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第6話:船出の時(朱音side)

波が穏やかに揺れる港に、朝の光が差し込み始めていた。

朱音は、ため息を漏らしながら、静かに船の甲板に立っていた。


振り返れば、遠くに見えるのは故郷――ワノクニ。

竹林に囲まれた道場、母・琴音の厳しい声、蒼真との打ち合い、汗と氣が交錯する日々。すべてが、今では遠く感じられる。


「……ちゃんと、言えなかったな」


呟いた声は、潮風にかき消された。


朱音は最後まで、蒼真にきちんと伝えることができなかった。

なぜ自分がこの旅に出るのか――勇者の一行に加わるということが、どういう意味を持つのか。


「 (……あんたには関係ないって、言いそうだったから)」


気まずさ。

言葉にできない感情が頭を渦巻いていた


それでも、自分が行くべきだと思った。

瀬名隼人。才能だけで剣を振るう少年に、剣を持つ意味を教えるために。

それが母に託された役目であり、今の自分にできることだと信じている。


……けど、ほんの少しだけ、心のどこかで願っていた。

蒼真が、追いかけてきてくれるかもしれないって。


「……馬鹿みたいだな、あたし」


呟いて笑った朱音の表情は、少しだけ寂しげだった。

潮風に髪を揺らしながら、最後にもう一度だけ、故郷の島影を見つめる。


その背後に、静かな足音。

振り返ると、綾小路紫苑がそっと隣に立っていた。


「心残り、ですか?」


「……ちょっとだけね。でも、後悔はしてない」


紫苑の穏やかな声に、朱音は目を伏せて小さく笑った。

だがその直後、背後から元気な声が割って入る。


「なになに? 恋バナ? いいなー、青春!」


東雲美咲が、にこにこと無遠慮に肩を組んでくる。


「違うっつの! というか、あんた朝から元気すぎでしょ!」


「へへー、だって旅の始まりだよ? ワクワクするに決まってるじゃん!」


「……ほんと、あんたって自由だね」


それでも、その明るさに救われる自分がいる。

朱音はふと空を仰ぎ、目を細めた。

いつか、もう一度――胸を張って、蒼真と向き合うために。


「出発だな」

すぐ近くから声がした。隼人だった。

船縁に腕をかけ、遠ざかる景色を興味なさげに眺めている。


「……なんかあっけないね。もっとこう、盛大に送り出されるもんかと思ったけど」


朱音は思わず苦笑した。

本当に、この男はどこまでも飄々としている。


「でもまあ……来てくれて、ありがとな」


「は?」


「君が来るって聞いて、少し安心したんだ。なんか、俺だけだったら道間違えそうだったしさ」


「……はぁ。変なとこで素直なんだから」


朱音は小さくため息をついた。

だがその顔は、ほんのわずかにほころんでいた。


(……ほんと、わけわかんない人だ)


けれど、だからこそ放っておけなかった。

剣を持つ理由も覚悟も知らないまま進んでいく彼を、その背中を。

今の自分にできることが、そこにあると思った。

朱音は、船の縁に手をかけたまま、隣に立つ隼人へ声をかけた。


「ねえ、王国って……どんなところなの?」


隼人は、潮風に髪をなびかせながら空を見ていたが、ゆるく微笑んで朱音の方を振り向いた。


「リグゼリア王国のこと?」


「うん。正直、何も知らないままで……踏み出しちゃったから」


朱音は素直にそう言った。怖さを口にするわけじゃない。ただ、知らない世界に行くという事実を噛みしめるように。


「んー、そうだな……」

隼人は少し考えるように視線を巡らせた。


「綺麗だよ。街も建物も、空も。文明もそこそこ進んでて……でも、綺麗なだけじゃない」


「……どういう意味?」


「表と裏が、きっちり分かれてる。勇者とか、王族とか、魔術士とか、地位や加護で生き方が決まる場所でもある」


言いながら、隼人の目は少しだけ遠くを見つめていた。

どこか――それを良しとはしていないような色をしていた。


波が船の横を滑っていく。

その先にあるのは、見たこともない王国。

新たな戦いと、出会いと、そして――自分を試す旅。


「そう……でも私は行くよ。私の剣で魔族も倒す」


誰に聞かせるでもなく、朱音は静かに呟いた。


隼人はその言葉に何も言わず、微笑みを浮かべて空を見上げた。

美咲は「おー! よっしゃー! 冒険だー!」と騒がしく走り回っている。


(さよなら、蒼真。行ってくるよ)


その名を声には出さず、胸の内だけで呟く。

何かを言えば、涙が零れてしまいそうだった。


本当は話したかった。

最後に一言でも、気持ちを伝えたかった。


でも、それをすればきっと揺らいでしまう。

蒼真の顔を見てしまえば、足は止まり、心が乱れる。


(……だけど、行く)


この旅は誰かに背中を押されて始めたものじゃない。

自分で決めた道だ。

彼の傍にいたいからじゃない。

剣を学び直すためでもない。


隼人という異物に触れて、朱音は悟った。

自分がまだ何者でもないこと。

ただ道場で勝ち続けていた程度の、ちっぽけな自信だったこと。

ならば、それを壊しにいく。


波が揺れる。

世界が、少しだけ動いた気がした。


朱音は、目を閉じて小さく息を吐いた。

どこか寂しげに、それでも迷いなく――。


(私も、ここから始める)


小さな決意が、風に溶けて空へ舞っていった。


──このとき朱音はまだ知らなかった。

この旅が、己の信念を問われる壮絶な試練になることも。

そして、蒼真と――思いがけぬ形で剣を交える日が来ることも。


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