第14話:師弟対決
一夜が明け、朝靄が山の空気に溶け込む頃、蒼真は静かに目を開けた。
焚き火はすでに熾火となり、夜の気配をわずかに残している。
羅刹丸は岩に腰をかけ、澄んだ眼で彼を見ていた。
「……目覚めたか、蒼真」
蒼真は黙って頷き刀に手を伸ばす。
「羅刹丸」
「ん?」
「僕……魔族領へ行きます」
その言葉に、羅刹丸の眉がわずかに動いた。だが表情は穏やかだった。
「ほぅ決めたか。一応理由を聞いてもいいか?」
蒼真は静かに空を見上げた。
山の稜線の向こうに、遥かな世界の気配がある。
「朱音が王国に行ったあの日、僕は……自分の無力さに打ちのめされました」
「だからここで修行をして、力を得たつもりでした。でも……まだ足りない。この剣で何を守りたいのか、なぜ振るうのか……その答えを探したい」
「その答えが、魔族の地にあると?」
「はい。もし魔族が敵だと思い込んでいたなら、俺はまた何かを見失う気がして……」
羅刹丸はゆっくりと立ち上がり、彼の肩に手を置いた。
「……行け。お前の道は、お前が決めるものだ」
「はい」
「だが、魔族領は人間には過酷だ。お前を試す者も、欺こうとする者も現れる」
「構いません。それでも、俺は知りたい。誰が敵で、誰が味方なのかを」
静寂が山を包む
空は曇天、風はなく、空気は張りつめていた。
「蒼真、お前に話しておくことがある」
不意に声をかけられ、蒼真は顔を上げた。
「……何でしょう?」
「俺は、加護持ちだ。魔族の加護を宿している」
蒼真は目を見開いた。
「加護……だって……?」
「あれは、俺がまだ若かった頃。戦いの中で手に入れた。……己の力だけで得た、誇りでもある」
「なぜ今まで言わなかったんだ?」
「言う必要がなかった。……加護があるから強いのではない。俺は、俺の剣でここまで来た。だがそれももう終わりだ。蒼真……俺と戦え。命を賭けて」
不意に告げられた言葉に、蒼真は息を呑んだ。
「……どういう、こと?」
羅刹丸は、わずかに口元を綻ばせた。
「この身は、もうすぐ寿命を迎える。俺は寿命で朽ちるなどごめんだ。どうせなら……お前の手で終わりたい」
「なぜ、僕なんかに……!」
「お前だからだ。俺のすべてを叩き込んだ、お前だからこそだ。――そして、その加護も。俺のすべてを、お前に継いでほしい」
その言葉に、蒼真の胸が強く締めつけられた。
「加護……を、奪えと?」
羅刹丸は頷く。だが、その瞳に迷いはない。
「これは誇りだ。お前のような者に引き継がれるなら、本望だ。俺の剣も、俺の魂も、全てをお前に託す」
「だけど……僕は、まだ――」
「言い訳は要らん。剣を取れ。俺は本気でお前を殺す気で戦う。お前も本気で俺を超えてみせろ。それが……最後の修行だ」
「お前の一太刀――魂を込めたそれで、俺の最期を飾ってくれ。弟子として、剣士として……俺の命を、見届けてくれ」
「……そんなの、無理だ……!」
蒼真の声は震えていた。
あれほどの修羅にして、ただの一人の師。
彼を斬ることなど、どうしてできようか。
だが、羅刹丸は迷うことなく、ただ一言。
「迷うな。これは俺の誇りを託す儀だ」
蒼真は、拳を握りしめ、震える唇をかみしめた。
そして、鞘に収めていた刀を、ゆっくりと抜いた。
「……あなたの教えが……僕をここまで連れてきた」
その剣に込めたのは、怒りでも憎しみでもない。
ただ、敬意と感謝。そして、断ち切る覚悟。
羅刹丸が、ほんの一瞬だけ振り返る。
赤い瞳が、確かに蒼真を見た。
「――来い。弟子よ」
次の瞬間、蒼真の剣が閃いた。
空気が裂け、氣が流れ、
魂が交わり――そして断たれる。
ふたりの間に言葉はなかった。
もはや語るべきことは、すべて剣に刻んだ。
「構えろ、蒼真。これが最後の一太刀だ」
羅刹丸の声は、どこまでも穏やかだった。
蒼真は黙って刀を構える。
心を無に。氣を澄ませ。
羅刹丸から学び、刻み、研ぎ澄ませてきた、たった一太刀にすべてを込めて――
次の瞬間、風が揺れた。
音もなく、霧が裂ける。
空間が捻じれるような、目に見えぬ一閃。
蒼真の一太刀が、羅刹丸の胸を貫いていた。
「……見事だ」
膝をつく羅刹丸の顔には、苦痛はなく――むしろ、どこか安らかな微笑みが浮かんでいた。
「ようやく……この命、継げる者に託せた……」
蒼真は震える手で木刀を握りしめたまま、言葉を失っていた
「蒼真……お前に会えてよかった……」
羅刹丸の身体が、闇に還るように崩れ落ちていく。
だがその瞬間、黒き光が蒼真の胸へと流れ込んだ。
それは、羅刹丸の魂が宿す魔族の加護。
それが蒼真に託されていった。
最後に、羅刹丸の声が心に響く。
『俺の剣は、お前の中で生き続ける――感謝する、蒼真』
そして、風が止み、霧が晴れる。
そこに立っていたのは、剣を継ぎし者――天城蒼真、ただ一人だった。
ぽたぽたと、頬を伝う涙が地面を濡らした。
「……ありがとうございました。師匠」
空の色が、深い群青に染まっていく中で、
その一言が、山の静寂に溶けていった。
そして――
剣士・天城蒼真の中に、羅刹丸の魂と加護が、静かに宿った。




