第97話:師の声、弟子の心
――蒼真。
眠りの淵で、かすかな声が揺らめいた。
それは羅刹丸の声。柔らかな響きを帯びながらも、確かな重みをもって告げてくる。
(……羅刹丸?)
「俺のスキルを受け入れなかった代償が回ったようだな」
嘲りでも怒声でもない。ただ静かに響く言葉。
だがその奥には、否応なく抗えぬ重みが潜んでいた。
「近いうちに魔族の勇者が現れる。そのとき、今の力では通じはしない。お前は変わらなければならない」
低く響くその声は確信に満ち、戒めであると同時に未来を見通す予言のようでもあった。
蒼真は唇を噛み、低く呟く。
「……変わる、とは……何を変えろというんですか」
「お前はまだ、自分のスキルを使いこなせてはいない。
前に振るえたときも……ただ追い詰められ、暴走したにすぎぬ」
淡々と告げられる声が、鋭い刃のように蒼真の胸を貫いた。
「あの隼人という勇者との戦いが、今もお前を縛っているのだろう。
お前は無意識のうちに、加護やスキルそのものを忌み嫌っている」
わずかに間を置き、羅刹丸は続けた。
「……これは俺にとっても想定外だった。本来なら剣を振るわせるより先に、お前に教えておくべきことがあったのだ。すまない俺の責任だ……。」
その声音には抑えきれぬ悔恨がにじんでいた。
師として伝えるべきものを置き去りにしてしまった。そんな思いが透けていた。
蒼真は小さく首を振った。
「……違う。羅刹丸のせいじゃない。あの加護という力が、僕の積み上げてきた努力を打ち砕いた……それがどうしても許せなかった。結局は僕が……子供すぎただけなんです」
言葉を継ぐように吐き出した。
「謝るのは、僕の方です。命を賭してまで託してくれたスキルを……僕は拒んでしまっていた。……そのツケが、この有り様なんです。『スキルがあっては修行の妨げになる』――そうやって言い訳をして、自分を誤魔化してきただけだった」
声は震え、苦く笑うような響きが混じった。
修行のためだと信じながら、実際にはただ逃げていただけ。
その事実を噛みしめながら、蒼真は悟る。
沈黙が落ちた。
その静寂を破ったのは、低く重みのある羅刹丸の声だった。
「……気づいたのなら、まだ間に合う。
弱さを知る者だけが、本当の強さに手を伸ばせる」
その言葉は叱責ではなく、静かな諭しとして蒼真の胸に響いた。
蒼真は拳を握りしめた。
掌に爪が食い込み、微かな痛みが意識を確かなものに変える。
「……はい。僕は逃げてきました。
でも、もう目を逸らしません。託されたものからも、自分の弱さからも」
左眼の奥が脈打ち、黒い燐光が淡く滲んだ。
それは未熟の象徴であると同時に、未来へと繋がる炎のようにも見えた。
羅刹丸の声が、最後にひとつだけ言葉を落とす。
「ならば、歩め。お前の道を」
その瞬間、夢は静かに途切れた。
蒼真は深く息を吸い込み、眠りの底からゆっくりと浮かび上がっていった。
蒼真はゆっくりとまぶたを開いた。
頬にひやりとした感触が残り、視界の端に涙の粒が光っていた。
夢の中で交わした言葉が、まだ胸の奥に残っている。
その重みを抱いたまま、彼は小さく息を吐いた。
――自分は、まだ弱い。けれど、それを認めた上で進むしかない。
瞳に滲む涙を拭わぬまま、蒼真は静かに天井を見つめていた。
扉がそっと開き、朱音とセリスが顔をのぞかせる。
「蒼真……」
「大丈夫ですか?」
二人の声に蒼真は慌てて手で顔を拭った。だが紅く潤んだ眼は隠しきれない。
朱音がベッドの脇まで駆け寄り、眉をひそめる。
「泣いてたの? 一体何が――」
セリスも心配そうに覗き込み、静かな声で問いかけた。
「怖い夢を見たのですか? それとも……痛みが?」
蒼真はしばし沈黙したのち、かすかに笑みを作った。
「……何でもない。ただ、自分がどれだけ情けないか……改めて思い知らされただけです」
その一言に、朱音とセリスは顔を見合わせた。
どこか力の抜けた声音とは裏腹に、蒼真の瞳にはまだ涙の光が残っている。
セリスは小さく首を振り、穏やかな声で告げる。
「情けなさを知ることは、強さに繋がります。……でも、一人で抱え込まないでくださいね」
蒼真は二人の視線を避けるように天井を見つめ、小さく頷いた。
朝の光がその横顔を照らし、涙の跡を淡く浮かび上がらせていた。
朱音はしばらく黙って蒼真の横顔を見つめていたが、やがて小さく息を吐き声をかけた。
「……体は、大丈夫なの?」
蒼真はゆっくりと身を起こし、無理にでも笑みを作って答えた。
「ああ。もう問題ない。動けるよ」
朱音は眉を寄せたまま彼を見つめる。
その笑顔が本物ではないことくらい、長い付き合いの中で痛いほど分かっていた。
朱音は蒼真の言葉を聞き、しばらく黙り込んだ。
その目に映る彼の笑顔が、ただの強がりであることを見抜いていたからだ。
「……ほんと、無理ばっかり」
小さくため息をつきながら、朱音はベッドの端に腰を下ろした。
蒼真の肩にそっと寄り添い、背に手を添える。
「大丈夫だって言うときほど、大丈夫じゃないんだから。……少しくらい、私に頼ってよ」
蒼真はその言葉に返す言葉を見つけられず、ただ目を伏せた。
けれど、隣から伝わる温もりが心の奥の緊張をほどいていくのを感じていた。




