03
秋は元々施設にいたらしい。
本当の親はどうなったのか、どうして施設にいたのかは今まで大して疑問にも思わなかったし、本当の家族と言って差し支えない人達が、すでに物心つく前からいたので聞こうとも思わなかった。
現在『親』となっている神崎老夫妻に引き取られたのが2歳になる前だったらしいので、まあそれも無理は無い。そしてその時秋と一緒に引き取られたのが9歳上の『兄』、冬哉だった。血の繋がりは無い。神崎夫妻は初め、秋一人を引き取るつもりだったらしいが、まだ赤ん坊だった秋を冬哉はいたく気に入り、どうしても離れたがらなかった為、それならと夫妻は二人一緒に引き取って育ててくれた。曰く、『秋と冬は切っても切れない仲でしょう?』ということだそうだ。
夫妻は秋と冬哉を引き取った時にはすでに還暦を過ぎていた為、ちょうど二年前に、秋と冬哉にとっての育ての父が、そしてそのすぐ後を追うように育ての母が亡くなった。その頃には冬哉は成人していて手に職もあったし、慎ましくも夫妻は秋と冬哉に遺産を残していったので暮らしに困ることも無かったのだ。
確かに周りの同年代の子供達と比べたら養父母は年を取っていた。けれど彼等を父と母と呼ぶのに何の抵抗も無かったし、むしろ秋にとっては二人の全てが誇りだった。
だから全く、産みの親について自分から考えることも無かったのだ。
だけども、実の両親が異世界人だったとなると話は違う。
というか、シュウがその娘だと言うのなら、シュウ自身も異世界人になる訳で。
……いやいやいや、反応に困る。
普通に十七年間暮らしてきたが、まさかそんな『鍵』だとかいう役割を課されていたなんて全く知らなかった。知る筈も無いのだが、それでも急にそんな話を聞いたって人ごとにしか思えない。
顔を上げれば、ちょうどこちらを見ていたクレイジュと目が合った。優しい視線がシュウを見つめる。
「……驚かれましたか?」
「え……あぁ、はい」
実際は何だか自分のこととして考えられないだけなのだが、この事実は十分驚くのに値することだ。シュウは曖昧に頷いた。
「リギン様とセイジア様は、その時が来るまではシュウ殿に、自分が実の親に結果的には利用されたなんて知りながら育ってほしくはないとおっしゃっていました。時が来てしまえば嫌でも知ることになるから、その時まではと」
「そうですか」
シュウは言葉を切り、気になっていたことをおずおずと口にした。
「それでその……二人は、どうなったんです?」
クレイジュは悲しそうに瞳を伏せた。長い睫が影を落とす。
「まだリギン様の術が完成していないうちに、予想外の速さで連合軍の第一部隊が到着しました。それにセイジア様はお一人で立ち向かわれたんです。『犠牲は二人で良い』とそうおっしゃられました。『リギンとわたしだけで良い』と。リギン様の術が完成するまで三日。その最後の日に、セイジア様は第一部隊を自身の持つ全ての魔力で迎え撃った」
「軍勢を、一人で?」
「そうです。本当に、セイジア様は素晴らしい力の持ち主でしたから不可能ではありませんでした。けれどいくら力が大きいとは言え、それに限界はあります。セイジア様は力の蓄えられた魂の器が破壊するまで、自身の体が崩壊するまで魔力を使った」
「それで、亡くなった……?」
シュウにはその時クレイジュがうなだれたように見えた。本当に、その人の死を悼んでいるような。
「はい。魂の破壊は肉体の破壊です。ですから、体の一部も残らなかったと……」
「体が、消滅した」
どこか、引っかかるものを感じた。
シュウが自身の産みの親について自分から考えたことは無い。けれど一度だけ、兄である冬哉からそれらしき話を聞いたことがあった。
小学校高学年の頃だったと思う。食事時に兄は、突如として真剣な顔で言ってなかったことがある、と話し始めたのだ。
冬哉が小学生だった頃、学校からの帰宅途中でおかしな男に会ったと言う。黒髪で、どこか昔のヨーロッパを思わせる服装の男だったそうだ。男は腕に赤ん坊を抱いていた。
「今思えば、秋にすごく似てたよ、あの人」
冬哉は難しい顔でそう言った。
「口からたくさん血が出てたしフラフラしてたから、俺びっくりして救急車呼びますって言ったんだけど……」
そしたら怪我人とは思えない程の力で走りだそうとする腕を掴まれ、眠る赤ん坊を強く押しつけられたそうだ。
「『時間が来るまで幸せに。……頼む』って俺にそう言った。そのままその人倒れて……それで……」
理解できない、というように冬哉自身が眉をひそめたのを覚えている。
「消えた」
きょとんとする小学生の秋に、兄はもう一度繰り返した。
「消えたんだ。俺も信じられないけど、確かに消えた。地面に吐血した痕が残ってたから、体だけが消えたんだよ」
つまりそういうことではないだろうか。
血の繋がりがあるらしいとは言え、記憶に無い親をどう呼んだらいいのか分からず、シュウはためらいがちに言葉を発した。
「その、リギンという人、は私がいた世界で亡くなったんじゃないですか……?兄から、私に似た男性が目の前で消えたという話を聞いたことがあるんですが」
クレイジュは小さく頷いた。
「リギン様が異世界へ渡られた時にはフィアナの時は止まっていましたから、実際にリギン様がどうなったかは私には分かりません。けれど、全ての術を掛けて、その上異世界へ渡れば間違いなく力は尽きるだろうと、リギン様はおっしゃっていましたから……」
「セイジアさん、と同じように、魂が破壊されたってことですね」
「はい」
沈黙が落ちた。
シュウはリギンとセイジアという実の両親を思った。
フィアナというこの国の為に、全てをかけた二人。その『全て』には、シュウ自身も入っている。
確かにシュウは、クレイジュが言った通り実の両親に利用された訳であって。
……どう、受け止めればいいんだろう?
「シュウ殿」
考え込んだシュウに、不意にクレイジュが沈黙を破って呼びかけた。
「はい」
顔を上げると、クレイジュは少し気まずそうにシュウを見ていた。
「その……確かにシュウ殿は『鍵』として利用されたとお思いになるでしょうし、産まれてたった半年しか一緒にいられなかった訳ですから、確かにリギン様とセイジア様を親とは認められないかもしれませんが、その……」
言いにくそうにクレイジュは言葉を切ったが、すぐに幾分はっきりした口調で続けた。
「シュウ殿、お二人をどうか嫌わないで下さい。たった半年の間でしたが、リギン様もセイジア様もシュウ殿を大変可愛がっておられましたから。……フィリアス王に嘘を付くぐらいに」
「え」
……嘘?
クレイジュの最後の一言に問うような視線を投げると、彼はあからさまに視線をそらせた。
「何の、話ですか」
聞くと、クレイジュは心底困ったようだった。
「知っておいた方が良いとは思いますが、何と言うか……そのですね」
シュウがじぃっとクレイジュを見つめると、その視線に気圧されたのか彼はふぅ、と小さく息をついた。
「……非常に言いにくいんですが」
「はい」
「フィリアス王は、シュウ殿にとても似ている、ある方が好きだったんですよ」
「はぁ」
何の話だろうと、シュウは内心で首を傾げた。
「でもその方は、王のお相手にはなられませんでした。はっきり言ってしまえば、王など眼中に無かったんですね。……それで、シュウ殿は成長なさったらきっとその方に似るだろうから、年頃になって異世界から戻ってきた時に王の獲物にならないようにと、お二人は心配したんです」
「はぁ」
「だから、リギン様とセイジア様はフィリアス王に、自分達に産まれたのは息子だ、と」
「……え」
絶句した。
ただ単に、男に見えるから男だと思われているのかと考えていたが。
「……性別、ごまかしたんですか」
「そういうことになりますね」
そういう方達でしたから、と、半ば強引にクレイジュは付け加えた。爽やかな笑顔と一緒にだ。
シュウは自分自身を見下ろした。
ズボン、シャツ、ベスト、ベルト。……男用。
『昨晩クレイジュ様に緊急事態だからこれをご用意するようにと言われたのです』
ミリアの声が頭の中で響いた。
ということは、フィリアスはその、シュウに似ているという人のことが今現在も好きなのだろうか。
まあどちらにしろ、知らない人に重ねて見られるのは嬉しいことではない。
「……分かりました」
それ以外に返す言葉は無かった。