第60話:勇者たちの亀裂(勇者side)
会議が終わり、貴族たちが退席し、王族や将官たちが控室へと散っていく中。
まだその場に残っていたのは、各国の勇者たちとその関係者たちだった。
「……ちっ、下らねぇ茶番だったな」
その沈黙を破ったのは、やはりグラディア王国の勇者――レグナ・ブラッドフォードだった。分厚い鎧を軋ませながら乱暴に椅子を蹴り飛ばすと、重い音が会議場に響く。
「“私闘を控えろ”だ? “節度を守れ”だ? ……戦争なめてんのか、あいつら」
その怒気を孕んだ独白に、空気がひりつく。
誰もが距離を置くなか、ミレイダ王国の勇者・結城レンが気まずそうに視線を逸らす。
「えっと……いや、その、レグナさん? 一応、俺たち協力し合うって建前が――」
「おいガキ、お前俺に指図すんのか?」
「っ……!」
レグナの鋭い視線に射抜かれ、レンは思わず一歩後ずさった。
「な、なんだよ……別に指図とかじゃなくて……っ」
「聞こえなかったか? 俺がやってるのは戦争なんだよ。お前らみたいなお遊び勇者と一緒にされちゃ困んだよ」
ぴたり、と空気が凍る。
その場にいた全員が、その一言の重みに気づいていた。
紫苑が冷たい声で口を開く。
「……あなたの言うお遊び勇者に、誰が含まれるのかしら?」
「決まってんだろ。こいつだよ」
レグナがあからさまに顎をしゃくった先には、リグゼリア王国の勇者――瀬名隼人。
彼は相変わらず、肩の力が抜けたように笑っていた。
「俺? ああ……まぁ否定はしないけどさ、少なくとも他人の戦果を踏みにじるような真似はしてないつもりだけど?」
「ハッ、甘味処巡りしてたって話、会議で聞いたばっかだぜ?」
「だって美味しかったし。今度、君もどう?」
その軽口がさらに火に油を注ぐ。
朱音の額に、再び青筋が浮かぶ。
「……こっちはマジで殴っていい気がしてきた」
「ダメ、絶対ダメだから朱音ちゃん!」
美咲が全力で止めに入る。
だが、その場の空気はすでに限界寸前だった。
アメリア・アルフォードが、低く、だが通る声で言った。
「レグナ。戦果を誇ることは否定しません。でも、私たちは同盟のもとにここへ呼ばれた。あなたの行動はあまりに目に余る」
「同盟? 笑わせんな。俺は命張って戦ってきた。なのに、お前らはなにしてた? 魔族の気配が濃くなってるって報告するだけ? 偵察? 情報収集? そんなもんで戦が終わるなら苦労しねぇんだよ!」
「……!」
アメリアの瞳がわずかに揺れる。
だが彼女は一歩も引かなかった。
「言葉は武器。情報もまた、戦を制する鍵です。あなたのような戦力が貴重であることは事実。でも、それがすべてではありません」
「お高く止まりやがって……!」
レグナの拳が無造作に振るわれ、厚い石壁が鈍い音を立てて陥没した。
砕けた石片が空中に散り、白い粉塵がじわじわと舞い上がる。
誰も声を発することなく、その場の空気が一瞬にして凍りついた。
「……くだらねぇ」
低く吐き捨てるように言い残すと、レグナは誰の制止も振り払うようにその場を後にした。重い足音だけが、冷えた廊下にいつまでも響いていた。
それを見ていたセリスは、静かに目を閉じた。
(……分裂の兆し)
このままでは、勇者たちは共闘どころか、互いに足を引っ張ることになる。
(王たちは、それを見越してこの会議を開いたのでは……? 選別し、試すために)
そして、最も危険な存在――レグナ。
だが、それだけではない。
集められた勇者たちの誰もが、それぞれに異なる火種を抱えている。
その不協和が、やがて大きな炎となる予感だけが、セリスの胸をざわつかせていた。
―――重い鉄靴の足音が、静まり返った回廊に鈍く響く。
押し殺した怒りが、皮膚の下でじりじりと渦巻いていた。
協力だの平和だの。どいつもこいつも、薄っぺらい幻想を信じてやがる。
(戦いってのはな……奪うためにあるんだよ)
命を、領土を、誇りを――力ある者が弱者から好きなだけ奪う。それが戦場だ。
守るため? 救うため? 笑わせるな。奪えない奴は、ただの偽善を掲げて死んでいくだけだ。
重い足音が静まり返った回廊に響くたび、腹の底に溜めた苛立ちが、じわじわと形になっていく。振り返る者はいない。いや、振り返ることすら許されない空気が、彼の背から滲んでいた。
今すぐ何かを壊したい。
この手で、誰かを叩き潰したい。
――それが、レグナ・ブラッドフォードという男の正義だった。
「……胸糞悪ィ」
吐き捨てるように呟きながら、王城近くの軍用兵舎区域へと足を向ける。
道を塞ぐ衛兵たちも、彼の姿を見るなり道を空けた――恐怖と諦念が、その背中に滲んでいる。
兵舎裏の演習場。
そこには、レグナの仲間たちが既に待っていた。
「やっと来たか。遅いぜ、レグナ」
大柄な男――ギルが、地面に突き刺した両手斧にもたれかかりながら、不敵に笑う。
その瞳には、血を欲する獣の色が宿っていた。
「なァんか顔がムカついてんな。会議場で噛み殺したいヤツでもいたのか?」
「何十人もな」
レグナは返事の代わりに、石ころを一つ蹴り飛ばした。
「会議は茶番だった。ぬるい理屈ばっか並べて、牙を抜かれた犬みてぇな連中ばかりだ」
「はん、そりゃムカつくな。で、殴らなかったんだ?」
そう呟いたのは、黒髪をかきあげる女――イリア。
艶やかな口元を吊り上げ、腰の双剣に手を添えながら、楽しげに問う。
「アタシならぶっ刺してたかも。……それとも、ちゃんと自制したの? 珍しいじゃない」
「したんじゃねぇ。させられただけだ。場所と順番が悪かった」
レグナは苛立たしげに歯を食いしばった。
「……このままじゃ氣が収まらねぇ。殺すか、壊すかしなきゃ、俺の中の何かが爆ぜる」
その言葉に、ギルが豪快に笑った。
「じゃあ、暴れようぜ。ちょうど面白そうな話を仕入れた。王都の東側、貧民区の外れに怪しい連中がうろついてるってよ」
「魔族か?」
「わかんねぇ。けど……敵って決めちまえば、何の問題もねぇだろ?」
イリアもくすくすと笑いながら、足元の石を蹴った。
「ねえレグナ。さっきの苛立ち、アタシにも分けてよ。暴れるにはちょうどいい夜だと思わない?」
その目は、獲物を求める蛇のように細く光っていた。
レグナは答えず、ただ槍を手に取り、無造作に地面へと突き立てた。
――ドンッ。
空気が一瞬、震えた。
「誰でもいい。ぶっ壊せるもんを探す。戦場じゃねぇ場所で、どこまでやれるか……見せてやるよ」
ギルは手斧を片手に取り、肩を回す。
「いいな……やっぱ、オマエが一番面白れぇよ」
「死人が出たら報告しろって王命だったけど、ま、俺たちにゃ関係ないか」
「関係あるわけねーだろ」
三人は夜の闇に歩き出す。
その背には、正義も秩序もない。ただ――血と暴力への欲求だけが揺れていた。
王都に、静かな狂気が解き放たれようとしていた。




