第24話:抑えられない衝動
場内に緊張が走る。
第四試合。蒼真の出番だった。
対するは、今大会の優勝候補と名高い実力者、黒鉄宗牙。
豪快な剣術で、過去の大会を席巻してきた男。
その名が呼ばれた瞬間、観客席が一気に沸き立った。
「黒鉄が本気を出せば、あの若造なんて瞬殺だろ」
「 面白そうな奴だったけど、流石にここまでか」
そんな声が飛び交う中、
蒼真は無言で舞台へと歩み出た。
その姿に道場のみんな、そして観客席の一角に座る神代静流が視線を向ける。
(神代静流の動き……あの一閃)
蒼真の脳裏には、先ほどの静流の剣技が焼きついていた。
重心移動、氣の流し方、斬るというより通り過ぎる一撃。
その全てを蒼真は記憶していた。
「始め!」
号令とともに、黒鉄宗牙が斧のような大太刀を構えて突進する。
その一撃は、受ければ終わりの破壊力を持っていた。
だが、蒼真は一歩も引かずに立ち向かった。
刹那。
彼の身体が、静流のようにわずかに傾き、右足が斜め前へ流れる。
軸足は揺るがず、抜き放たれた刃が、風のように宙を裂いた。
「――っ!?」
黒鉄の剣が空を切る。
蒼真の刃は寸分違わず彼の防御の隙を突き、頬に浅く傷を刻んでいた。
観客がどよめく。
ただの運ではない。あれは意図的な模倣。
しかも、ただ真似たのではなく、体格も氣の質も違う中で、
蒼真は「自分の中に静流の剣」を構築し、それを再現してみせたのだ。
「……これは」
静流が思わず声を漏らす。
その目が、明らかに驚愕に見開かれていた。
(私の……剣筋? いや……違う、これは――)
蒼真の斬撃には、彼女とは違う芯がある。
同じ型でも、滲む意志が違う。
彼は、模倣を通して己の剣を手繰り寄せている。
黒鉄宗牙が憤怒の表情を浮かべ、二撃目を叩きつける。
だが蒼真は再び、それを紙一重で躱し、
今度は静流にはない軌道から、鋭く逆手の斬撃を打ち込む。
「くそっ、なんだこいつは……!」
動きは未完成。まだ粗さもある。
それでも、蒼真の剣は明らかに上へ向かっていた。
静流に届くための、蒼真だけの剣筋を作り始めていた。
「……これはもう、ただの新星じゃないな」
観客の一人が、呟くように言った。
誰もが蒼真を見下す目線をやめ、真正面から彼を見始めた。
やがて勝負は終わる。
黒鉄宗牙の剣が叩き折られ、膝が沈む。
「勝者、天城蒼真!」
歓声が爆発する中、蒼真は静かに剣を納めた。
舞台の外、静流はなおも彼を見つめ続けていた。
(……まさか先程の試合を見ただけで、ここまで模倣したの?)
その胸に、未知の感情が芽生えはじめていた。
それは警戒でも、賞賛でもない。
興味という名の、剣士としての本能だった。
彼が使った私の剣筋は確かに未熟だ。粗さも甘さも残る。
だがそこには、明確な意志があった。
ただ真似るのではなく、そこから自分だけの剣を見出そうとする意志。
それが、たまらなく、眩しかった。
(……凄い)
(私の剣は、誰にも真似できないはずだった)
子どもの頃から、剣を握ったときだけは自分を感じられた。
教えられたわけではない。
構えも、型も、氣の流し方も、すべてが感覚で刻まれていた。
誰よりも早く、誰よりも深く、剣と向き合えた。
だからこそ誰もついてこられなかった。
道場の誰もが賞賛した。
師範すらも彼女の剣を教えることができず、ただ見守るしかなかった。
いつの間にか剣聖の娘という称号だけが独り歩きし、静流自身の名はその影に沈んでいった。
(私は……ずっと、探していたんだ)
自分を真正面から見据え、臆さず立ち向かってくる者。
才能でも、血筋でもなく意志で戦う者を。
(天城蒼真……あなたは、私を揺らがせた)
静流の胸に、微かに火が灯る。
それは冷たい剣気ではない。
どこか温かく、けれど決して消えない熱だった。
(……あなたとなら、本気になれる気がする)
その想いは、静流の胸の奥底で、ゆっくりと熱を帯びていった。
まるで長い冬のあと、凍てついた湖面に差し込む陽光のように、
冷えきっていた心の中心が、じんわりと溶け出していくのを感じた。
これまで、誰かと本気で剣を交えたいと願ったことなどなかった。
いや、願うという感情すら、知らなかったのかもしれない。
剣を握ったときから、彼女は常に孤独だった。
天才と呼ばれた。
どれほどの年長者であろうと、彼女の前では数合も保たず膝をついた。
道場の仲間たちは尊敬と畏怖を抱き、次第に距離を置くようになった。
そして静流自身もまた、それを受け入れた。
剣とは、孤高であるものだと。
だがそれは、いつしか彼女の心を蝕んでいた。
勝っても、圧倒しても、何も残らない。
磨いても、鍛えても、届く相手がいない。
気がつけば、剣を振るうたびに虚しさが募るようになっていた。
けれど――
(彼は違った)
あの少年、天城蒼真。
未熟で、粗削りで、まだ完成にはほど遠い。
だが、彼の剣には向かおうとする意思があった。
たった一度見ただけの自分の技を、形だけでなく本質ごと吸収し、
自分の中に組み替えて戦いに活かす。
そんな芸当、誰にでもできることではない。
蒼真は彼女の背を見て、そこに届こうとしていた。
恐れず、臆せず、真正面から。
それがどれだけ孤独だった静流の心に、深く響いたか。
誰よりも静流自身が驚いていた。
(……もう一度、あなたの剣が見たい)
(今度は正面から、私のすべてを懸けて)
舞台の中央に立つ蒼真の背中を、静流はじっと見つめ続けていた。
(あなたとなら、きっと……)
ようやく見つけたのだ。
この世界のどこかに、自分と対等になり得る存在がいるという希望を。
胸の奥で、確かに芽吹いた願いがあった。
それは、ただの好奇心でも興味でもない。
もっと深く、もっと原初的な衝動。
剣士として生きる彼女の本能が叫んでいた。
――あの剣と交わりたい。
己のすべてを懸けて、心から戦ってみたいと。




