Ⅰ序章01‐‐‐お引っ越し
「私、明日引っ越すの」
突然だった。
もちろん、驚いた。今まで一度もそんな話聞いてなかったから。それでも、元来の無口というか口下手な性格のせいか、衝撃の告白を聞いた後の秋の第一声は簡単だった。
「……そうか」
第二声も簡単だった。
「でも、私、お金持ってない」
何も知らない人が聞いたらどうして引っ越しの話からお金の話になるのかと疑問に思うだろうが、秋との付き合いが長い衝撃の告白をした本人は、その言葉を聞いて吹き出した。そして秋が衝撃を受けても変わらないことにほっとしたらしく、静かに微笑んだ。
「大丈夫だよ秋。貯蓄家の秋からお高い餞別を貰おうなんて思ってないから」
でも、と彼女は続けた。
「一応、もう会えるかどうか分からないからお願いがあるの」
そんなに遠い所、例えば外国とかへ引っ越してしまうのかと秋は不思議に思ったが、親友とも呼べる彼女、優梨の願いなら喜んで聞くつもりだった。
「なんなりと」
秋の言葉に、優梨はどこか寂しそうに笑った。
「秋のね、ジンジャークッキーが食べたい」
「誕生日に作ったやつ?」
「うん。あれ、すごく好きだから」
「……あんなのでいいのか?」
強く頷いた優梨に、秋は複雑な気持ちで分かったと言葉を返した。
優梨に初めて会ったのは中学二年の時だった。
偶然クラスが同じで偶然話をし、偶然気が合って仲良くなった。それから現在の高校二年まで、何だかんだと特に仲違いすることもなく続いてきた関係だ。
確かに、今時の女子高校生の友人関係のように誰が誰を好きだとかいう恋バナみたいな話をした覚えもないし、おそろいのキーホルダーのような物を買ったこともない。けれど優梨はクラスメイトとしての気遣いだとかそんなものは飛び越えて、暇さえあれば秋の所へやってきたし、日常生活で起こったこと、感じたことを事細かに話してきた。それが例えどんなに小さいことであろうと。
そういう関係を友情と言うのだろうと、漠然とそう思っていたのだが。
おかしい、と秋は確かに思った。
思い返してみれば、ここの所ずっと優梨はおかしかったのだ。無駄に寂しそうな目で秋を見る。そのうちその理由を言うだろうと待っていたが、まさか引っ越すとは。それも話から察するにそうとう遠い所へ。
けれど、やれ卵が爆発した、やれ電信棒にぶつかったと意味の分からないことばかりを話してきた優梨が、なぜ引っ越すなどと言う事実を言わなかったのだろう。
迷惑だと思った?いや、優梨の性格からしてそれはない。
ただ単に言い出しにくかったから?それもないような気がする。
ぎりぎりまで言えなかったから?
そう考えて、秋は誰もいない帰り道で首を振った。
誰にも言えない引っ越しってどんな引っ越しだ。国外亡命でもあるまいし。ありえないありえない。
もう一度首を振った。
でも、それでもぬぐえない確かな不安とかすかな予感がそこにはあった。