第74話:殺意の槍
暴漢としか思えぬ男が勇者と名乗ったその刹那、蒼真の胸に冷たい衝撃が突き刺さった。視線が鋭さを増し、握った剣柄に自然と力が宿る。
(勇者……これが勇者だって? ただの暴力と欲望に溺れた獣……そんなものが世界を救う救世主だと……?)
頭の奥に隼人の姿がよぎる。彼もまた勇者としてこの世界に呼ばれたはず。
戦いを前にしてもどこか人事のように笑っていたが悪意は感じなかった
(だが……今、目の前にいるこいつは違う)
レグナの放つ氣は、ただ純粋に破壊と暴力の欲望だけで形作られていた。
そこに使命も責務もない。あるのは、殺すために生き、壊すために喜ぶという本能。
「同じ勇者でありながら……これほどまでに違うのか」
胸の奥に渦巻くのは、言いようのない苛立ちだった。
仮面をつけていたからこそ、蒼真はその動揺を外に漏らさずに済んだ。
だが心臓の鼓動は、確かに速まっている。
「お前に勇者を名乗る資格はない」
レグナの口元がぴくりと歪む。
「……は?」
「勇者とは、人を救うためにその力を振るう者のはずだ。
だが……お前から感じるのは破壊と殺意だけ。 暴力に酔い、人を蹂躙する獣にすぎない」
仮面の下の視線が鋭く突き刺さる。
「そんなものに、勇者の名は汚されない」
一瞬の静寂。
だが次の瞬間、レグナの口からは獰猛な笑い声が迸った。
「ははははっ! いいな、それ! そういう正義ヅラした言葉が一番ムカつくんだよ!」
槍が振りかぶられ、紫電が迸る。
「勇者の資格? そんなもん知らねぇ! 俺は俺の欲望に従う! それが俺の正義だ!邪魔する奴は誰だろうと潰す!!」
歓声と悲鳴が交錯する中、闘技場の空気が爆ぜる。
蒼真とレグナが同時に踏み出した。
「おおおおっ!」
咆哮と共に、レグナの槍が一直線に突き出された。
鋭い切っ先が空気を裂き、石床にひびを走らせるほどの圧。
ただの突きでありながら、それは猛獣の牙にも等しい殺意を孕んでいた。
蒼真の目が細まる。
(速い……! だが、見える)
次の瞬間、蒼真の剣が閃いた。
剣と槍がぶつかり合い、耳を劈く火花が散る。
「ほう……受けやがったか!」
レグナの口元に獰猛な笑みが浮かぶ。
押し込む力は岩をも砕く膂力、全身の筋肉がうなりを上げ、槍を通して衝撃が叩き込まれる。
「なに……っ!?」
レグナがわずかに目を見開く。
次の瞬間、蒼真の剣が滑るように角度を変え槍を押し流す。
勢いを削がれた槍先は石床を抉り、破片が飛び散った。
蒼真は静かに言い放つ。
「力任せの突進。それが勇者の戦い方か?あまりガッカリさせないでくれ」
レグナの目がギラつく。
「ははっ……いいぜ。ますます楽しくなってきやがった!」
歓声とも悲鳴ともつかぬ叫びが観客席から沸き上がる。
闘技場の中央で、剣と槍。二つの刃が火花を散らし、血の戦いの幕が切って落とされた。火花が散り、互いの武器が押し合う形で一瞬の拮抗が生まれた。
だがその裏で、二人の頭脳は凄まじい速さで相手を見極めていた。
(……力の塊。技術ではなく、膂力と勘で戦う獣だ。
だが、その一撃には迷いがない。殺すためだけに振るわれた攻撃……)
一方のレグナも、笑みを浮かべながら相手を値踏みしていた。
(軽く叩き潰すつもりだったが……こいつ、只者じゃねぇな。
俺の突きを受け止めて立ってやがる。しかも、俺の力を利用して受け流しやがった!)
槍と剣がわずかに離れ、二人の間に鋭い間合いが広がる。
紫電のような視線と、仮面に隠された無表情が交錯した。
「面白ぇ。やっぱ戦いはこうじゃないとな」
レグナの口元がさらに獰猛に歪む。
蒼真は一切言葉を返さない。
ただ構えを崩さず、次の一撃を迎え撃つ姿勢を見せていた。闘技場の空気そのものが張り裂けるような緊張に包まれていく。
一方王宮では。
煌びやかなシャンデリアの下、勇者たちと各国の使節が集められていた。
重苦しい空気の中、セリスは静かに口を開く。
「先日、王都に魔族が持ち込んだ爆破兵器を発見しました。幸い被害は未然に防げましたが、まだ爆破をもくろむ魔族が潜んでいる可能性があります」
その言葉に、紫苑の瞳が鋭さを増す。
「……兵器が持ち込まれるまで気づけなかったとなれば、王都の警戒網は既に破られていると考えるべきですね」
朱音も険しい顔で腕を組む。
「だったら次は、もっと大規模な襲撃が来てもおかしくないわね」
美咲は落ち着きなく周囲を見回し、小声で呟いた。
「でもさ、こういうときって勇者が全員そろってるべきじゃない?」
その言葉に、場の空気がふっと揺らぐ。紫苑が眉をひそめ、出席者を見回した。
「そういえばまたグラディア王国の勇者――レグナの姿が見えませんね」
一瞬の沈黙。
セリスの胸に嫌な予感が広がる。
彼女は心の奥でぎゅっと手を握りしめた。
(……やはり。彼は会議に来ませんか)
脳裏に浮かぶのは、かつて一瞬だけ見たレグナの瞳。あの獰猛さ。
(蒼真……あなたに話しておくべきでした。
勇者の中に危険な存在がいるということを――)
祈るように胸に手を当て、セリスは静かに目を閉じた。
だがその祈りが届く前に、地下の闘技場ではすでに血と鉄の激突が始まっていた。




