第80話:悲嘆の再会
蒼真の黒い氣が渦を巻き、刀が振り上げられる。
その切っ先は、恐怖に顔を歪めるレグナへと真っ直ぐ向けられていた。
雷獄槍は弾かれ、今のレグナにはもはや防ぐ術はない。
――このままでは、殺される。
「ひ、ひぃいいッ!」
レグナが喉の奥から悲鳴を上げた。
恐怖に駆られた獣のように後ずさる。足がもつれ、床石に躓き、無様に転げそうになりながらも距離を取ろうと必死だった。
「ま、待て……や、やめろ……! お、俺は……まだ死にたくねぇ……!」
震える声は、勇者としての威厳など欠片も残っていなかった
朱音は胸の奥を締めつけられる思いでその光景を見ていた。
レグナがどれほど粗暴で嫌悪すべき勇者であったとしても――蒼真に人を斬らせるなど、絶対にさせたくはなかった。
「やめて蒼真!!!」
朱音の声が闘技場に響いた。
次の瞬間、彼女は地を蹴り蒼真とレグナの間に身を投げ出す。
蒼真の刀が振り下ろされる寸前、朱音は両腕を大きく広げ、彼の前に立ちはだかった。黒い氣が頬をかすめ、髪を逆立てる。
だが、その瞳は一歩も揺らがず、蒼真を真っ直ぐに見据えていた。
「これ以上は……だめ! 蒼真に人殺しなんてさせない!!」
その叫びは、怒りとも祈りともつかぬ震えを帯びていた。
観客席の勇者たちは誰もがその光景に目を奪われる。
蒼真の刃先が朱音の眼前で止まる。
黒い氣がざわめき、刹那の沈黙が闘技場を支配した。
「朱音……」
低く、鋭い声。だがその奥に、一瞬の迷いが混じるのを朱音は確かに感じ取った。
朱音は震える声で叫んだ。
「蒼真……! こんな場所で、あんた……何をしてるのよ!」
朱音は息を荒げ、震える声でなおも叫んだ。
「ワノクニに残って……道場のみんなと修行していたんじゃないの!?
どうしてこんな場所にいるのよ!」
声には怒りよりも困惑と悲しみが滲んでいた。
彼女の瞳は、刃を振りかざしたままの蒼真をまっすぐに射抜く。
「それに……見た目まで変わって……。背丈も、雰囲気も……前のあんたと全然違うじゃない。なにがあったの……蒼真!」
観客席にいた隼人たちも、その言葉に息を呑む。
確かに蒼真は、ただ鍛錬を積んだだけでは説明のつかない変貌を遂げていた。纏う黒い氣は、もはや人間の域を超えた異質なもの。
だが、朱音にはそんなことよりも「彼がなぜここにいるのか」の方が重要だった。
かつて共に剣を交え、同じ道を歩んでいた仲間の・・・家族のはずなのに。
「答えてよ……蒼真……」
その言葉に蒼真の肩がわずかに震えた。
刀を握る手に力がこもり、そしてゆっくりと抜けていく。
刃先が下がり、黒い氣の奔流が静かに収束していった。
「……」
蒼真は何も言わなかった。
ただ、朱音の姿を見据えたまま、剣を下ろした。
観客席から押し殺したようなざわめきが広がる。
黒い氣が静まり、闘技場を覆っていた重苦しい圧がふっと消えた。
蒼真の周囲を覆っていた黒いもやも、いつの間にか霧散していく。
レンは大きく肩で息をしながら、震える声で言った。
「……き、消えた……。黒いもやも……殺気も……なくなった……」
アメリアも胸に手を当て、安堵の息を漏らす。
「ええ……終わったみたいね。少なくとも、もう誰かを斬る気配はないわ……」
二人の視線の先で、蒼真は剣を下ろし、ただ静かに朱音を見つめていた。
さきほどまで人ならざる威圧で場を支配していたその姿は、今はただの人に戻ったかのように見える。
レンは額の汗を拭い、呟いた。
「……なんなんだよ、あいつは……」
アメリアは答えず、ただ険しい表情で蒼真を凝視し続けていた。
静まり返った闘技場。
黒いもやが消え、蒼真は剣を下ろしたまま朱音を見つめていた。
その姿は、さきほどまでの圧倒的な殺気を欠き、まるで隙だらけに見えた。
その光景を、地に崩れ落ちていたレグナの目が見逃すはずもなかった。
「……へへ……チャンスだ……!」
口の端を吊り上げ、心の中で狂気じみた笑みを浮かべる。
彼は震える手で床に落ちていた雷獄槍を掴み取った。
電撃が再び槍身を走り、稲妻のような閃光が走る。
(今なら……奴は無防備だ……! この女ごと、串刺しにしてやる……!)
朱音が蒼真の前に立つ姿が、レグナにはかえって好都合に見えた。
彼女を盾にすれば、蒼真とて回避できない。
血と雷光が弾ける瞬間を想像し、レグナの瞳に狂気が宿る。
「死ねぇッ!!」
稲妻を纏った槍先が朱音と蒼真へと突き出される。
「なっ――レグナ!?」
「馬鹿な、何をしている!」
観客席の勇者たちが一斉に目を見開いた。
突き出された雷獄槍が朱音の背中へと迫る。
「朱音、逃げろッ!」
隼人が急いで声を張り上げる。
「……っ……!」
だが朱音は動けなかった。背中に迫る殺気に自分の足が、まるで地面に縫いつけられたように硬直していた。
次の瞬間――。
「……朱音に手を出す気か……貴様だけは絶対に許さない!」
低い声と共に、蒼真の姿がふっと掻き消える。
気づけば朱音の背後へと回り込み、黒い氣を纏った刀が閃いた。
雷獄槍が突き出される直前、蒼真の刃がレグナの両腕を薙ぎ払う。
斬撃の軌跡が閃光となり、稲妻を纏った両腕ごと雷獄槍が宙を舞った。
「ぎゃああああああああッ!!!」
レグナの絶叫が闘技場に響き渡る。
両腕を失った彼は痛みに身をよじり地をのたうちまわる。床石に叩きつけられた雷獄槍は雷鳴を散らし、制御を失った稲妻が四散して石壁を焼いた。
朱音は目を見開き、震える声を漏らした。
「そ、蒼真……」
勇者たちは誰も声を発せなかった。
ただ、無慈悲な一閃でレグナの両腕を斬り飛ばし戦闘不能に追い込みながらも、なおも冷然と立つ蒼真の背に言葉を失っていた。




