1 夢
――王都が燃えていた。
風も叫びも鐘の音もない。世界は不自然なほど静まり返っている。
遠くで火柱が昇るたび、空が裂けるように赤く染まり、灰が雪のように舞い落ちてきた。夜とも昼ともつかぬ空の下、炎の赤だけが異様に鮮やかだ。
その中心に、ひとりの女が立っていた。
紅い髪は炎のごとく揺れ、足元から火の粉が渦を巻き、天へと昇っていく。
女が片腕を振り上げる。
火柱が天を突き破り、街並みも塔も溶け落ちていった。
――彼女が燃やしている。
そう悟った瞬間、女が振り返る。
紫水晶のような瞳が、崩れゆく世界の中でただ冷たく光っていた。
◇◇◇
「っは!」
レディアは汗に濡れた髪を振り乱し、飛び起きた。
胸は早鐘のように打ち、息がうまく吸えない。
「……夢、だよね?」
だが、左手に妙な痛みがあった。
そっと手の甲を見ると、赤く爛れたような跡がひとすじ――火傷に似ていた。
「え、なにこれ……」
◇◇◇
――朝。
白いカーテン越しに射し込む陽光が、まだ夢の残滓に縛られたままのレディアの顔を照らした。
熱を帯びた手の甲を袖で隠しながら、レディアは自室を出る。足は自然と父の執務室へ向かっていた。
ノックに応じて、低いが柔らかな声が返ってくる。
「入っておいで、レディア」
書類の山に囲まれた机の向こうで、ヨハン・ヴァイス男爵が顔を上げた。
端正な顔立ちに刻まれた皺は、彼が背負ってきた責任の重さを物語るが、娘に向ける眼差しは変わらず穏やかだ。
「おはようございます、お父様……あの、少しお時間いただけますか?」
ヨハンは書きかけの書類を脇に寄せ、眼鏡を正した。
「構わんよ。……どうした、顔色がすぐれんようだが」
レディアは逡巡の末、昨夜の夢をすべて話した。
炎に包まれる王都、紅い髪の女、そして紫の瞳。
「――以上です。夢なのに、なぜか本当に見たような気がして……」
ヨハンはしばし黙し、顎に手を添えた。立場上、軽々しく答えを出さない癖がある。だが声は静かに温かい。
「夢見を軽んじる者も多いが、わたしはそうは思わん。古来より王国の歴史には、夢が未来を告げる例が幾度となく記されている」
レディアが不安げにうなずくと、ヨハンは父親らしく微笑んだ。
「まずは安心せよ。お前を守るのが私の務めだ。……この件、私のほうでも調べてみよう」
「本当に……?」
「ああ。たまたま王弟殿下――国王の弟君であり、私の旧友でもある方が、近日こちらへお越しになる予定だ。雑談めいてお伝えしても、あのお方なら聞き流すまい」
ヨハンの声音は堅いが、言葉の端に頼もしさがあった。
レディアは胸の重みが少し軽くなるのを感じた。




