第77話:理不尽な力
雷鳴と共に現れた槍。
稲妻が迸り鉄格子を黒く焦がし、床石を爆ぜさせる。
蒼真は仮面の奥で目を見開いた。
(……これが……勇者の神器……!?)
ただの武器ではない。
目の前にあるのは、持ち主の氣と一体化し、常識を超えた力を発揮する異質の存在だった。槍そのものが生き物のように唸り、纏う雷は意志を持っているかのごとく蒼真に牙を剥く。
(力そのものが……具現化している。人の技や鍛錬では届かない領域……これが、神に選ばれた者の力か)
胸の奥を冷たい衝撃が貫いた。食いしばった歯が鳴る。
勇者らが持つ加護の力の隔絶した差を痛感したのだ。
だが剣先は揺るがない。蒼真は静かに息を吐き、剣を構え直す。
「神器……勇者の力、か。だが――」
低く、だがはっきりとした声が響く。
「その力を何に使うかで、人の価値は決まる」
レグナが雷槍を振り上げ、獰猛な笑みを浮かべる。
「言ってろよ! その仮面ごと、雷で焼き潰してやる!!」
雷と衝撃が交錯し、闘技場全体が軋む。
稲妻が壁を裂き、床石を爆ぜさせる。
蒼真は一歩も引かず、仮面の奥で鋭く視線を走らせた。
(……見切った。神器を振るっても肉体は強化されていない。結局は槍頼み……ならば、それを受けなければいいだけだ)
だが槍先から解き放たれる雷光だけが常識を超えていた。筋力や技量ではなく、神器が持ち主に与える領域外の力。それが周囲の空気を裂き、触れただけで肉を灼く牙へと変わる。
蒼真は冷静に呼吸を整え、槍の軌跡を紙一重でかわした。
刹那、横薙ぎの雷閃が走る。
反射的に身をひねり避けきったはずの蒼真の肩を、槍から迸る稲妻が掠めた。
「――ぐッ!?」
全身を灼く衝撃。瞬間的に膝が沈む。
皮膚の下を焼き裂くような痛みと共に、指先が痺れ剣を握る力が一瞬奪われる。
「はははっ、どうだァ!? 避けても無駄だろうが!」
雷槍を構え直し、レグナが吠える。
その笑みは獣が獲物を追い詰めた悦びそのものだった。
雷槍が振り下ろされ、轟音と共に稲妻が奔った。
瞬間、蒼真の刀に触れた電撃が爆ぜ、白光が闘技場を焼き尽くす。
「――ッ……!」
全身を灼き裂く衝撃。
凄まじい電流が神経を焼き、筋肉を硬直させた。剣を握る指が痙攣し力が抜ける。
膝が砕けたように折れ、蒼真の身体は石床へ叩きつけられた。
その衝撃で乾いた音を立て仮面に亀裂が走る。
次の瞬間、仮面は粉々に砕け破片が石床へ散った。
素顔が露わになる。
血に濡れた額、歯を食いしばる口元、そして何より、必死に抗おうとする眼差しがむき出しとなった。
「はははっ! どうだ仮面野郎……いや、もう隠せてねえな!そんな面だったのかよ!」
レグナの嘲笑が闘技場に響き、稲妻がなおも槍を奔る。
蒼真の視界は揺らぎ、耳鳴りが轟ていた。
(……く……立て……まだ……終わりじゃない……!)
焼けつくような痺れが全身を駆け巡り、石床に伏した身体は鉛のように動かない。
(……これが……勇者の力……)
思考の隙間を縫うように、冷たい怒りと虚しさが胸を突いた。
鍛錬に鍛錬を重ね、ひたすらに理想の一撃を追い求めてきた。
夜を削り、血を流し、肉体を限界まで酷使し積み上げてきた努力の果てにようやく掴みかけた技。
だが今、目の前で振るわれる雷槍は、そのすべてを容易く蹂躙していく。
(……なんて理不尽な力だ……。技でも、気迫でも、鍛錬でも届かぬ領域を……神の加護とやらは、たやすく与えてしまうのか)
唇がわずかに震え、石床に血が滲む。
己の研鑽を嘲笑うかのように、雷光は容赦なく身体を焼いた。
(ならば……これまでの努力は……無意味だったのか……?)
胸の奥に広がるのは、深い絶望と、なおも消えぬ炎。
無力感に押し潰されながらも、彼の眼はまだ閉じていなかった。
(……否……。理不尽だからこそ、抗う意味がある。
積み重ねてきたものを、ここで踏みにじらせはしない……!)
呻き声を押し殺しながら、蒼真は石床に片手をついた。
全身は痺れ、立ち上がる力など残ってはいないはずだった。
それでも剣から指を離すことはなかった。
(……踏みにじられてたまるか……。理不尽に抗うために、僕は剣を握ってきた……!)
その瞬間だった。
――じわり。
左眼の奥が灼けるように疼き、黒い闇が滲み出す。
まるで血の代わりに影が流れ出すように、黒いオーラが眼窩から立ち昇った。
「……ッ……!」
息を呑む蒼真自身、理解できない感覚だった。
冷たいのに熱く、重いのに軽い。矛盾した力が体を這い、痺れていた四肢へと染み渡っていく。
左眼から広がる闇の光が妖しく揺らめいた。
ただの剣士であるはずの蒼真の周囲に、異質な氣が漂い始める。
雷を纏う神器と、黒い左眼のオーラ――。
二つの異形の力が、闘技場の空気をねじ曲げていった。
(……これは……?何が起こっているんだ?……)
黒いオーラは蒼真の意志とは無関係に広がり、周囲の空気を圧し潰す。
雷を纏った神器の光さえも、わずかに鈍らせるほどの異質な力。
その正体を、蒼真は本能で理解していた。
(……まさか魔族のスキルが……!?)
体を蝕んでいた痺れが、逆に研ぎ澄まされた刃のように変わっていく。
筋肉が震え、血管の奥を黒い力が駆け巡り、焼けたはずの四肢に力が戻り始めた。
「おいおい……なんだァ? その眼は……」
雷槍を構えたままのレグナが、獣じみた笑みを消す。
彼すらも一瞬、背筋を撫でる寒気を覚えたのだ。
蒼真の左眼――そこには人のものとは思えぬ、黒い光が揺らめいていた。




