第10話:王国到着(朱音side)
リグゼリア王国――
そこは、朱音にとって異世界という言葉そのものだった。
港町から乗った王国船は、彼女たちをこの国へと運んできた。
「……ここが、王都……」
朱音は小さく息を呑む。
船の甲板から見下ろす光景は、まるで絵巻物のようだった。
白銀の城壁が幾重にも重なり、塔が神々しいほどに輝いている。
街の広場には市が開かれ、人々が行き交い、活気と魔力の息遣いが肌を刺すように感じられる。
「すごいでしょ?」
後ろからひょいと現れたのは東雲美咲だった。
その表情はいつもの明るさを通り越して、興奮に満ちている。
「ねーねー朱音ちゃん! あの建物見て! 浮いてるよ!? 空中浮遊してるってヤツじゃない!? 魔法かな!?」
「……知らないわよ、そんなの。聞けばいいでしょ」
ぶっきらぼうに返しながらも、朱音の目もまた、遥かな大地を見据えていた。
自分が知らない、見たことのない世界。
紫苑が静かに朱音に近づき、言った。
「ようこそ、リグゼリア王国へ。ここが、私たちの戦いの地です」
その言葉に、朱音は頷いた。
胸にある迷いを振り払うように、ひとつ深く息を吸って。
(……蒼真。あんたなら、あたしの決意に文句は言わないよね)
そう心の中でだけ呟いて、彼女は王都の石畳に、初めてその足を下ろした。
ここから始まるのは、ただの旅ではない。
朱音にとって己の信念と、剣の意味を問い直す、試練の始まりだった。
リグゼリア王国・王城前広場。
歴史と魔力の重厚な気配に包まれた石畳の階段の上
朱音たちを迎えたのは、格式高い騎士団と王国の重臣たちだった。
吹奏が響き、旗がはためく。
勇者一行の到着は、国を挙げての歓迎行事として扱われていた。
「……うわ、ガチのお出迎えじゃん」
美咲が目を丸くする。
「緊張しますね……このような公式の場は久しぶりです」
紫苑も小声で呟く。
そんな中、朱音は一歩下がった位置で黙って様子を見ていた。
式典などには無縁だった彼女にとって、この場の煌びやかさは場違いにも思えた。
だが、その時。
「――よっ、びっくりしたかい。朱音」
聞き慣れた、あまりに軽い声。
階段の上、王城の正門を背に、瀬名隼人が立っていた。
黒の軍服のような装いに身を包み、だが雰囲気は以前と変わらず飄々としている。
彼はゆっくりと階段を降り、朱音の前に立った。
「なんか不思議な感じだね。こうやって迎えられるの」
「……自分の国に帰ってきた気分?」
「いや。俺の国じゃないし。別に歓迎されたいとも思ってないけど――」
そこで言葉を切り、ふっと笑った。
「君が来てくれてよかったって、それだけは本当」
朱音は少しだけ目を見開いたが、すぐに視線をそらす。
「……別に、あんたのために来たわけじゃない」
「わかってるよ。でも、来たって事実が嬉しい。それだけ」
軽やかに、だが確かに本心を感じさせる言葉だった。
隼人はそのまま、彼女に背を向けて言う。
――リグゼリア王国・玉座の間。
天井まで届く柱に照らされたその空間は、威厳と静寂に満ちていた。
「勇者、瀬名隼人。参上いたしました」
隼人の声が響くと、紫苑と美咲、そして朱音もその後に続いて頭を下げる。
王――リグゼリア三世は、白金の冠を頂いた壮年の男だった。
高位の魔導師であり、同時に歴戦の統治者として知られる。
「顔を上げよ。汝が新たに加えた仲間……剣士か」
「はい。名は早乙女朱音。ワノクニの蒼神流に属する剣士で、腕前は確かです」
隼人は朱音の方に軽く目線を送る。
朱音はその意味を理解し、無言で前に進み出た。
「……早乙女朱音、拝謁いたします」
堂々とした立ち姿だった。
無駄な礼儀も、媚びるような言葉もない。
だがその静かな気迫に、玉座の間にいた騎士たちの空気がわずかに揺れた。
王は彼女を一瞥したのち、静かに言葉を返した。
「隼人よ。我らが勇者として召喚したその日より、汝には盟に則り、適任の者を探し集める使命を与えた。その進捗、如何なるか」
「現在、三名の仲間が加わりました」
「……三名」
王は重ねて問いただす。
「勇者の仲間は常に四人が必要とされる。残りの一人――お前はすでに心当たりがあるのか?」
「はい。ですが、その者は――いずれ、ここに参ります」
「ほう。名は?」
「セレナといいます。癒しの能力に特化した資質を持つ少女です」
朱音が微かに眉を上げた。初めて聞く名だ。
「癒し……回復役か」
王は顎に手を添え、興味深げに呟く。
「その者の現在地は?」
「大陸南方の教会を出たばかりと聞いています。道中の村で癒しの手を求められていたため到着が遅れております……」
「そうか――。ならばその到着を待つとしよう」
王は一つ頷くと、ゆっくりと立ち上がる。
「この王国は、貴様らのために全てを整えよう。我が騎士団、学術院、魔道工房――必要なものがあれば、惜しみなく使うがよい」
「……感謝します」
隼人が頭を下げると、王の声が鋭くなる。
「だが忘れるな。貴様らが導くべき未来は“国を救う”こと。英雄である前に、責任を負う者として、その覚悟を忘れるな」
その言葉に、隼人も朱音も、深く頷いた。
――こうして、勇者たちは王国の正式な支援を得ることとなる。
しかし、それは同時に「国の未来を背負う者」として、重く厳しい運命を引き受けることでもあった。
玉座の間の扉が静かに閉じる。
静まり返る空間の中、朱音は小さく呟いた。
「……これが、戦う覚悟ってやつか」
隼人は少し笑って言った。
「ま、これでもまだ挨拶程度だよ」
そして――運命は、確実に動き出していた。




