第8話:勇者の強さ、その正体
蒼真の修行を見ながら、羅刹丸は夜の静けさの中でふと口を開いた。
「……お前は、勇者という存在がなぜ異常なまでに強いのか、考えたことはあるか?」
蒼真は木刀を下ろし、汗を拭きながら首を傾げた。
「……隼人の動きは、どう考えても人間の反応速度じゃなかった。けど、それが生まれ持った才能だと……」
羅刹丸は鼻で笑った。
「違う。あれは人間の域を超えている。……理由は一つ。
勇者はこの世界に呼ばれる時、神――いや、上位存在から《加護》を与えられる」
「……加護?」
「そうだ。見えざる守りとも、運命の補正とも呼ばれる。
斬られるべき太刀が逸れる。致命傷が浅くなる。氣の流れが自然と整い、理解を超えた直感が働く」
蒼真は息を呑んだ。思い返せば、隼人の剣筋には綻びがあった。だが、それを打ち抜く瞬間に、なぜか全てかわされていた。
「つまり、隼人の強さは……」
「半分はそいつ自身の天賦の才。だが、残る半分は――《世界に祝福されている》が故の加護によるものだ」
羅刹丸はその瞳を鋭く細めた。
「勇者というのは、選ばれた存在なんだ。その強さは神の手によって作られた」
「……そんなものが……加護なんて知らなかった」
蒼真の声がかすれる。だが、羅刹丸は静かに語り始めた。
「こんな島国に住んでるお前は何も知らないようだな。人間の世界には特例がある。
加護を与えられる人間は、基本的に異世界から召喚された者だけ……その数、最大で四人」
「……四人も?」
「そうだ。世界の理だ。召喚されし異邦の者にのみ、神々は祝福を下す。
この世界の者がいくら努力しようと、その加護には届かん。
お前が隼人に感じた理不尽なまでの強さ。それは、その加護の力だ」
蒼真は唇を噛み締める。
「……なんだよ、それ。じゃあ奴らはこの世界に来た瞬間から強いということか……!」
羅刹丸は続けた。
「だが――魔族には、もう一つの理がある。
我らは異世界の者でなくとも、例外的に加護を受けし者が現れる。こちらも四人に限って、な」
蒼真の目が見開かれる。
「魔族にも……? 異世界に頼らず……?」
「ああ。我ら魔族の血と魂の中には、時折、神意を受ける器が生まれる。
その者は、異世界を介さずとも神より選ばれ、戦乱の世に災厄をもたらすとされた」
「つまり……勇者と、同格の加護を持つ者が……?」
「そういうことだ。だがな、蒼真――」
羅刹丸は火の中をじっと見つめる。
「加護があるから強いのではない。その力をどう使うかで、剣の在り方は決まる。
いや、努力でしか這い上がれぬ者にしか見えぬ道もある」
「……僕に、できるかな」
「できるとも。なぜなら――この修羅の山に自らの足で登ってきた愚か者は、
加護ではなく覚悟を持っているからだ」
羅刹丸の声が重く響いた。
「そしてもう一つ。魔族に与えられし加護は、戦って奪い取ることができる」
蒼真は思わず顔を上げた。
「……奪える?」
「ああ。魔族に選ばれし四人の加護者は、決して神から一方的に与えられるだけではない。命を賭けた戦いの果てに、勝者へと受け継がれる」
「じゃあ……加護を持つ魔族を倒せば、僕にも……!」
「ああ、加護を得られるはずだ。だが、召喚された勇者どもからは奪えん。さらに奴らは魔族の加護を奪うことができない」
「……それは、なぜ?」
羅刹丸は肩をすくめて笑った。
「知らん。だが、そう決まっている。神か世界か、誰かがそう定めたらしい。
つまり――この世には神が定めしルールがあるってことだ」
蒼真は、瞳の奥に隼人の姿を思い浮かべた。
ありえない強さ。触れられない加護。
あの少年がまとう無邪気な理不尽は、まさにそれだった。
「だが、お前は……」
羅刹丸が静かに言葉を継ぐ。
「まだ何も持たぬ者だ。だからこそ、何かを奪い、何かを得る資格がある。
勇者どもには不可能な唯一の道だ」
「だが、忘れるな。加護を宿す者は、もはや常人の域にはない。その力を持つ者に、正面から勝てる存在など、ほんの一握りしかいない。加護は奪える。だがな、加護を持つ者に勝てる者が、どれだけいる?」
そう語る羅刹丸の言葉には、無数の死を見てきた者の静かな確信があった。
事実、これまでにも多くの者が加護を狙ったという。
だが全て返り討ちに遭い、ただの屍となった。
勝つ者がいないのなら、奪うことなど永遠に叶わない。
人は次第に恐れ、挑むことすら諦め、そして真実は伝説として忘れられていった。
魔族の加護は奪える。けれど、それを奪うには、
加護を持たない者が、加護持ちを上回るという、絶望的な条件を満たさねばならない。それこそが、誰も魔族の加護を奪えない最大の理由だった。
(……それを受け継いだら、俺も……だけど……)
拳を握る。胸の奥で、言い知れぬ不安が渦巻いていた。
(人間である俺が、魔族の加護を得ていいのか?
いや……本当に人間のままでいられるのか?)
魔族の力を得る――それは、外見や姿が変わらずとも、
理の上では魔族の側へ一歩踏み込むことを意味している。
蒼真の脳裏に、朱音の顔が浮かんだ。
そして、蒼神流の道場。早乙女琴音の言葉。
すべてを、置いてきたものたちの記憶。
(俺は、誰のために強くなりたいんだ?
何を守るために、剣を取った?)
そのとき、静かな声が届いた。
「迷いは、力を鈍らせるぞ」
振り向けば、羅刹丸が焔のような瞳で蒼真を見ていた。
「魔族の加護は魔族の証ではない。
それは、お前が何者かを決める証でもない」
「……!」
「力とは、何を為すかで価値が決まる。
人間が魔族の加護を得ようと、魂まで魔族に染まるとは限らん」
静かな確信に満ちた声だった。
その言葉に、蒼真の中の迷いが、少しずつ薄れていく。
加護――強大で、抗いがたい力。
だが、それと引き換えに失うものもある。
自分が自分ではなくなるような、微かな怖れがあった。
蒼真はひとり刀を見つめていた。
その刃には、まだ何も映っていない。
ただ、未熟で、弱くて、真っ直ぐな自分だけがいた。
(俺は……)
ゆっくりと刀を振りかぶる。
(加護なんて、まだ俺には早すぎる。強くなるのに、近道はいらない。
ただ、一振り一振り、俺の剣を極めるだけだ)
空を斬る。
氣を練る。
己の肉体と、精神と、魂のすべてを込めて斬る。
羅刹丸は、言葉もなくその姿を見つめていた。
やがて小さく呟く。
「……欲を捨てたか。ならばお前は、間違いなく剣の道に生きている」
蒼真の修行は、そこから本当の意味で始まった。
剣聖でも、勇者でもない。
ただの人間――天城蒼真が、自分の道を歩み出す第一歩だった。




