07
強行突破。まさにその言葉の通りだった。
扉を開けた青年を一発で昏倒。同時に飛び出し、目を白黒させる閣下とやらを、これまた一発で昏倒。けれど傍にいたお付きの人間に拳を振るう前に大声を出されてしまい、城の中にいてはいけないはずの人間がいることは瞬く間に伝わってしまった。
もう音を立てずに走るなどということに気を払う余地はない。周りの景観を眺めるなんて論外だった。フィリアスは秋が女だと知らないせいか、中々遠慮なしのスピードで走る。陸上部員で良かったと今更ながら思いつつ、秋は一寸も離れることなくフィリアスの後にぴったりとくっ付いて走った。
秋の方へはなるべく兵が行かないようにすると言ったフィリアスの言葉は嘘ではなかったらしく、前方からくる人間から秋へ攻撃がくることは全くなかった。おかげで秋が気を付けていればいいのは後方の人間のみ。それも、重い鎧を着けた衛兵が秋達の速さに追いつくことは難しく、ほとんど無かった。鎧なんて不便な物だ。まあ何にせよ、つまり秋はただ遅れないようにフィリアスの後を走れば良かった。
階段をほぼ飛び降りるようにして駆け下り、よく迷わないなこの男と感嘆しながらいくつもの廊下を曲がった時、息一つ乱さずにフィリアスがぼそりと言った。
「門は近い」
どう返せばいいのか分からなかったが、秋も息を乱さずに答えた。
「そうですか」
頷いたフィリアスは額の中央に眉を寄せる。
「だが多分、すぐに来る」
何がだろう、と思う間は無かった。次の廊下の角を曲がった時、それは瞬時に理解できた。今までで一番広い廊下。奥には庭園らしきものが見えたが、その前に今までで最高数の兵がいた。屈強な、鍛えられた若い男達がざっと三十か。先頭に立っているのは、穏和そうな顔の青年を横に従えて、一番質の良さそうな、というか無駄に豪華な服を着た恰幅の良い男。三十代半ば位だろうか。フィリアスの持つ細身の剣とは違って刀身の広い大きな剣を腰に差している。これは、一番身分の高い人だなと何となく分かった。浮かぶ冷笑も纏う気配も、自分を偉い人間だと自覚している人間の物だ。体が横に広い分、フィリアスのそれよりもたちが悪い。
男はフィリアスの姿を認めると笑みを濃くした。
「本当に変わっていないな、フィリアス王」
フィリアス、王?
その言葉に、空気が張り詰めた。男の後ろに立つ兵達が一同に目を見開き、秋の横に立つフィリアスを見る。どうやらフィリアスは有名人らしい。男の言う通り、一国の王だとすれば当たり前か。秋はあっさりと納得した。これであの、人に命令することに慣れている口調にも納得できる。
兵士達に注目されても素知らぬ顔のフィリアスは、男と同じく笑みを浮かべた。あの、気持ちの悪い薄笑いだ。
「そちらは随分と変わったな、ヴェルディア王。いつの間に王になったのやら」
「十年前だ。そちらが我が城内で眠っている間にな」
ヴェルディア王は皮肉気に笑った。フィリアスもそれに答えて笑う。敵対する国の王二人がお互いに気味の悪い笑みを浮かべているのは気持ち悪く、秋は思わずフードの下で半眼になった。見つめ合う、というよりは一方的にフィリアスを睨みつけながら、ヴェルディア王が言葉を続ける。
「まあ、そのおかげで状況が変わった。我が父が落とせなかった貴様の国を、今度は私が落として見せようではないか」
「これはこれは。ヴェルディア王には俺の国を落とせるだけの、随分と自信のある勝算がおありのようだ」
「その通りだ」
ヴェルディア王は自身の後ろにいた人物を己の前へ引っ張り出した。白いローブに白い杖を持った人物。茶色っぽい色だったはずの髪はフィリアスの灰色に近い髪とは違い、白に近い輝く銀髪へと変化していた。二つに結ばれていたそれは、解かれて背中に流されている。見覚えのある姿よりずっと変わっていたが、その人物の顔はよく見知ったものだった。
あの、泣きそうだった顔が秋の頭に浮かぶ。今の彼女は、無表情だった。けれどその顔は意識的に作っていると感じた。杖を、手が白くなる程握っているのがその証だ。
今彼女が目の前にいるということ。それは、優梨がフィリアスから聞いたユーリという人物と同一であることの何よりの証明だった。それに気付き、思わず彼女の名前を呼ぼうとした秋はいけない、と慌てて口をつぐんだ。
「貴様の国に悪魔の子が産まれたのと同様、我が国には神の子が産まれた」
「産まれた?」
フィリアスは、はっと嘲るように笑った。
「俺の記憶によると、パディアス家の一人娘は茶の髪だったはずだ。『産まれた』ではなく『造り出した』の間違いだろう」
ぴくりと、優梨の体が動いた。顔がいびつに歪む。それに気付かず、ヴェルディア王は口を開いた。
「持つ力は大差ない。重要なのはそれだろう?」
その手が優梨の肩に置かれる。再び、その体がぴくりと動いた。
「違いないな。だがその神の子はお前達の言う悪魔の子を殺せなかった」
「一度でやれるなどとは信じていなかった。予言に刃向うことができるとは思っていないからな」
ヴェルディア王はにやりと笑い、勝ち誇ったように言葉を続けた。
「だがその予言は、悪魔の子を殺せないとは言わなかった」
優梨の耳に口を寄せ、何事かを言う。無表情を作り直した優梨は、こくりとヴェルディア王の言葉に従順に頷き、杖を握り直した。瞬間、空気の力が優梨へと集まっていくのを秋は感じた。その口が、いつか聞いたものと似たような呪文を唱える。秋は彼女を凝視して動けなくなった。
優梨がまた秋を攻撃しようとしている。その事実に動けなくなった。以前とは違って、今の優梨は秋を攻撃することに迷いはないように見えた。
彼女を凝視する秋の肩に何かが置かれ、秋ははっと我に返った。慌ててそちらを見やるとフィリアスが真っすぐに秋を見ていた。また、楽しそうに目が光っている。
「あの中庭まで逃げるぞ」
前方を見る。どうやっても兵士とぶつからない訳にはいかなさそうだった。つまり、再び強行突破だ。
短剣を握りしめ、頭の片隅に優梨の無表情を追いやって秋はしっかりと頷いた。それにフィリアスも頷き返す。
「……着いてこい」
「分かりました」
フィリアスが走り出した瞬間、王の後ろにいた兵士達が剣を抜いた。それを見て、フィリアス自身も剣を抜く。長い剣だった。所々にある松明の炎を受けて輝くすらりとした剣。
これは、流血沙汰になりそうだ。
現代日本ではありえない光景を目前にしても、秋の脳内はしっかりしていた。……というより何だかもう、脳みそが爆発しそうなのを通り越して消滅したような気がする。どうしたってどうにかならないことはないのだから、どうにでもなれだ。
今度は人数が人数なだけ、フィリアス一人が全てを相手にするという訳にはいかなかった。先頭に立つフィリアスではなく、後ろに続く秋を狙って来る兵士もいる。人に暴力を振るうというのは少し躊躇するが、自分が刺されそうになってはそんなことも言えない。迫ってくる剣刃を受け止め、横に流し、素早く相手の腹の内に入って短剣の柄で鎧の継ぎ目を強打する。ぐふっという呻き声と共に、向かってきたその男は床に落ちた。敏捷性には自信があるのだ。何だか体も軽いし、体調も万全だ。今の秋は負ける気がしなかった。
その時、後方で優梨の声がした。
「皆さん離れて下さいっ!!」
良く分からないが呪文を唱え終わったらしい。体内の血が燃えるような感覚に、秋は知らず笑みを浮かべて振り返った。純白の杖を構え、秋と一直線上に立つ優梨。兵士達が離れたせいで間には誰もいない。真っすぐに見やると、フードのせいで顔が見えないはずなのに優梨が少したじろいだのが分かった。が、すれもすぐに無表情の内に消える。優梨が大きく杖を振る。直後、すさまじい風が巻き起こり、秋のコートの裾を音を立ててはためかせた。空気が凝縮された塊が真っすぐに秋を目がけて向かって来る。ただの暴風などとは比べ物にならない威力の空気の塊。直撃したらぺちゃんこだ。
「おい。避け……」
後ろでフィリアスが言うのが聞こえたが、無視した。体が熱い。体内に力が満ちる。
空気の塊を目前に、手にした短剣の刃を前方に向け、秋は横に切り裂くように、向かって来るものを一文字に大きく切った。
轟音と共に吹き荒れる風。そのあまりの強さに、距離を置いていた兵士達が思わず地面に突っ伏す。
それには構わず、秋は優梨に背を向けた。心臓がうるさく胸を叩いていたが、体に傷は負っていない。
目が合うと、フィリアスが口の端を上げた。やっぱり嫌な笑いだったが、沸騰した血のせいで気にならなかった。
「良くやった」
「どうも」
ぼそりと言われた言葉に、秋はそう返した。
何だか一話一話がどんどん長くなっていくような気が。
えっと、……まあ、気にしないで下さい。
序章はもうちょっと続きます。




