少しだけほどけた気がした。もう涙は浮かばなかった。代わりに、何かを燃やすような熱だけが、しっかりと胸の中心にある。


 島田は立ち上がり、部屋の隅に置いたグラブを掴んだ。

 次に何をするのか、自分でもはっきりとは分からない。ただ、このままじっとしていたら、胸の奥で何かが潰れてしまいそうだった。だから、走り出すしかなかった。


 玄関を抜け、冷たい空気に身を晒すと、身体が一気に研ぎ澄まされていくのを感じた。


 ――無敵でいろよ。


 宮内の言葉が、何度も、何度も胸の内側で反響する。


 島田は、その声に背中を押されるように、夜の中へと駆け出していった。

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