ティアーナの愛
(わたしはあなたを愛している)
わたしは右の瞳で、傍らに眠る愛しい人の本質を見つめた。
(わたしは深く、とても深く愛している)
優しい緑は激しい赤に。
〘だから忘れなさい。代わりにわたしの愛をあげるから。あなたは名前も、姿も忘れて、わたしの愛しい人になるの〙
気が遠くなるほどの抵抗感を感じても、決して見つめ続けることはやめない。
〘生きるために必要な記憶は遺してあげる。けれど余計な思い出は要らない〙
わたしは左の瞳で、呼吸の浅い愛しい人の運命を見つめた。
〘生きなさい。これからあなたはわたしの愛しい人として生きるの〙
透き通る紫は鮮やかな深紫に。
〘どれだけの奇跡とどれだけの無理を通してでも、必ず生き続けるの〙
僅かな時間で深紫は光を失い、やがて赤い光も元の緑に戻る。
(わたしは、あなたを愛するわたしを愛している)
――――――――――
従妹に子供が生まれた。
わたしを愛してやまない彼女は義理の妹となり、わたしを愛する旦那との間に三人目を授かった。
上の二人はわたしを愛している。
わたしも、義理の娘たちを愛するわたしを愛している。
父はわたしを愛している。
母はわたしを愛している。
わたしも、わたしを愛する父の母を心から愛している。
この家にはわたしを愛するモノしかいなかった。
だからわたしもこの家を愛していた。
旦那はとても厭な人だった。
いつも一番だったわたしが二番になって、一番のわたしを愛することを邪魔してきたから。
だけどそれはわたしを愛していたからだと知ったから、生まれて初めて努力して再び一番になったわたしは、わたしを愛している彼を愛するようになった。
家臣もわたしを愛している。
だからわたしも彼らを愛する。
臣民もわたしを愛している。
だからわたしも彼らの愛に応える。
世界がわたしを愛している。
だからわたしも世界を愛し守っている。
わたしが一声かければ人が動き、国が動く。
わたしが欲しいと言えばたちどころに手に入る。
およそわたしに出来ない事は無かった。
けれど――
ある日わたしは、わたしの身体がわたしを愛していないと知った。
わたしを愛する義理の妹がわたしを愛する旦那との間に子供を授かり、わたしはわたしの期待に応えないわたしが少し嫌いになった。
二人目を授かったと聞いて、わたしを愛する父もわたしを愛する母もわたしを気遣った。
わたしはもちろんわたしを愛する皆を愛しているけれど、わたしはわたしを悲しませるわたしがどんどん嫌いになっていった。
ついにわたしは、わたしを愛するモノに愛を向けられなくなった。
そんなわたしをわたしも嫌いになった。
わたしはわたしを愛するモノに囲まれることが苦痛になって塞ぎ込み、わたしはわたしを愛さないわたしと、わたしを知らないモノだけを傍に置いた。
厭だ厭だと言いながら、それでもわたしはわたしを愛して欲しかった。
三人目を授かったと聞いて、わたしはわたしを愛するモノの目の届かない所へと逃げ込んだ。
わたしはわたしを愛したいのに、わたしがわたしを愛することを赦さない。
わたしはわたしを愛させないわたしを心底憎んだ。
わたしはわたしを愛させないわたしを、わたしを愛せないわたしよりも惨めにしたくなった。
そしてわたしは、わたしを知らないモノに愛を求めて、わたしへの愛を受け入れた。
わたしはわたしを惨めにする愛を、渇きを癒すように全身で呑み干した。
わたしは惨めなわたしを感じて、少しだけ溜飲を下げた。
けれどそれは一瞬のまやかし。
即座にわたしは、かつて無いほどわたしを嫌いになってしまった。
かつて愛したわたしへの愛と同じだけ、わたしの心はわたしへの憎悪で満たされていった。
――わたしは、大きな鏡に映るわたしを嫌うわたしを嫌いになった。
――わたしは、わたしを知って愛したモノの目に映るわたしを憎むわたしを憎んだ。
――わたしは、荒れた夜闇を透かす窓に映されたわたしを惨めだと感じるわたしが、非道く惨めに見えた。
わたしはもうわたしを愛せないかも知れないと、そう感じてしまったわたしに、強い強い怒りと哀しみと嘲りと蔑みと、そして落胆と同情を募らせた。
わたしは生まれて初めて挫折を識った。
わたしは生まれて初めて愛することの難しさを刻み込まれた。
わたしは風雨に晒された室内で雨音を聴きながら、赤い汚れを浴びていない大鏡の破片を拾い上げて、そっと瞳を映し込んだ。
緑は赤に、紫は深紫に。
わたしはわたしを愛さないわたしの人生を赤い瞳で呪った。
わたしはわたしを苦しめるわたしの運命を深紫の瞳で蝕んだ。
――最初からこうしておけば良かった。
額から雫が零れ、耐え難い苦痛に苛まれる。
わたしは手から破片を落とすとそっとお腹に手を当て、激痛に顔を歪ませながらも堪えきれない喜悦に笑みを浮かべた。
――――――――――
『ティアーナ様は待望の子宝を授かったらしい』
齎された吉報に国中が沸き立つ。
万人を愛する彼女は万人から愛されていた。
暫くの後、ティアーナは第二夫人の第四子の出産に続くように娘を出産。
それから丁度二年後、突如としてティアーナはこの世を去ってしまう。
出産後から体調を崩していた彼女は、ただの一度も我が子を抱くことは無かった。
ティアーナの娘は産まれながらに強力な呪いにかかっていた。
生きていることが不思議だと、どんな名医も高名な神官も原因を突き止められなかった。
やがて娘は奇跡の子として人々から愛され、人々を深く愛するようになっていったという。
――――――――――
普段は優しい緑の瞳が赤い光をたたえる時
その瞳に映る人の全てを暴き本質を曝け出す
透き通る紫の瞳が深紫の光に輝く時
その瞳に映る物の運命を認識して干渉する
どちらの瞳にも代償があり
人を暴くほど負荷がかかり消耗する
運命を操作すれば己の運命が歪む
自らの真実を暴き
決して実らない運命を改竄して
彼女は新たな生命を宿した
本来ならば生まれる筈のない魂を何処からか呼び込み
その代償として自らの天命を燃やし尽くした
産まれた娘に宿っているのは別の誰かの魂
その魂にこびり付いていた本質を暴き
前世の名と姿の記憶を消し去り
在り得ない生命が世界に消されないようにと
運命操作によって強く強く存続を願う
それは願いと呼ぶにはあまりにも身勝手で
祈りと呼ぶにはあまりにも穢れていた
彼女の想うそれは紛れもなく『呪い』だった