3 狼と子犬
ライラがレリウスの屋敷に来たその日の夜。ライラは寝る支度を済ませ、ベッドの中で一日を振り返っていた。
(生贄になると思ったのにならなかったし、あれよあれよという間にレリウス様のお屋敷に来て、こんなに良い思いをさせてもらって本当にいいのかな?でも、レリウス様はとにかくまずは健康的になれって言ってたし、早く栄養をつけて何かしらのお役に立たないと)
いつお前は不要だと捨てられてしまうかわからない。レリウスがそんなことをするようには見えないが、使い道のない人間はどうなるかわからないのだ。ライラに帰る道はない。ここでなんとか生きていくしかないのだ。
コンコン、とドアがノックされる。
「はい?」
こんな夜遅くに誰だろう?不思議に思っていると、ドアが開いて意外な人物が入って来た。
「レリウス様!?」
「なんだ、不思議そうな顔をして」
「えっ、だって、どうしてここに?」
「ここは寝室だろう?そもそもここは俺の寝室だ」
ポカンとした顔でライラがレリウスを見つめていると、レリウスは何食わぬ顔でベッドの中に入って来た。
「えええっ?一緒に寝るんですか?」
「別に取って食ったりしないから安心しろよ。俺はお前みたいなちんちくりんには興味がない」
(ち、ちんちくりんて!また言われた!)
ライラが顔を赤くして少しムッとすると、レリウスはフッと笑ってライラに顔を近づける。突然のイケメンが目の前にあってライラは思わずドキッとする。
「それとも、何かしてほしいのか?」
「な!ち、違います!」
ライラが顔を真っ赤にして抗議すると、レリウスは楽しそうにケラケラと笑った。
「ほら、さっさと寝るぞ」
「えっ、あ、はい……」
もぞもぞとベッドの中に潜り込むと、レリウスはあっという間に寝息を立て始めた。ライラは呆れたような顔で見つめてから、自分ももぞもぞとベッドへ潜り込む。
(寝れるのかな、これ……)
そう不安に思っていたが、ライラもいつの間にか寝入っていた。
ーーどうしてこんなこともできないんだ!
ーーこの役立たず!
ーーこれだから側妃の娘は、本当に汚らわしい!
「……っ!」
ライラの両目が開かれる。目の前には、天井が見えた。
(夢……そっか、私、狼人族に生贄として来たんだっけ)
ぼんやりと天井を見つめていると、目じりに何かが流れ落ちる。涙だ。ライラはいつの間にか泣いていた。
ゆっくり体を起こして目をこする。ここに来る前、侍女のように扱われこき使われていた頃の夢を見たのだと自覚する。どんなにちゃんと仕事をしても、暴言を吐かれ、頬をぶたれ、背中を鞭で打たれ、酷い時は蹴り飛ばされたりもした。
それでも、痛々しい顔をしていれば被害者ぶるなと文句を言われ、逆に笑顔を作ればへらへらと笑うなと文句を言われる。何をしてもライラは文句を言われ怒られるのだった。
だが、ここではもうそんな思いはしなくてもいい。誰もライラを殴ったり叩いたり責めたりしない。ほうっと静かにため息をつくと、横でもぞもぞと動く気配がした。
「どうした?眠れないのか?」
横から声がして振り返ると、レリウスが体を起こして心配そうな目でライラを見ている。
「何でもありません。ちょっと目が覚めただけで、大丈夫です」
レリウスに心配をかけないようにと無理矢理笑顔を作ってそう答えるライラを見て、レリウスは眉間に皺をよせた。
「大丈夫な顔じゃないだろ」
そう言って、ライラの体を引き寄せてレリウスは自分の腕の中に閉じ込めた。
「レリウス様!?」
「いいから。こうして誰かに抱きしめられたほうが落ち着くだろ」
よしよし、とレリウスがライラの背中を優しくさする。それはまるで小さな子供に対して行うようなそぶりだが、それでもライラはなんだか嬉しかった。
(あったかい、誰かに抱きしめられたのっていつぶりだろう?)
ずっと感じることのなかった人の温もりを感じて、ライラの心はポカポカとあたたかくなっていく。さっきまで不安で苦しかった心が、ふんわりと溶かされていくようだ。
「レリウス様、あったかい……なんだか安心する……」
「そうか、それはよかった。このまま寝るぞ」
そう言って、レリウスはライラを抱きしめたままベッドの中へ潜り込んだ。ふわふわのベッド、レリウスの暖かい温もり、ライラはほんわかとした心地よさを感じながら、そっとレリウスの服を掴む。それに気づいたレリウスは、優しく微笑んでライラの頭を静かに撫でた。
◆
ライラがレリウスの屋敷に来てから一か月が経った。ライラはいつまでもぬくぬくと暮らしているわけにもいかないと、率先してメイドたちの仕事を手伝っていた。
「メイドたちは自分たちの仕事が無くなると困るからと言っているようですが、それなら手伝うだけでもとメイドたちの邪魔にならないように少しずつ手伝っているようです。もともと何かしていないと気が済まない性分なのでしょう」
ベリックがクスリと小さく笑ってそう言うと、レリウスはふうん、と呟いて微笑む。レリウスの視線の先には、部屋の中央でライラがメイドたちに熱心に何かを教えている光景がある。どうやら、ライラがメイドたちに刺繍を教えているようだった。
「あ、レリウス様!」
レリウスに気付いたライラは立ち上がってレリウスの元に笑顔で駆け寄って来る。
(まるで子犬のようだな。耳と尻尾が見える、こいつは狼人族ではなくれっきとした人間なのに)
くくく、と苦笑しながらレリウスはライラに声をかけた。
「ずいぶんと楽しそうだな」
「みんなで刺繍をしていたんです。私のいた国では、ハンカチに相手の幸せを願いながら刺繍を施して相手にプレゼントするというのが流行っていたので」
そう言って、ライラはレリウスにはい、と手渡した。ライラの手の中には、真っ黒な狼が遠吠えをする刺繍が入っている白いハンカチがあった。
「俺に?」
「はい、レリウス様に幸せが訪れますようにって思いながら刺繍しました。効果は抜群です!」
嬉しそうに微笑むライラからハンカチを受け取って、しげしげとそれを眺める。
「上手だな」
「ライラ様は何でも器用にこなしてしまうのでみんな驚いているんですよ」
メイドのひとりがそう言うと、周りのメイドたちもライラを囲んでわいわいと楽しそうだ。ライラも少し照れながらも嬉しそうに笑っている。
「ここの生活にも慣れたみたいだな」
「はい!皆さんとても優しくて良い人たちばかりですし、何不自由なく生活できているのもレリウス様のおかげです。ありがとうございます。どうやって恩返しすればいいのか……」
「恩返し?」
「はい、私は生贄のはずなのに生贄になっていませんし、レリウス様のお役に立ててるとも思えなくて」
申し訳なさそうにしているライラを見て、レリウスはふむ、と顎に手を添える。
「俺は親父からお前をもらった。その時点でもうお前は生贄ではない。それにお前を見ていると飽きない。それだけで十分俺の役に立っている。それに、メイドたちの仕事を率先して手伝っているんだろ?メイドたちにこうして刺繍を教えてもいる。十分役にたってる。だから気にするな」
レリウスがぽん、とライラの頭に手をのせて優しく撫でると、ライラはレリウスの顔を見て目を輝かせる。まるでありもしない耳がピン!と伸びて尻尾をぶんぶんと大きく振っているかのようだ。
「くくっ、お前、本当に人間族か?まるで子犬みたいだ」
「ええっ、子犬ですか?これでも一応成人しているんですけど……」
「ふっ、耳と尻尾が見える」
「えっ!?もしかして、ここの食べ物を食べていると人間も狼人族になれるとかですか?あれ?でも尻尾なんてどこにもないですよ」
ライラは驚きながら自分の体をしげしげと見渡している。そんなライラを見て、レリウスは声を上げて笑っていた。
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