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第46話:闘技場へ

王都西区、くすんだ路地の奥にある裏市場――

夕暮れの雑踏が遠のくにつれ空気はどこか澱んでいく。人通りの絶えた細道の先、二軒並んだ古びた武器屋の間を抜けると、黒ずんだ鉄扉がひっそりと口を開けていた。


蒼真は扉の前で立ち止まり、無言で深く息を吸った。


(ここが、俺の踏み出す第一歩……)


扉には何の印もなかった。ただの倉庫にも見える場所――

だが、彼は扉に手をかける前に、情報屋に教えられた合言葉を低く呟く。


「……沈黙の刃」


その瞬間、ギィィ……と錆びついた音を立てて、扉がゆっくりと内側へ開かれる。


待っていたのは、武装した男たちと、殺気すら滲む沈黙の空気だった。

ひときわ大柄な男が一歩前に出る。無精髭をたくわえたその男は、蒼真の顔と体格をざっと見て、言った。


「新入りか。命が惜しくないらしいな」


「金が要る。ここで稼ぐ」


淡々と返す蒼真の声に、男は口角をわずかに上げた。


「上等。なら、こっちだ」


案内されたのは受付と呼ぶにはあまりに無骨な、石壁の一角だった。

鉄格子越しに座っていた男が、面倒くさそうに書類を広げている。

目が合うと、煙草をくわえたたまま、ぶっきらぼうに言った。


「名前。年齢。経歴があるなら記せ。偽名でもいいけど、遺書もどきに使うからな。勝手に死ぬなよ」


受付の鉄格子越しに、男が無愛想に書類をまとめる中、蒼真はわずかに声を低めて口を開いた。


「……名前は偽名で構わないんだな?」


「構わないさ。どうせ本名で呼ばれる暇もない。死体になる前に、観客が憶えるのはあんたの異名だからね」


蒼真は小さく頷き、続けた。


「もうひとつ……顔を隠して戦うのは、許されるか?」


その言葉に、男の手が止まる。

わずかに目を細め、こちらを見据えるように問い返してきた。


「仮面か? フードか? それとも布で覆うだけか?」


「仮面を考えている。素顔を晒すつもりはない」


数秒の沈黙ののち、男は短く笑った。


「面白い趣味だな。まぁ、闘技場じゃ珍しくはない。素性を隠したい連中は山ほどいるし、観客の中に仮面の剣士なんて肩書に酔う変わり者も多い。だけどな・・・」


「何か問題は?」


「視界が狭くなるのは戦闘では不利でしかないぞ。それに逃げも隠れもせず戦う者のほうが、賭け率は上がるぞ?」


蒼真は静かに目を伏せ、仮面のことを思い浮かべながら答えた。


「それでも、顔は晒せない」


その言葉に、男は何も言わず、ただ用紙にさらさらとペンを走らせた。


「――で、登録する名前は何にする?。何でもいいけど、観客に呼ばれるとしたらそれになる」


蒼真はわずかに目を伏せ、沈黙する。

ペンの音が止まり、空気に小さな緊張が走った。


(偽名……俺の名前じゃなくて、けれど、俺を象徴するもの……)


思い浮かんだのは、かつて背中を追いかけた人物。

己に剣を教え、生きる覚悟を与えてくれた――恩人の名。


静かに、だが確かな声音で蒼真は口を開いた。


「……ラセツ」


男の眉がわずかに動いた。


羅刹ラセツ? 随分と、物騒な名だな」


「……理由は訊かないでくれ」


「訊かないよ。どうせこの場にいる連中は、皆そういう顔をしてる」


男は「ラセツ」と書き記し、書類を閉じると、改めて静かに告げた。


「じゃあ、決まりだ。“仮面の剣士・ラセツ”として登録完了。……気に入られれば賭け金も跳ねる。嫌われれば、命が軽くなる。あとは、あんた次第だ」


蒼真――いや、ラセツは静かに頷いた。


名を捨て、顔を隠して、戦いに身を投じる。

だがそれは逃避ではない。

敬意と誓いを刻むための仮面であり、名であり、覚悟だった。


男はあきれたように鼻で笑い、紙にささっと書き込みながら続ける。


「エントリー費は免除だ。最初の階層に回される。勝てば次に進めるし、死ねばそこで終わり。ルールは簡単だ」


「武器の持ち込みは?」


「持ってねぇなら貸してやる。選べるほど揃っちゃいねぇが……ま、生き残れりゃ次の機会もあるさ」


武骨な男は肩をすくめ、並んだ武具の棚を無造作に指差す。そして、ふと視線を戻して、蒼真に問いかけた。


「――で、あんた。こんな場所まで、何をしに来た?ただの金稼ぎか……それとも、腕試しか?」


男の声は低く、どこか試すような響きを帯びていた。

鋭い眼光が蒼真を射抜くように見つめる。


だが蒼真は、怯まずにその視線を受け止めた。

しばしの沈黙ののち、静かに、しかしはっきりと答える。


「どっちでもない。ただ守りたい約束がある。

 ここに来たのは、そのための手段の一つでしかない」


男の目がわずかに見開かれる。

やがて、小さく鼻を鳴らして笑った。


「ようこそ闘技場へ。あんたの名前が観客に刻まれるか、地下に埋まるかは、あんた次第だ」


鉄格子が開かれ、武器庫へと通じる通路が開かれる。

鉄と血の匂いが混ざる、その地下の空気――

蒼真は迷うことなく、闘技場の暗き入口へと足を踏み入れた。


その背に、誰も気づかない覚悟の炎が、静かに燃えていた。

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