およめさんにする
神野親王 生没年 786-842 桓武天皇の第二皇子。母は藤原乙牟漏。
皇后に橘嘉智子をたて809年に即位する。
即位後に譲位したはずの平城上皇が藤原薬子や藤原仲成らと語り政権を奪回しょうとした(「薬子の変」)ため、坂上田村麻呂らを派遣してこれを制圧した。
これにより上皇は出家し、薬子は自害、仲成は殺害された。
以後朝廷は30年もの間安定し平安文化が開花した。
「蔵人所」・「検非違使」などを設置し、また、「弘仁格式(「弘仁格・弘仁式」をいう)」、「新撰姓氏録」を編纂させる。
書にすぐれ三筆の一人とされている。
藤原緒嗣 生没年 774-843 藤原式家、参議・藤原百川の長男。官位は正二位・左大臣、贈従一位。山本大臣と号す。
従者を従えて行くようにと言われた。ので、
従者の中で歳が近い藤原緒嗣を呼んだ。
「親王様ご用でしょうか」
「うん、貞子の所にお見舞いに行く」
「はっ。お供します」
女従もついてくると言うので二人だけ許可した。
親王が牛車に乗ると、従者三人は並進して向かう。
昨日の記憶の通り、3区域ぐらいしてから左へ曲がり、3区域して右へ曲がる。そのまま真っ直ぐ進むと藤原貞子邸だ。まあ、家はお父さんの藤原縄主氏の家であるが。
「こんにちは。藤原貞子さんにお会いに来ました」
「こんにちは」お香の匂いがするお母さんと男性が出てきた。
「藤原縄主と申します。殿下、娘へお見舞いいただき感謝いたします。しかし、急ではございますが、橘家の養女となる事が決まり、こちらにはもう帰って来ない事となりました。申し訳ありませんが、宜しくお願いいたします」
「義兄弟ではなくなったと言うことか?」
「はい、左様でございます」
「お嫁には行かぬのか?」
「今のところ予定はありません」
「なら、我輩の嫁にする」
「えっ?」
「それは。。。。。かしこまりました。帝にお話させていただきますので、お時間をいただいてよろしいでしょうか」
「うん。急がぬ」
藤原縄主は急いで出かけた。
他の者達も動けないままでいるので、
「我輩は休ませていただくので、皆のものも休むように」
安堵の空気が漂って、全員下がって行った。
藤原緒嗣だけが残っている。
「休んでも良いですよ」
「いえ、警備も兼ねていますので大丈夫ですよ」
「ありがとう」
しばらくして藤原縄主が帰って来た。
「帝の許可が下りましたので参りましょう」
藤原縄主が先導する。
来た牛車に再度乗り込み移動する。来た時の人数+藤原縄主一人追加である
藤原縄主邸より大きな橘邸である
「橘安麻呂と申します。橘嘉智子様の叔父になります」
「たちばなのかちこ?」
「はい。旧姓はふじわらのさだこ 様です」
⊂((・x・))⊃