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天心天命  作者: 燈亜
2/14

   02

 部室の中で一人、ジャージに着替えていた秋は、ふとその手を止めた。他の部員たちはもう練習を始めているからいない。グラウンドから聞こえてくる野球部やらサッカー部やらの喧騒が戸を一枚隔てた向こうから聞こえてくるせいか、一人で部室にいる自分がどこか別空間にいるような気がした。別空間の静けさ。その静けさの中で、秋は先程まで手元にあった菓子の袋が無いことに寂しさを感じた。その袋は今、優梨の手の中にある。

 菓子の袋を手に、嬉しそうに笑っていた優梨の顔が浮かんだ。呆気ない程簡単に終わった、別れの言葉も。

 結局優梨の引っ越しについては分からないことが多かった。どこへ引っ越すのかもまた会えるのかどうかもはっきりしなかった。優梨が言わないから秋も聞かなかったのだ。今になって、聞くべきだったのだろうかと思う。……分からない。

 また、優梨の顔が浮かんだ。二度と会えないだなんて信じてはいないはずだったが、もしそうだったらと思うと体の中が冷たくなる。同時に、焦燥感に駆られた。

 自分はさっき優梨に何を言っただろう。遠くへ引っ越すという優梨に何を。

 考えて、胸の中が重くなった。秋は彼女に、ありがとうの一つも言っていなかった。一番伝えたかった言葉を言っていなかったのだ。中学の時から一緒にいた、一緒にいてくれた優梨に。

 しまったと思った。けれど、走り出そうとする自分を自分が止める。もう遅いかもしれない。別れの言葉を言ってから随分時間が経っている。きっと優梨は帰ってしまった。いやでも。

 ああ、くそ。

 心の中で舌打ちをした秋は部室のドアを開けた。いつもそうだ。自分が言いたいことに気付くのはいつも遅い。でも今回は。

 自分で自分に、走れと叫んだ。



 まだ教室にいるかもしれないと、部活のジャージ姿のまま秋は走った。上履きに履き替えるのが面倒だから運動靴を脱ぎ棄て、靴下のままで廊下を駆ける。さすがにまだ教室のいることはないだろうと落ち着いた自分が言っていたが、それでも二階の、さっきまで優梨と一緒にいた教室に向かっていた。

 焦る気持ちを抱えて階段を二段飛ばしで一つ上がり、二つ上がる。

 教室へ続く、誰もいない廊下に立った時、そこで初めて秋は違和感を覚えた。急く心とは裏腹に、自動的に足が止まる。秋と優梨のクラスは手前から三つ目だ。何だろう、と秋は自分のクラスに目を凝らした。見間違い、ではない。確かに今、教室内で青い光が一瞬光った。

 青い光。それも強烈な。

 と、再び同じ光が教室内から廊下に溢れた。廊下の窓を、天井を青く染めたその光はけれど、一瞬で消える。やはり見間違いではない。数拍置いてまた光り、そして消えた。見間違えようが無い。


「何だあれ」


 間違いなく、その光は点滅していた。

 秋が思ったのは、優梨のことだった。もしかして、あの中に優梨がいるかもしれない。いやでも何で。あの青い光と優梨に何の関係があると?

 固まった足を無理に動かして、秋は教室に近付いた。

 至って普通の高校の教室にUFOでも着陸したのだろうか。いやいやいや、それもありえない。

 走ってきたせいではなく少し速くなった鼓動をなだめて、秋は自分の教室のドアに手をかけ、一気に開いた。

 瞬間、中から溢れだした光に目が眩む。とてつもなく眩しい。まぶたの裏までもさすその光をもどかしく思いながら、秋はそっと目を開いた。

 教室の中央に立っていたのは、先程別れた優梨だった。

 規則正しく並んでいたはずの机と椅子は全て壁に寄せられ、教室の中央には広い空間ができている。青い光は、そこから発せられていた。

 中央に立つ優梨を囲むように引かれた光の円。何重ものその円が、一同に光りを発し、消える。そこから風が吹いているのか、窓は全部閉じられているのに優梨の膝上のプリーツスカートも彼女の茶色がかった髪も宙で激しく揺れていた。

 幻想的とも言える光景。ただ一つ、優梨の表情を除いては。

 一瞬目が釘付けになった秋はけれど、優梨を見て我に返った。

 優梨は秋を見ていた。その顔に浮かぶのは、驚愕と迷いと困惑と、……あとはなんだろう。

 全てをごちゃまぜにした優梨の表情に、秋は立ち尽くした。どうすればいいのか見当もつかない。お礼を言うつもりで来たが、それを言える状況ではないことは明らかだった。

 光に包まれながら秋と同様に立ち尽くしていた優梨の口から洩れた言葉は、彼女のいつものはきはきした声ではなかった。かすれて震えて、蚊の鳴くような小さな声。


「何で、秋が……今まで全然……じゃあ何で……?」

「優梨に、ありがとうって言ってなかったと思って……」


会話が噛み合ってない。優梨の求めている答えではないと思ったが、秋の口は勝手に動いていた。けれどその言葉で、優梨の表情が変化した。一瞬目を見開いたが、俯いて、唇を噛む。苦しそうな、顔。


「私は、今まであんなに殺して……でも秋が……嫌だ……」


その悲しそうな声に、思わず秋は彼女の名前を呼んで近付こうとした。


「ゆう……」


 最後まで言えなかった。

 自分の足元で輝いた青い光。


「え」


 困惑の言葉がこぼれる。見下ろせば、青い円が秋を囲んでいた。足の下には、見たことのない象形文字が円に沿って書かれている。

 点滅する光。優梨のそれよりも速い速度で光り、消える。


「何だ、これ……」


 その時、前方から何か、空気の流れのようなものを感じて、秋は顔を上げた。

光に慣れた秋の目には優梨が今にも泣き出しそうな顔でこちらを見ているのが映った。左手でしっかりと押さえられた右手の、白い手のひらを秋にまっすぐに向けて。

 最高潮に達した秋の困惑を余所に、詠唱が始まる。


「い、天の光が穿つ沙汰(イル・セ・キリーヴェ)絆しの現萬の言の葉ヴィレ・デリィア・フェリナス……」

「……優梨?」


優梨の震えた声で紡がれる訳の分からない呪文のような言葉。逃げるべきなのか留まるべきなのか。秋は考えたが、考えることを放棄した。どうすればいいか分からない。そもそもこの状況がまず分からないのだ。唇を噛む秋を知ってか知らずか、優梨の言葉は続く。


空の同胞矢に結べロダ・ケルヴィ・シヴァーダ片方の弓よ、掻き暗せレ・セヴィリア・ポトスっ!!」


瞬間、優梨の手のひらからすさまじい速さで何かが放出された。必然的に危機感を覚え、避けることはできないと悟った秋は、直感的に腕を大きく横一文字に、払いのけるように振った。けれどその必要はなかった。秋の方に向けられていたはずのそれは、なぜか秋の足元を直撃していた。階下の教室がうっすらと見えるほどまで穿たれた教室の床。

 背筋がぞっとして、思わず唾を飲み込んで顔を上げた秋は、先程と変わらない姿で立つ優梨を見た。けれどその、秋へ向かって突き出された腕は激しく震えている。そのせいで秋へは当たらなかったらしい。


「優梨?」


 直撃していれば即死の攻撃を友人から受けたはずなのに、秋の声は心の中はどうあれ落ち着いていた。その声に、今にも泣き出しそうな顔をしていた優梨は、いまだ明滅する光の向こうで俯いて肩を大きく震わせた。堰が切れたように言葉が飛びだす。


「何で、何で秋なの?今までずっとずっと一緒にいたのに全然っ……私、あんなにたくさん殺したのに、何でよりによって秋がっ……」


 けれどその後に続く言葉は光によって妨害された。秋の下の青い円が、青い象形文字が、一際強く、明るく輝いた。これは逃げなければと足を動かそうとするが、光が秋の体を固定しているのか、体が全く動かなかった。嫌な汗が背中を滑り落ちる。自分はどうなろうとしているのだろう。

 全身全霊の力で足を動かそうとしたが、やはり動かない。

 顔を上げれば、涙を目の縁までたたえた優梨が秋の方を見ていた。



 いやいやいや、なんなんだこの非日常は。




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