1 白狼王の贄姫
「人間の娘よ。自分がなぜここにいるかわかっているな」
玉座には大きな体に白髪、髭を生やした王が君臨していた。それは狼人族の王、白狼王だ。白狼王といっても玉座に座る姿は人の姿をしており、威厳のある風格で、見るもの全てを震えあがらせると言われている。白狼王が見下ろす先には、跪きながら小さく震える娘がいた。
(こ、ここここわいいい!こわいけど、こわいけど!こわがってる場合ではないのよね)
娘は震える手をぎゅっと握りしめて、白狼王を見上げた。
「わ、わかっています。私は、生贄としてやってきました」
「名は何という」
「人間族で一番の大国、サルギア国の第二王女、ライラ・ウェストンと申します」
綺麗に着飾ったその娘は、ローズピンクの髪にトルマリン色の瞳、小柄で見るからに可愛らしい姿をしている。
この世界には人間族と狼人族、他にも竜人族など様々な種族がいる。
はるか昔に人間族と狼人族は争い、人間族は大敗した。それ以降、人間族は狼人族を恐れ、百年に一度、狼人族の王である白狼王へ人間族の中で一番大きい国から生贄を捧げている。それは古より代々途切れることなく続くものだった。白狼王は人間の若い娘の血肉を欲し、生贄を得ることで人間族と適切な距離を保ってきた、と言われている。
「わざわざ来てもらってなんだが、儂は小娘の血肉には興味がない。前王は美味しくいただいたそうだが、儂はお前のような小娘には興味が全く湧かぬ。そこでだ」
そう言って、白狼王は近くにいた王子たちに視線を向ける。そして、三人目の王子で視線が止まった。
「レリウス」
「はっ」
「お前にこの小娘をやる。好きにしろ」
「はあ?俺ですか?」
レリウスと呼ばれた王子は素っ頓狂な声をあげる。艶やかな黒髪をサラリと靡かせ、月のような金色の瞳をライラへ向けた。耳にぶら下がる銀細工の細いピアスが、光って揺れる。
(わあっ、綺麗な人……あっ、人のような姿をしてるけど、人ではないのよね。でも、本当に綺麗)
ライラが思わずぼうっとしながらレリウスを見つめていると、レリウスと一緒に並んでいた一番王に近い男が口を開く。
「へぇ、可愛いおもちゃをもらえてよかったじゃないか」
第一王子のベリアルが微笑みながらそう言うと、横にいた第二王子のタリオスがレリウスを見てふん、と鼻で笑う。
「いや、俺もこんなちんちくりんには興味ないんだけど」
(うっ、ちんちくりん……地味に傷つく)
「まぁいいや、貰えるもんは貰いますよ、ありがたく」
◆
「と、いうわけでお前は今日から俺のものだ。白狼王に食べてもらえなくて残念だったか?」
「い、いえ!」
レリウスに連れられて、ライラは王城内にある一室に通された。こじんまりとしているが、小綺麗で過ごしやすそうな部屋だ。
(食べられるとかつまり即死よね?そんなの怖すぎて無理!)
レリウスの言葉を聞いて、考えただけて怖すぎる、とライラはぎゅっと目を瞑って首を振る。するとレリウスはプッと吹き出した。
「お前、面白いな。それにしても……」
そう言って、ライラの手を急に掴んだ。
(えっ!?)
突然のことにライラは驚くが、レリウスは黙ってライラの手をジロジロと見ている。
「お前、本当に第二王女か?王女のくせに、手がボロボロで、まるで水仕事ばかりする侍女みたいだ。いや、侍女にしてもひどすぎる。待遇の悪い屋敷で働く侍女といったところか」
ライラの指先はあかぎれでボロボロになっている。驚いてライラは思わず手を引こうとするが、レリウスは掴んだ手を離さず、逆にグイッと力強く引き寄せた。そしてライラの耳元に自分の顔を近づける。
(ひっ!近い!)
「お前、第二王女のフリをした侍女なんじゃないのか?人間族もたいしたものだな。偽物を送り付けてくるなんて俺たちをバカにしてる。喧嘩でも売ってるのか?」
「ち、違います!私は偽物なんかじゃありません!」
「だったらなぜこんな手をしてる?王女であれば水仕事なんかしないし優雅に暮らしてるはずだろう」
「そ、それは……」
目を泳がせて言いよどむライラに、レリウスはふん、と鼻を鳴らして手を離した。
「まぁいい。お前の素性は徹底的に調べ上げる。嘘だとわかったら人間族に返してやろう。こちらをバカにしたお礼もしっかりしてやらないとな」
そう言ってニヤリと笑うと、レリウスはドアまで歩いていく。
「いいか、お前の素性が判明するまで勝手な行動は許さない。お前が何者であろうと、お前は俺のものだ。俺の許可なく動き回ることは許さない、覚えておけ」
振り返ってからそう言って、レリウスは部屋から出ていった。
ポツン、と部屋に取り残されたアリアは呆然としてドアを見つめている。
(勢いがすごい……。それにしても、この部屋、私が過ごす部屋ってことでいいのかしら?)
キョロキョロと部屋の中を見渡してから、近くにあったソファへ恐る恐る座る。ふかふかなその座り心地に、アリアは思わず口元を緩めて頬を赤らめた。
(ふ、ふかふか!すごいふかふかだわ!部屋もとても綺麗だし、こんな素敵な所にいられるなんて……今のところは食べられる様子もないし、生贄になれてよかった!)
ほうっと息を吐いて自分の両手を見つめる。あかぎれになったボロボロの手を見ながら、レリウスに言われたことを思い出した。
「第二王女なんだけどな……」
ポツリ、と呟くライラの声が静かな部屋に響き渡った。
◆
(あの小娘、手はボロボロだしあまりにも細すぎだ。人間族め、バカにしやがって、あれで王女なわけないだろうが)
レリウスは王城内にある自室に戻ってからライラとの会話を思い出していた。
ライラの手首を掴んだ時、あまりの細さに驚いた。手はあかぎれでボロボロ、体も服でごまかしているが明らかにガリガリだ。まるで何かを隠しているかのようだ。
(早急に素性を明らかにして王に報告してやる)
「ベリック」
「はっ」
ドアの側に立っていた側近ベリックは、よく通る声で返事をしお辞儀をする。長めの銀髪を一つに束ね、洗練された動きでレリウスの近くへ歩いていく。
「あの女の素性をもう一度徹底的に調べてあげろ。あれで王女なわけがない。どこかの待遇の悪い侍女かなにかに違いないからな。もしくは奴隷という可能性もある」
「かしこまりました。明日には報告できるようにします」
そう言って深々とお辞儀をすると、ベリックは部屋を出ていった。
「待っていろよ、人間族。狼人族をバカにするとどうなるかわからせてやる」
指をパキパキっと鳴らしてレリウスは不敵に笑った。それから、一瞬だけ真剣な顔になり、何かを思い出したように宙を見つめる。
(あの娘、ほんの少しだけ何かいい香りがした気がするが……いや、そんなはずはないな)
◆
「侍女でも奴隷でもない?」
翌日、レリウスはベリックからの報告を聞いて声を荒らげた。
「はい。正真正銘の第二王女でした。血筋も確認済みです」
「そんな馬鹿な……だったらなぜあんなに痩せ細り手はボロボロなんだ、おかしいだろ」
「そのことですが、彼女はどうやら国で酷い扱いを受けていたようです」
「酷い扱い?」
レリウスが眉を顰めて聞き返すと、ベリックはふぅ、と静かに深呼吸してレリウスを見つめる。
「彼女は第二王女にも関わらず、侍女のように働かされ、ご飯もろくに与えられず、屋根裏部屋で生活させられていたようです」