5 すれ違う心
とある日、ライラとその隣にいるレリウスの目の前には、第一王子のベリアルがいた。
「やあ。レリウスのおもちゃになった君は、確か人間族の……」
「えっと、ライラと申します」
「ああ、ライラ。ここの生活には慣れたかい?ちゃんとレリウスに可愛がってもらっている?」
にっこりと微笑むベリアルは美しいセミロングの白銀色の髪をさらりとなびかせ、妖艶という言葉がぴったりだ。
「何しに来たんだよ」
「はは、相変わらずレリウスはそっけないな。そろそろお前にも番が必要なんじゃないかと思ってね、近々こちらにめぼしい令嬢を送ろうと思う。それを知らせに来たんだよ」
「はあ?番は自分でわかるもので、人から押し付けられるものじゃないはずだろ」
「でも、会ってみないことにはわかるものもわからないだろう?それとも、すでに番は見つけたのかな?」
ベリアルはそう言って静かにライラを見つめる。その瞳は、何かを勘繰るかのようなそんな視線だった。
(え?どういうこと?)
話の内容が全く見えないライラは、戸惑いながらベリアルを見つめ返す。
「……ライラは関係ないだろう」
「そうかい?レリウスも薄々感づいているものだとばかり思っていたけれど、違うのか。俺の嗅覚は間違っていないと思ったのだけれど……それとも、レリウスは人間族の番は嫌なのかな」
「……っ!」
レリウスはベリアルを睨んでからライラの視線に気づき、すぐに目をそらす。
(何?一体何の話をしているの?)
不安げなライラの目の前で、ベリアルはポンッと突然狼の姿に変身した。そして、ライラの顔に鼻を摺り寄せる。突然ふわふわな白銀色の狼に顔を摺り寄せられて、ライラは嫌がるどころか少し嬉しそうだ。
「う、ふふっ、ベリアル様、くすぐったいです」
「おい!ライラから離れろ」
狼姿のベリアルから庇うようにレリウスが慌ててライラを引き寄せると、ベリアルはポンッと人の姿に戻って二人を見た。
「やっぱりそうじゃないか。ライラ、君はレリウスの番だ。匂いで分かる。唯一無二の香り、番はお互いにお互いの香りをほのかに纏っている。そしてその香りは混ざり合い、特別な香りになる。それは一緒にいるからではなく、生まれつきそういうものだ。父上もライラに出会った時にすぐにそれを感じ取った。だから父上は生贄としてではなく、レリウス、お前にライラを預けたんだろう」
(わたしが、レリウス様の、番?)
ライラは茫然としてレリウスを見上げる。狼人族は人間族とは違い、結婚相手を番で決めるというのを聞いたことはあった。だが、実際に自分がレリウスの番だと言われてもいまいちよくわからない。
「本当はレリウスだって、気づいていたんだろう?彼女の匂いを心地よいと感じたんじゃないのか?それなのに、どうして頑なに認めようとしない?そんなに人間族の番は嫌なのか」
「なっ、そんなことは一言も……」
(レリウス様は、私と番なのが嫌?私が、人間族だから?)
ライラがジッとレリウスを見つめる。腕の中のライラの視線に気づいて、レリウスは思わずパッとライラを離した。
「とにかく、この話は終わりだ。兄上も帰ってくれ」
気まずそうにそう言って、レリウスはその場からいなくなった。その場に、ライラとベリアルが取り残される。
「……すまないね、意固地な弟で」
「いえ……あの、私がレリウス様の番というのは本当のことなんでしょうか」
「ああ、間違いない。……君はレリウスの番なのは嫌かい?」
「いえ、そんなことは……!むしろ、レリウス様が嫌がっているようです」
少しうつむいてライラはそう呟く。しばらく無言が続いたが、ライラは顔を上げると真剣な眼差しでベリアルに尋ねた。
「あの、番は絶対に一緒にならなければいけないのでしょうか?」
「?」
「私が、レリウス様の番を辞退して、狼人族のご令嬢がレリウス様の番になることはできないのでしょうか」
「辞退、か。まれなケースだし、できなくはないけど、……君もレリウスも辛い思いをすることになるよ」
「でも、私が番を辞退できれば、レリウス様は他の、狼人族のご令嬢と番になれるんですよね」
トルマリン色の綺麗な瞳がベリアルをジッと見つめる。その決意の固まった表情に、ベリアルは眉を下げ寂しそうに微笑んだ。
◆
ベリアルがレリウスたちの元を訪れた翌日。レリウスはいつもと様子が違うことに気が付いた。屋敷内でどこからともなく聞こえるライラの笑い声が聞こえない。いつもはメイドたちと楽しそうに笑っているのに、その声が聞こえないのだ。姿を探してみるものの、ライラの姿は何処にも見当たらない。
「ベリック、ライラの姿が見えないが、どこかに出かけたのか?」
「……ライラ様ならこの屋敷を出て行かれました」
「は!?」
ベリックの返事に、レリウスは驚愕の眼差しでベリックを見る。だが、ベリックは表情を変えずに冷えた視線をレリウスに向けている。
「どういうことだ!」
「ライラ様はご自分がレリウス様の番にふさわしくないと思い、屋敷を出て行かれました」
「……は?そんな、出て行くって、他に行き場がないだろう!」
「恐らく、ベリアル様の元へ行かれたかと。人間族の国に戻るにしても、道案内が必要になりますので」
「そんな……!いつ出て行った!」
「つい先ほどです」
(今追えばまだ間に合うか!)
レリウスは黒い狼姿に変身し、急いで屋敷を出てライラを追いかける。そんなレリウスの姿を、ベリックはやれやれという顔で眺めていた。
(どうしてだ、どうしてだ、どうしてだ!)
真っ黒な狼は、ライラの匂いをたどって全速力でライラを追いかける。
(間に合ってくれ、お願いだ。何も言わないで出て行くなんてあんまりだろ!)
胸が、今にも張り裂けそうだった。ライラが自分の番かもしれない、それは出会ったその日から匂いでなんとなく感じていたことだった。それでも、それを認めたくない、認めてしまってはいけないような気がして、ずっと見て見ぬふりをしていた。
それなのに、こんなにも辛く、苦しいものだったなんて。ライラが側にいない、それだけでこんなにも身が、心が引き裂かれるような痛みに胸が苦しくなる。もう二度と会えなくなるかもしれない、そう思っただけで魂が悲しくて震えるようだった。
前方に、馬車が見える。馬車と言っても引いているのは馬ではなく狼だ。レリウスは馬車の前に立ちはだかり、狼の姿で叫んだ。
ーーライラ!どうして黙って屋敷から出て行こうとする!
止まった馬車から、ライラが神妙な面持ちで降りてきた。