第102話:思いがけない出会い
謁見の間を出ると、蒼真の背を追うように朱音とセリスが駆け寄った。
「本当に一人で行くつもりなの?」
蒼真は立ち止まり二人を振り返る
「心配してくれてありがとう。けれど……むしろ危険なのは城の外へ出る兵士たちだろう。闘技場で直接魔族に遭う可能性は低い。残っている痕跡さえあれば、僕の眼で見抜けるはずだ」
「でも――!」
朱音が食い下がろうとするのを、蒼真は片手を上げて制した。
「大丈夫。信じて待っていてくれ」
そう言い残し、彼は一人、闘技場へと歩みを進めていった。
蒼真が闘技場に到着すると、入口で待ち構えていた支配人が勢いよく駆け寄ってきた。
「おおっ、ラセツ! よく来てくれた!待っていたぞ!!」
両手を握りしめて感激したように頷くと、支配人は声を弾ませた。
「いやぁ、あの馬鹿勇者レグナを追い払ってくださったと聞いて……正直、胸がすく思いだ!」
蒼真は思わず眉をひそめる。
「……追い払った、か」
支配人は慌てて手を振った。
「あのレグナという男とその仲間たちはなにぶん乱暴で、観客や従業員を困らせてばかりでしてな。まるで闘技場を自分の庭か何かと勘違いしていたくらいで」
その声を聞きながら、蒼真は静かに目を細めた。
(……やはり、まだ知らないのかレグナの死を。城では口止めが徹底されている。わざわざ告げる必要もないか。いずれ、遅かれ早かれ耳に入るだろう)
支配人は闘技場の奥へ案内しながら、ふと蒼真の横顔を見て首をかしげた。
「……そういえば、今日は仮面をつけておられないですね。準備しましょうか?」
蒼真は足を止め、ほんの少しだけ苦笑を浮かべる。
「いや、もういい。色々とバレてしまったからね。今さら隠す意味もないさ。もうラセツという偽名を使う必要もない。これからは蒼真と呼んでくれ」
「なるほど……観客たちには人気があったんですけどねぇ、あの仮面姿。まあ、どうぞご自由に」
支配人は納得したように頷き、しかしどこか残念そうに肩をすくめた。
「そうそう、蒼真殿にはこれまでの勝利報酬をお渡しせねばなりませんでしたな。お待たせして申し訳ない。勇者を追い払った追加報酬も足してあります」
分厚い袋が差し出され、金貨の重みがずっしりと伝わってくる。
蒼真は軽く袋を受け取り、頷いた。
「助かる。ちょうど必要だったところだ」
そして、声を落として続ける。
「それと……少し、この闘技場を調べさせてもらえないか」
支配人は目を丸くしたが、すぐに笑みに戻った。
「ええ、もちろん。蒼真殿なら大歓迎ですとも。どうぞご自由に! 従業員には触れるなと申しつけておきましょう」
「ありがとう。恩に着るよ」
蒼真は短く礼を述べ、静かに闘技場の奥へと歩みを進めていった。
闘技場に漂う氣の残滓を追いながら、蒼真は目を細める。
(……少し残ってはいる。だが――)
手を伸ばせば掴めそうでいて、次の瞬間には指の間から零れ落ちるように散っていく。まるで痕跡そのものが追跡を拒むかのように、氣の気配はあまりに薄かった。
「……これでは、後を追うのは不可能だな」
呟きとともに、蒼真は静かに目を閉じた。
しばし場内を見渡したのち、彼は小さく息を吐く。
(残念だが……ここでできることはもうなさそうだ。だが、賞金を受け取れただけでも十分か)
腰に下げた袋の重みが心地よく響き、緊張でこわばっていた肩が少しだけ和らぐ。
すると思考の奥から、ひとつの記憶がよみがえった。
(待てよ……考えてみれば、闘技場なんかよりも――)
脳裏に鮮明に蘇るのは、あの夜の戦い。
ベルクと名乗る魔族と激突し戦闘した光景。
(あのベルクという魔族との戦闘跡の方が、よほど手掛かりが残っているはずだ。あれだけ派手にぶつかったのなら、痕跡は消しようがない……)
遅れて気づいた己の迂闊さに、蒼真は小さく舌打ちした。
(今ごろこんなことを思い出すとは……我ながら抜けてるな)
蒼真は顔を上げ、静かに歩を進めた。
次に目指すべき場所は、すでに決まっていた。
(調査は闘技場だけ、と釘を刺されたが……寄り道してみるか)
蒼真はそう心に決めると、周囲の人目を気にせず足を速めた。
最初は歩みを強める程度だったが、やがて全力で駆け出す。
だが、角を曲がった瞬間――。
「っ――!」
蒼真は思わず足を止めた。
目の前に、黒い外套を纏った女性の姿。
あまりに突然現れたため、危うくぶつかりかけていた。
女性は蒼真とぶつかりそうになった瞬間、
「きゃっ!」
と小さく悲鳴をあげ、バランスを崩して腰を石畳に落とした。
(……気配を感じ取れなかった?)
外套の裾が広がり、彼女は慌てて胸元を押さえながら蒼真を見上げる。
驚きに大きく開かれた瞳には、敵意も殺気もない。
「すまない。こちらの不注意だった」
女性は裾を払いつつ、小さく笑みを浮かべた。
「そんなに気にしなくても大丈夫です。私こそ不意に飛び出してしまって……」
女性はそう言いかけたところで、自分の手元を見下ろし――小さく悲鳴をあげた。
「きゃっ……! ああっ、デザートが……!」
「デザート?」
袋の中身から、甘い香りがかすかに漂う。
包み紙の隙間からは、ぐしゃりと崩れたクリームや果実の色がのぞいていた。
「持ち帰り用に買ったばかりなのに……潰れてしまったわ」
女性はしょんぼりと肩を落とし、情けなさそうに袋を抱きしめる。
蒼真は潰れた包みを見て、表情を引きつらせた。
「……そ、それは僕のせいだな。弁償するよ。新しいのを買って――」
慌てて言葉を探す蒼真に、女性はくすりと笑った。
「そんなに慌てなくても大丈夫です。……それでしたら、一緒に食べに行きませんか?」
「えっ……?」
思わず蒼真は言葉を失う。
女性は少しだけ頬を赤らめながら続けた。
「行きたい店があるんです。でも一人では入りづらくて……よろしければですけど」
「……分かった。そのお店に案内してくれるかな」
甘味処へ向かう道すがら、沈黙を埋めるように蒼真は口を開いた。
「そういえば、名乗っていなかったな。僕は蒼真だ」
女性は一瞬だけ目を丸くし、それから穏やかな笑みを浮かべる。
「蒼真さん、ですね。私は――イリス、といいます」




