02
この世界に存在する全ての国には神界に住んでいると言われている神の名が付けられており、光と影に分類される。シュウのいる島国フィアナとユーリのいる大陸国シャルキの間には境界線があり、フィアナ以東に位置する国は影、シャルキ以西は光に属している。
神界にはそれぞれ『光の世界を統べる者』と『影の世界を統べる者』として、言うなれば王のような神がいた。彼らにちなんでこの世界には『光の大国』と『影の大国』と呼ばれる、比較的他の国々よりも面積が大きな国がある。光の大国はシャルキ、影の大国はフィアナより西へ少し海を渡った位置にあるリシュールと呼ばれる国がそれになった。長い間それぞれの大国は均衡を保ち、海を渡って貿易を行いながら栄えていた。ちょうどシャルキとリシュールの間にあるフィアナは、両国の貿易の中継地点として欠けることはできない重要な国だった。
けれど今より二十年程前、現在のシャルキの王ヴェルディアの父ソリュードが、影の国々を光の支配下に置こうと考えたのが始まりだった。
『影は光の下で存在するべき』
そんな信念のもと、ソリュードは手始めに、独立していた周辺の小国を全て自国の属国とし、そして次にその国々を合わせた戦力を掻き集めて連合軍と称し、その全てをフィアナへと送った。
影の国を支配下に置くには、大国リシュールを攻めなければならない。けれど、シャルキとリシュールの間は海を隔ててかなりの距離がある。そこで間に位置するフィアナが標的となったのだ。間とは言え、その場所は比較的リシュールに近い。フィアナを落とせばリシュールを落とすのはかなり楽になる。
大国シャルキの十分の一にもみたないフィアナが自国だけで連合軍を相手とするのは無理だった。けれど援軍を頼もうにも、ちょうど同時期にリシュールでは妖魔が大量に出没し、他国に軍を出せる状況ではなかった。しかし勝たなければ光と影の均衡は崩れる。両国で幾度も話し合われた結果、数百年前にとある国が取ったと言う案が採用された。その案を実質的に行ったのが、リギンと言う男性とセイジアと言う女性だった。
「リギン様も、わたしと同じ平民出身の方でした。けれどわたしがこの城に来た時には彼はすでに軍の最高職である一当家総長の位置におられました。二十代そこそこという年齢から見れば、驚異の出世です」
クレイジュはそう言うと、懐かしそうにわずかに目を細めた。
「セイジア様もそうです。セイジア様は一当家副総長。……歳も近く、誰よりも長く一緒におられたお二方ですから、ご結婚なされるのも当たり前でした。誰もが心から祝福しましたよ」
けれど蜜月は長くは続かなかった。以前から怪しかったシャルキの動向がはっきりしたのは、リギンとセイジアの結婚直後だった。
シャルキが周辺諸国を攻め始めたと聞いたリギンは、すぐにどこかへ姿を消したと言う。
「おそらくセイジア様は知っておられたのだと思いますが、あの方はリギン様がどこへ行ったのか一言もおっしゃりませんでした」
ただ、数日後に戻ってきたリギンを見て、全ての人間が、彼が何をしたのか悟った。
「リギン様は、神を、喰ったんです」
「……喰った?」
シュウはその生々しい響きに眉をひそめた。
「喰った、というのは少し違いますかね。実際は、神に体を貸した、もしくは神を取り込んだ、と言うのが正しいかもしれません」
どこの国にも守護神と呼ばれる神がいる。それが影に属する国ならば、その守護神は神界の『影の世界を統べる者』であるリシュール神の分身にあたる。分身とはいえ、神界のトップに立つ神の一部分だから、魔力神力共に凄まじかった。
「普通ならば、そのような強大な力を体に取り込むことのできる人間はいません。けれどリギン様は、……セイジア様もそうでしたが……稀に見る力の持ち主でした。力が蓄えられる魂の器が大きく、だからリギン様は守護神を取り込むことができたんでしょうね」
クレイジュは一つ息をつくと、ふとシュウの髪に目をやった。
「……もともとリギン様の髪は黒に近い灰色でしたが、戻ってこられた時には黒一色にそまっていました」
「黒に……?」
「ええ。最初から、髪の色はその人の持つ魔力や神力の大きさを表しているんです。シャルキ神の力を強く受けていればいる程白い、リシュール神の力を受けていればいる程黒い髪に。ですから、リギン様が戻ってきた時にすぐに分かったんです。彼が何をしたのか」
少し悲しげに視線を落としたクレイジュは、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「リギン様はおっしゃいました、『リシュール神も自分のすることをお認めになった』とね。……本来ならば一人の人間が神に等しい力を持つことなどあってはならないことなのでしょうが、この世界だけでなく、神界にとってもそれだけ緊急事態だったのかもしれません。この世界の光と影の均衡が崩れれば、神界にも少なからず影響が及ぶでしょうから。だからこそ、リシュール神もリギン様をお認めになったのだと思います。いや、あの方の判断に委ねられたとでも言うべきか。確かに、リギン様の決断でフィアナの流血は最小限に抑えられましたし、結果的に光と影の均衡も保たれている……」
自分自身に語っているかのような口調にクレイジュ自身が気付いたのか、彼は突如話すのを止めた。
「すみません、シュウ殿。ここからは少し、わたし自身もどう話せばいいのか分からないのでややこしくなってしまうかもしれませんが。……お聞き願えますか?」
「あ、はい。お願いします」
シュウがしっかりと頷くと、クレイジュも頷き返した。
リギンが神をその身内に取りこんでからしばらくの間、フィアナでは何事も無く平和に時が流れた。シャルキは周辺諸国を従えるのに忙しく、まだその目はフィアナには向いていなかったのだ。その静かな時間の内、セイジアは一人の子を産んだ。リギンが神と同化してからできた子のようで、その子の髪は黒一色だった。
そしてその子が産まれて半年が過ぎた頃、いよいよシャルキの王ソリュードの矛先がフィアナに向いた。光の大国リシュールで妖魔が出没し、フィアナに軍が送れないと聞いたリギンは、すぐに自国の王フィリアスに自身の計画を告げた。これが、最も犠牲が少なく確実に国を守ることができる方法だと。
「リギン様もセイジア様も、全てを読んでおられました。いくら神の力を持つ人間がいても、数十万の軍勢に勝てるはずが無い。けれど時間が経てば、必ず抑えつけられた寄せ集めの連合軍は分裂する。フィアナが影の国として存在し続けるのに必要なのは、連合軍を上回る軍勢ではない。……時間だ、と」
数年の時間さえあれば、連合軍は勝手に消滅する。それならばどうやってその時間を稼げばいいか。
「そこでセイジア様が思い出されたのが、数百年前の術だったんです」
シャルキがリシュールを攻める為にフィアナを足掛かりにするなら、そのフィアナに入ることができなくすればいい。
「フィアナという島国全土に絶対的な不侵入の術を掛けるというのは、規模の大きな術でした。規模の大きな術にはそれだけの代償が必要になる。フィアナを術で囲み、その中で国民が普通に暮らすという訳にはいかなかったんです。代償が、時、でしたから」
クレイジュは小さく笑った。
「今考えればおかしな話です。時間を手に入れる為に掛けた術が、わたし達から時間を奪っていたなどと」
「それじゃあ……?」
「ええ、16年です。16年の間、この国の時は止まっていた。その間に、シャルキではソリュード王が死に、今ではその息子のヴェルディアが王となっている。……シュウ殿、昨日、王とシャルキの城を脱出した時、何かおかしな所を感じられませんでしたか?違和感、みたいなものを?」
少し考えたシュウは、すぐに口を開いた。
「城を守る兵士の数が少ない、しかもあの人達、あまり戦闘に慣れてなさそうだったって所ですか。たかだか侵入者の二人を、結果的に捕まえられなかった訳ですし」
シュウの答えに、クレイジュは満足そうに笑った。
「その通りです。先程言った通り、リギン様とセイジア様の読みは当たっていたんですよ。シャルキでは今、従えたはずの諸国があちこちで乱を起こしています。ヴェルディア王はその鎮圧で必死。……それこそ、自身を守る城が手薄になる程に」
そう言って、クレイジュは静かに、長く息を吐いた。
「リギン様は、シャルキの城の祭壇の間と呼ばれる部屋に入ったフィリアス王に術を掛けてから、フィアナ全土にも同じ術を掛けました。そして最後にもう一つ術を掛けたんです」
大規模な術を完成させるには『鍵』が必要になる。ソリュードの手にその『鍵』が渡ってしまえば全ては終わる。
「異世界には黒い髪を持つ人種がいると知ったリギン様は、一歳にも満たない自分の子の神力を強く封じ、異世界へと送りました。そうすれば、もしシャルキの人間が異世界へ『鍵』を探しに来ても、黒髪にまぎれてばれることは無いと考えたんです。つまり、リギン様とセイジア様の子供が、『鍵』だった」
そして最後に残った問題は、いつ、どうやって術を解除するか、だった。
『鍵』である娘は異世界にいる。どうすればこちらの世界に適当な時期に戻ってこられるか。
「早すぎてはいけないし、あまり遅すぎてもどう状況が変わるか分からない。お二人にとっても、これは大きな賭けだったと思います」
信じられない話ではあったが、自分の身に起きた出来事を考えれば信じない訳にもいかなかった。
シュウは疑わなかった。足もとで光り始めたあの青い光が浮かぶ。
「ユーリに、呼応させたんですね」
シュウの淡々とした口調にクレイジュは一瞬苦しそうに眉を寄せたが、すぐに小さく頷いた。
「ええ、そうです。ソリュードは、必ず『鍵』を探す為に神力のある数少ない神官を異世界に送るだろうと、リギン様は考えたんです。けれど異世界とこちらの世界をそう簡単に何度も往復することはできない。『鍵』である娘もそう簡単に見つかりはしないだろう。それでは、その神官が『鍵』を見つけられずにこちらの世界に戻らなければいけなくなるのはどういう時か。それはつまり、シャルキに神官の強力な力がどうしても必要になった時、すなわちシャルキで戦闘が起こった時、です」
「ユーリがこの世界に戻る時が、その『鍵』の戻る時だった」
「はい。その時に、その子の封じられた神力も戻るようになっていました。そして、強制的に送還される場所を王のいる祭壇の間にしたんです。その子がフィリアス王と接触し、王が目を覚ました時初めて、フィアナに掛けられた術が解除されるようになっていました。つまり二重の鍵ですね。……シュウ殿、一番初めに王と何らかの形で接触したりしませんでしたか?」
すぐに思い出して、シュウは頷いた。
「剣と、膝がぶつかりました」
「それですね。その時に、このフィアナも時を取り戻したんです。まあつまり……」
そこで言葉を区切って、クレイジュは一拍おいた。
「昨日、なんですが」
前話で、ミリアの娘の名前が前半はイリア、後半でなぜかシリアになっておりました。
正しくはイリアです。変な間違いしちゃってすみませんでした。
教えて下さった方、本っっ当にありがとうございます。
色々な所で色々と間違わずには生きられない人間なので、これからもたくさん間違えると思いますが、発見した時は笑ってやって下さい。そして教えて頂けると有り難いです。