閑話:セリスの過去 ――お転婆な聖女
セリスは、生まれながらにして聖女の資質を持つと神託で告げられた存在だった。
乳児のころから奇跡のような癒しを示し、神殿に引き取られてからも、その存在は特別扱いを受け続けていた。
だが。幼いセリスは、神殿の人間たちの想像とはまるで違った。
静かに祈りを捧げるどころか、いつも庭を駆け回り修道女たちの裾をつかんではイタズラを仕掛ける。
「こら、セリス様! そこは登ってはいけません!」
叱られても、木に登った彼女は得意げに手を振り、枝の上から笑って見下ろした。
神殿の厳かな倉庫にも平気で忍び込み、聖なる杯をおもちゃ代わりにして怒鳴られることもあった。それでもセリスは悪びれることなく、にかっと笑って返すのだ。
「だって退屈なんだもの! お祈りばっかりじゃつまらないでしょ?」
あまりに奔放すぎて、修道士たちも手を焼き、時には「この子を本当に聖女と呼んでいいのか」とささやき合った。
けれど、不思議なことに彼女が泣きじゃくる子供を抱きしめれば、すぐに笑顔に変わった。病に苦しむ者の手を握れば、痛みが和らいで眠りについた。
そのたびに神殿の人間たちは息を呑み、誰もが悟るのだった。
どれほどお転婆であっても、この子は確かに聖女なのだと。
やがて成長するにつれて、セリスは少しずつ聖女としての役割を受け入れ、祈りや儀式にも真剣に向き合うようになった。
けれど心の奥底には、幼い頃に庭を駆け回って笑っていた自由な少女の気質が、今も消えることなく残っている。
それこそが彼女が人々に愛され慕われる聖女となった理由でもあった。
だが、聖女として役割を果たす日々の中でも、時折その自由奔放さが顔をのぞかせることがあった。
祈りに身を捧げる時間が増えても、セリスの瞳は生き生きとしていた。
人々に囲まれる中で、彼女はただ敬われる存在ではなく、親しみをもって語りかけられる稀有な聖女となっていった。
堅苦しい儀式の聖女ではなく、人と同じ目線で笑い合う聖女。
その在り方こそ、後に彼女が幾多の試練に立ち向かうための力となっていく。
それは、まだセリスが十にも満たない頃のことだった。
神殿の門前に重い病に倒れた母親と、その手を握る幼い子供が訪れた。
医師も治せぬと見放された母は青ざめ、今にも息が絶えそうだった。
修道女たちは必死に祈りを捧げたが、症状は一向に和らがない。
「……もう、これ以上は」
そう誰かが口にしたとき。
「いやだ」
小さな声がその場を遮った。
セリスだった。
皆の制止を振り切り、病に伏した母親のもとに駆け寄ると、その手を両手でぎゅっと握りしめた。
「大丈夫だよ。まだ、この子をひとりにしちゃだめ」
幼い声は真剣で、涙に滲んでいた。
その瞬間――。
温かな光がセリスの掌から溢れ出し、病に冒された母親の体を包んだ。
柔らかな輝きは呼吸を整え、荒れていた顔色をゆっくりと紅潮に変えていく。
「……はぁ……っ」
母親が深く息を吸い込み、閉じていた瞳をゆるやかに開いた。
その目に涙が浮かび、傍らの子を抱きしめる。
「……お母さん!」
子供の叫びと同時に、周囲からどよめきが起こった。
修道女たちは震える声で祈りを繰り返し、神殿にいた者すべてが膝を折り、ただその光景を見守った。
セリス自身は、何が起きたのか分からずきょとんと目を瞬かせていた。
「……あれ? わたし……ただ、手を握っただけなのに」
だが、その無垢な仕草こそが、紛れもなく聖女としての最初の大奇跡だった。
母子が抱き合って涙を流す光景を前に、神殿はしんと静まり返っていた。
誰もが息を呑み、目の前で起きた出来事を言葉にできずにいた。
やがて、一人の老修道士が震える声で呟いた。
「……神託は、真実だったのだ……」
その言葉が合図となり、他の修道女や修道士たちも次々と膝をつく。
「聖女様……」「我らが光……」
畏敬と感謝の言葉が、まるで祈りのように広がっていった。
幼いセリスは、囲まれる大人たちを不思議そうに見回す。
「え? わたし……ただ、助けたかっただけなのに」
首を傾げるその仕草さえ、まるで神の使いが人の世に降り立ったかのように映っていた。
修道女のひとりが涙を拭いながら、そっとセリスの手を握る。
「あなたは……間違いなく、神に選ばれし聖女様です」
その場にいた誰もが、心の底からそう信じた。
奇跡は、ただの偶然ではない。
光をまとった小さな少女こそ、神殿が待ち望んだ本物の聖女なのだと。
そしてこの日を境に、セリスの存在は神殿の中で絶対的なものとなり、彼女自身の運命もまた、大きく動き出していくのだった。




