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第2話 無敵だった

 帰り道の途中、島田はふと、胸の奥に沈んでいた古い景色が浮かび上がるのを感じた。宮内と初めて出会った日のことだ。


 小学生の頃、島田は兄の影響で、半ば惰性のように少年野球チームに入っていた。野球が特別好きなわけでもなく、試合のたびに緊張して腹を押さえるような子どもだった。そんなある夏の日、転校してきた宮内がチームに加わった。小柄で、声も小さい。だが、初めてのキャッチボールで放った球だけは、どういうわけか妙に重かった。受けた瞬間、指先がしびれ、島田は思わず手を振った。


 その光景を見ていた監督が、なぜか島田をマウンドに立たせ、宮内にミットをかまえさせた。投げたくて投げたわけじゃない。ただ、促されるままに腕を振った。すると、宮内は少し驚いたように目を丸くして、すぐにぽんとミットを叩いた。


 ――大丈夫。


 言葉にしないまま、そんな風に伝えてくる奴だった。


 先発としてマウンドに立つ瞬間は、スポットライトのぎらぎらした光を当てられるようで苦手だった。それでも、宮内が構えるだけで、島田はなぜか呼吸が楽になった。野球が好きだったというより、宮内が受けてくれるから、投げられた。それが本当のところだった。


 彼らは、小学六年の地区大会でツーショットを撮ったのだった。島田にとって、その光景は鮮明に思い出された。試合後、宮内が「ナイスピッチ」と呟き、島田は照れて何も言えなかったのだ。その写真は、今も島田の机の上の古びたフレームに収まっている。


 しかし、中学へ進むと、二人の道ははっきり分かれた。島田は地元の公立校へ、宮内は少し離れた私立の強豪へ。距離が離れれば、連絡を取る理由も自然と減っていく。互いの近況も、どのポジションを守っているのかすらも、次第に分からなくなっていった。


 次に顔を合わせたのは、高校に入って最初の練習試合だった。相手チームのシートノックで、三塁の位置に宮内が立っているのを見つけたとき、島田は一瞬、記憶を取り違えたのかと思った。キャッチャーのはずが、今は六番・サード。鋭いノックを軽々とさばく姿に、知らない誰かのような気配すら漂っていた。


 試合が始まると、その違和感は恐怖に変わった。島田が八回に登板したとき、宮内に特大のホームランを浴びた。打たれた瞬間の打球音は、金属のはずなのに鈍く、胸の奥に直接落ちてくるようだった。彼は回半ばで降板し、ベンチに戻る途中、自分の膝がわずかに笑っていることに気づいた。悔しさは微塵も芽生えていなかった。


 かつては味方で、ミット越しに安心をくれた存在が、今は真正面から立ちはだかっている。宮内の背中が、必要以上に大きく見えた。彼と対峙するたびに手元が狂い、球が抜け、四球の数だけが増えていった。新聞に載るのはいつも宮内の名前で、そこには「粗削りだが強打者」といった定型句が並んだ。三振も多いが、その不恰好さすら力に変えているように見えた。


 そして、二年の地区大会。島田の投じた内角球が抜け、宮内の肩を直撃した。倒れ込んだ彼に駆け寄る間、島田の胸は謝罪と焦りでぐしゃぐしゃだった。けれど、その底のほうに、ほんのわずかな安堵が沈んでいるのを、彼自身が一番よく分かっていた。


 ……これで、しばらく向き合わなくて済む。

 そんな卑怯な感情を抱いた自分が、島田は死ぬほど嫌だった。


 しかし、宮内は短期間の離脱ののち、再び六番打者として復帰した。その後の県大会では強打を連発し、ケガの前と何一つ変わった様子はない、むしろ深化を果たしているように見えた。


 その瞬間、島田は悟った。


「彼は無敵なんだ」。


 もはや自分の力ではどうにもならない、絶対的な壁。かつては十八メートルと少し先にいた彼が、遙か遠くの人と化してしまっていた。


 そして高校三年の頃、彼の学校は夏の甲子園へと進出した。宮内は強豪校の三番打者として、左翼席へ当然のように一撃を放ち、チームを勝利に導いた。その打球音はテレビ越しでも、島田の脳を震わせるようだった。


 彼がプロに行くのは、もはや既定路線のように見えていた。島田自身もそう信じていた。宮内が野球選手になれば、自分は彼の背中を見ながら、細々と野球を続けることができる。そう、無敵の彼を心の支えにして。

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