第82話:力の代償
蒼真の言葉が闘技場に残響のように響いた。
隼人はその声音を聞きながら、笑みを崩さぬまま目を細めた。
(……地獄、ね)
その言葉の重さが、じわりと胸に沈み込んでくる。
軽く口にできる類いのものではない。ましてや、かつての蒼真が吐くような言葉でもなかった。
(この短い間に……一体何があったんだか)
朱音を仲間にしたのは、彼女が過去の勇者の血を引いていたからだ。
紫苑も美咲も、二人とも勇者の血を引いている。
だが仲間にした理由はそれだけではない。
血筋に加え、それぞれに備わった資質を見込んだからだ。
だからこそ蒼真は異質だった。
勇者の血を継いでいるわけでもないのに、その存在感は彼女らを凌駕している。
道場で別れたときの彼とはまるで別人。
隼人は自嘲気味に息を吐く。
(笑える。俺が勝てねぇかもなんて言葉を胸に抱える日が来るとはな……)
そんな思考を断ち切るかのように、レグナのうめき声がなおも闘技場に響き渡った。
「い、痛ぇぇ……助けろぉ……だれかぁ……っ!」
その声に蒼真の眼が冷ややかに揺らめく。
黒い氣が再びざわりと立ち上がろうとした、その瞬間――
「おい、ちょっと待て」
隼人の声が鋭く割り込んだ。
蒼真は動きを止め、わずかに隼人へ視線を向ける。
隼人は顎でレグナを示し、口元に皮肉げな笑みを浮かべる。
「黙らせるなら、俺に任せろ。……あの見苦しい声は俺の耳にも障る」
レグナは血まみれで石床を這いずりながら、なおも叫び声を上げ続けていた。
「ひぃっ……う、腕がぁ……! 痛ぇ、痛ぇんだよおおっ!! 」
あまりの騒がしさに、隼人が深々とため息をついた。
「……ったく、耳障りだな」
隼人はレグナの背後に歩み寄り、その首筋に手刀が振り下ろした。
「がっ……!」
情けない呻き声を最後に、レグナは石床に崩れ落ち完全に気を失った。
血は止まらぬままだが、ようやく闘技場に静けさが戻る。
「おい、セリス」
隼人は軽い調子を崩さぬまま、聖女を振り返った。
「悪ぃが、コイツを治療してやってくれ」
セリスは眉をひそめ、しばし逡巡した。
しかし隼人の真剣な眼差しを見て、静かにうなずく。
「……わかりました。治療を施します」
「頼む。で、どうなんだ?」
セリスを見据え、隼人は顎でレグナの失われた腕を示した。
「コイツの腕、繋がるのか?」
隼人の問いに、セリスはしばし黙した。
レグナの失われた腕を見下ろし、その手に祈りの光を灯す。
淡い輝きが指先から零れ、血に濡れた石床を淡く照らした。
「……腕は、繋げられます」
その一言に、場の空気が揺れる。
隼人は口元を歪め、乾いた笑みを漏らした。
「へぇ……繋げられるのか。だがあえて治さない、って選択肢もありだな?」
その言葉に空気が揺らぐ中、真っ先に声を張り上げたのはレンだった。
「治すべきだ! たとえレグナがどれほど粗暴でも、勇者だぞ!? ここで力を失えば、これからの戦いに支障が出る!」
声は震えていたが、その必死さは誰の耳にも届いた。
対してアメリアは首を振り、毅然とした声で返す。
「彼が勇者であることは確かですが……だからといって全てを赦すのですか? この場での行いは明らかに常軌を逸している。戒めを残すべきです」
勇者同士の意見がぶつかり合い、場の空気が再び緊張に包まれる。
「でも……このままでは、戦力が削がれる」
「だからこそ、彼自身に代償を背負わせるべきです!」
二人のやり取りを黙って聞いていた隼人は、鼻で笑った。
「……なるほどな。賛成と反対で割れてるわけだ」
隼人は視線をセリスへと向けた。
「で、セリスはどう考えてる?」
隼人の問いに、セリスは唇を結んだまま俯いた。
視線の先では、血に濡れたレグナが気を失って倒れている。
腕は繋がる――だが、それが本当に正しいのか。
(治すべきなの……? それとも、このままにすべきなの……?)
聖女としての務めは「救うこと」。
だが同時に、彼の暴走がもたらした恐怖と惨状が脳裏から離れない。
治せば、また同じ過ちを繰り返すのではないか?
そんな疑念が心を締め付けた。
セリスは両手を胸元で組み、震える声を漏らす。
「……私は……迷っています。
癒すべきか、戒めとしてこのままにすべきか……その答えをまだ出せません」
セリスの迷いが言葉となってこぼれ落ちたその瞬間、隼人が軽く片手を上げて割って入った。
「……ま、結論はすぐに出さなくてもいいだろ」
彼は気絶したレグナを顎で示し、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「とりあえず、コイツは保留だ。完全に治す必要はねぇ。
まともに武器を振れねぇ程度に留めて、命だけ繋いでやってくれ」
セリスは迷いを残しつつも静かに頷き、祈りの光を手に宿す。
彼女の癒しが注がれると、レグナの傷は塞がり出血は止まった。
隼人はその様子を見届けると、肩をすくめて呟いた。
「これで十分だ。少しくらい不自由の方が大人しくなるだろう」
セリスの癒しの光が収まった頃、場の緊張はわずかに緩み始めていた。
しかし、その空気を切り裂くように朱音の声が響いた。
「蒼真っ!!」
慌てふためいたその声に誰もが振り返る。
そこには、蒼真がよろめく姿があった。
鋭さを宿していた眼差しはもはや焦点を失い、汗が頬をつたって滴り落ちていく。
「……っ」
短く息を詰めると、そのまま力なく膝を折り石床に崩れ落ちた。
朱音は慌てて駆け寄り、石床に横たわる蒼真を抱き起こした。
蒼真の意識は完全に途切れていた。
勇者たちも一斉にざわめき立つ。
セリスはすぐさま駆け寄り、朱音と並んで膝をついた。
「見せて下さい!すぐに治療します!!」
朱音は必死に彼の名を呼び続ける。
「ねぇ、しっかりして……蒼真!!」
倒れ伏した彼の横顔には、激しい痛みに耐えるような深い苦悶の色が刻まれていた。




