第99話:レグナが絶えた場所
蒼真はゆっくりと身を起こし、深く息を整えると衣を羽織った。
鞘に収めた愛刀を手に取り、帯へと差す。
その仕草にはまだ疲労が残っていたが、瞳には確かな光が宿っていた。
「行くよ。レグナを殺した魔族を、この目で確かめる」
低く告げた言葉に、朱音がすぐさま立ち上がった。
「なら私も行く。あんただけじゃ危なっかしいからね」
セリスも静かに頷く。
「ええ。私も同行します。何より、あなたを一人では行かせられません」
蒼真は二人の強い視線に押されるように一瞬だけ言葉を失い、そして小さく笑みを浮かべた。
「……ありがとう。だけど危険になったら……」
「言っても無駄よ」
朱音がきっぱりと遮る。
「私もです」
セリスの声は柔らかいが、その眼差しは揺るぎなかった。
三人の視線が交わる。
静かな客間に、決意の空気が張り詰めていった。
蒼真は苦笑を返しつつも、その瞳は前だけを見据えていた。
「急ごうか。隼人とアメリアさんがすでに現場を押さえているはずだ」
外に出ると、冷たい朝の空気が頬を打った。
王都の喧噪が目を覚ましつつある中、彼らは馬車に乗り込み城門を抜けていく。
行き先は、勇者レグナが無惨に倒れた現場。
蒼真たちが辿り着くと、隼人とアメリアが現場を検証していた。
隼人は両腕を組み、瓦礫に腰を掛けたまま視線だけを寄越す。
「おー、ようやく来たか。……やっぱ顔色悪ぃな、蒼真」
その軽口に朱音の眉が跳ね上がる。
「からかわないで! それより状況はどうなの?」
「へいへい、怖ぇなぁ。まぁ見てみろよ」
隼人は肩をすくめ、血痕の残る地面を指差した。
アメリアがすぐに歩み寄り、冷静な声で説明を始める。
「現場保存は済ませています。痕跡は浅いですが、魔族の瘴気反応が微かに残っていました。おそらくは力を抑えていたか、あるいは短時間で引き上げたのでしょう」
彼女の指先が宙に軌跡を描くと、淡い水色の魔法陣が浮かび、光の粒が散って消える。
「ここから北東へ……瘴気の流れが薄く残っています。追跡可能です」
蒼真は血痕に目を落とし、拳を握りしめた。
「……レグナを殺したのは、間違いなく魔族か」
隼人が口笛を吹き、薄く笑う。
「まぁ魔族って線の方が自然だわな」
朱音は血痕の残る地面を見下ろしながら、ふいに口を開いた。
「そういえば、レグナの仲間二人はどうしたの?」
その問いに、一同の視線が自然と隼人とアメリアへ向かう。
隼人は鼻を鳴らし、肩をすくめた。
「さぁな。現場にはいなかった。けど、痕跡は残ってたぜ。城からレグナを連れ出した形跡がな」
アメリアが頷き、淡い光を走らせながら報告を補う。
「瓦礫の影に、複数人が駆け抜けた足跡がありました。追跡の方向は一致しています。……おそらく、レグナの逃走を助けたのは、あの二人でしょう」
朱音は険しい目を細める。
「つまり……仲間ごと逃げたってわけね。その二人も殺されたの?」
アメリアが静かに首を振る。
「いいえ。二人の遺体は見つかっていません。少なくとも、この場で命を落としたわけではないようです」
朱音は小さく息を吐き、だがすぐに眉を寄せ直す。
「じゃあ……生きて逃げた可能性もあるわけか」
アメリアは頷き、淡く光を灯した術式を指先に走らせる。
「生死は分かりませんが、少なくともまだ追う価値はあるはずです」
蒼真は無言でその方向を見据え、腰の刀に手を添えた。
「……ならば、なおさら行くしかないな」
隼人が肩をすくめ、にやりと笑った。
「だな。死んでりゃ証言も聞けねぇし、生きてるなら面白ぇ話が聞けそうだ」
瘴気の痕跡をたどろうとしたその時だった。
荒い息をつきながら、一人の兵士が駆け込んでくる。
「ご報告っ……! 北東で……!」
肩で息をしながらも、必死に言葉をつなぐ。
「……人の形をした氷柱が、二つ……。まるで生きたまま凍りついたように……!」
その言葉に、一同の表情が凍りついた。
朱音は思わず目を見開き、アメリアは口元に手を添えて沈痛な面持ちになる。
隼人ですら笑みを消し、低く口笛を漏らした。
「……氷漬け、だと?」
蒼真の胸に冷たいものが流れ込む。
仲間を連れ出したはずの二人――その末路が、想像以上に残酷な形で突きつけられたのだ。
蒼真たちは兵士の先導で北東の地へと足を踏み入れた。
そして視界に飛び込んできたのは、二つの氷像だった。
恐怖に引きつった表情を刻んだまま凍りつけられている。
朱音が息を呑む。
「……嘘でしょ。これが……まさか」
アメリアはゆっくりと氷像へ近づき、掌に淡い水光を宿す。
氷越しに透ける指先の色を確かめ苦い声を落とした。
「間違いありません。……レグナの仲間二人です」
辺りは静まり返り、ただ氷が陽光を反射して青白く輝いていた。
兵士たちは恐怖に顔をこわばらせ、誰一人として近寄ろうとしない。
隼人が低く口笛を鳴らした。
「……随分と派手な芸当だな。人間を丸ごと氷像にしちまうなんて、並の魔術じゃねぇ」
蒼真は無言のまま氷像に手を伸ばしかけた。
その瞬間――左眼の奥が鋭く疼き、黒い燐光が微かに揺らめく。
彼だけが、その氷からわずかに滲み出る異様な氣を感じ取っていた。




