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「勇気」

さよならだって

作者: 六福亭(鹿西さち)


「__だから、君たちの代の名を、『竜の代』とする」

 顧問が、1つ上の先輩たち全員に、そう告げた。

 3月7日、卒部式。10人の3年生部員が、我が高校の吹奏楽部を旅立った。

 

 2年生である高平杏は、先輩方を見送る立場だ。何日も前から、この卒部式の計画を、1,2年生全員で練った。いろんなレクを試して、招待状も用意した。プレゼントと色紙は、イオンに皆で買いに行った。プレゼントは、同じパートの先輩に用意するのが暗黙のルールだ。だけど、杏はもう1つ、特別な先輩へのプレゼントを買っていた。


 卒部式は、卒業式の後に行われる。その日の吹奏楽部員は朝から大忙しだ。早朝の基礎練習の後で、体育館に楽器を搬入しなければならない。その後で、当日リハーサルをする。


 卒業式会場となる体育館は、前日の段階でシートが敷かれ、垂れ幕も掛かっていた。前日もリハーサルをしていたから、今日という日もただの日常の延長に感じてしまう。

 だけど、今日はただの本番じゃない。ウォームアップの時から、杏は気が進まなかった。だって、この本番が終わったら、先輩たちはいなくなってしまう!


 昨日まで、卒業式はまだまだ先だと思っていた。いや、今だって、あと2時間あると自分を落ち着かせている。馬鹿な杏。2時間なんてあっという間なのに。2年間だって、あんなにすぐだったんだから。


 リハーサルは上々だった。この日のために選んだ、定期演奏会の定番曲は、いつものホールじゃないところで吹くせいか、不思議な響きがした。顧問が編曲した校歌も、まあまあの出来だった。

 

 去年、杏たちはまだ1年生で、先輩たちと一緒に演奏した。あの時から、杏の立ち位置も先輩たちも、この部の音楽もずいぶん変わった。




 卒業式の本番が始まって、司会の先生が入場を告げた。

「31ホーム、川本ホーム」

 伝統の号令で、担任を先頭に卒業生が入ってきた。顧問が指揮棒を振って、杏たちは息を吸い込んだ。

 __杏の高校生活の最初も、吹奏楽部の演奏だった。明るいポップスのメドレーと共に、新入生は体育館に入場した。新しい学校への期待と不安を抱きながらも、聞き覚えのある旋律に耳を傾けた。あの時、誰がどのパートを吹いているかなんて知るよしもなかったけど、今では全員の顔を知っている。吹き方や表情まで、思い浮かべることができる。

 経験者だった杏は先輩たちから熱心に部活へ勧誘された。必要とされているのが嬉しかったから、杏も迷わず入部を決めた。その時出会ったのが、1つ上のホルンの先輩だった。


 澤田秀司先輩。その名前を心の中で呟いた時、ちょうど花道を歩く彼の姿が見えた。澤田先輩は、胸を張ってきびきびと歩いていた。いつもと全く同じだ。どんな時も、まっすぐな姿勢を決して崩さない人だから。

 挨拶や、返事の声が誰よりも大きいのが澤田先輩の特徴だった。周りから煙たがられる時はあったものの、誠実で熱心な彼を、部員も顧問も信頼していた。(その割に、何故か顧問から怒られることも多かった)

 杏の楽器は中学の時からトロンボーンだ。ホルンとは分奏で一緒になることも多かった。澤田先輩はいつも率先して意見を言う。それにつられて、杏も中学の時よりは思ったことを口に出すようになった。最初ちょっと怖そうだと思っていた澤田先輩は、話してみるとひょうきんなところもあった。杏が彼に憧れるようになるまで、そう時間はかからなかった。





 卒業証書授与の時間になった。1人1人名前を呼ばれる。吹奏楽部の先輩方は、皆堂々と返事をして起立した。それを聞いていると、杏たちはなぜだか、在校生や来賓全員に、先輩方を自慢したい気分になった。

 

 __合奏でもミーティングでも、はっきりと大きな声で返事をするのがルールだったが、その軍隊じみたしきたりを嫌う部員もかなりいた。入部したばかりの杏の同期たちも、返事の大きさと前髪をとめるルールは我慢ならないと文句ばかり言っていた。顧問が前髪や返事に異様に厳しい人だったのだ。


 杏は厳しい規律がそう嫌いではなかった。澤田先輩も、誰よりもきちんとルールを守っていた。だけど、返事ボイコットが始まってからは、他人事でいられなくなった。顧問は機嫌が悪くなるし、ボイコットに参加しない奴は裏切り者みたいな雰囲気になるし。

 

 その時顧問と部員の間に入ったのが澤田先輩だった。彼はどっちの意見も文句も全部聞いた。それから、どちらにも妥協を促した。この1件で、前髪を無理矢理に分けるルールはなくなった。(本当に画期的な出来事だったのだ)





 卒業式の後、現役部員たちは大忙しだ。楽器を片付けて、卒部式の準備をしなければならない。音楽室はあらかじめある程度飾り付けてあるので、お菓子や飲み物を用意した。持ってきたプレゼントは、音楽室の打楽器の後ろに隠した。ガムテープで壁に貼ったモールが落ちかけていたので、慌てて貼り直した。


 さしたるトラブルもなく準備が終わったのは、杏たちの学年が段取りを理解しているからだ。伝統的にどんなものを用意しなければならないのか、どんな次第で式が進むのか、全部去年経験したから分かっていた。


 __去年の卒部式の時は、先輩たちが仕切ってくれたっけ。部長になった澤田先輩が陣頭指揮をとって、最高の卒部式にしようと張り切っていた。

 

 だけどその時、我が部には暗雲が立ちこめていた。





 招待された卒部生の方々が、後輩たちの拍手を浴びて音楽室に入ってくる。花のコサージュを制服の胸につけた先輩方は、どことなく照れ臭そうに笑っている。何人かの先輩の目元が赤い。後輩たちは、気づかないふりをした。ここからの時間は、とにかく楽しいものにしたかった。


 お菓子を食べながら思い思いに談笑した後は、レクをした。ジェスチャーゲームで、部員の名前ばっかりお題に出たから、度々爆笑が上がっていた。それから、……卒部生が話す時間になった。


 澤田先輩はしみじみとした表情で言った。

「3年間、楽しいことばかりじゃなくて、この部で嫌な思いをしたことや、練習がきつかったこともあったと思うけど、今思えばすごく懐かしいです。もっとこうすれば良かったって後悔したことは……ないです」

 顧問が「本当にそうか?」と混ぜっ返し、笑いが起こった。

「去年、大事な仲間が何人も辞めていって、僕も皆も辛い思いをした時期がありました。あの時皆が踏ん張って、この部をもっと良い部活にしようって全員で決意して……いっぱい話し合って行動したから、夏のコンクールも良い結果だったし、今の良い雰囲気の部活があるんだと思います。……今の現役部員にもいろいろ大変なことはあるかもしれないけど。でも、本気で向き合えば、出来ないことなんてないんだと、僕らはあの時分かったはずです」

 何人もの部員が、先輩が、顧問たちがうなずいた。

「杏とかも、すごく大変な思いをしたと思うけど」

 急に名前を呼ばれて、私は息を詰めた。隣の子が、私の脇腹をからかうようにつつく。同じパートでもないのに、先輩に呼ばれるなんて思わなかった。

「だけど、杏も、他の皆も、ずっとずっとホントに頑張っていて……だんだん良い方に変わっていってます。だから、僕は皆を誇りに思います」

 何様だって話だけど。そうはにかんで、澤田先輩は話を閉じた。


 ホルンの子が、泣いていた。澤田先輩が話しながら思い出していたであろう局面を、皆が覚えていた。何度もミーティングを繰り返して、うんざりしながらも練習に向かった1月。どんどん退部届が出されて、泣いてばかりいた2月。定期演奏会のパフォーマンス決めと新入生勧誘のために、自分たちにできることは何かと悩んだ3月。 


 私は良い方に変わったんだろうか。杏は自分に問いかけた。


 __杏は部活を真面目にやりたい方だった。だから、返事を面倒がり、練習の手を抜く部員が理解できなかった。そんな時は、自分だけでもきちんと練習してさえいればいいのだと思っていた。顧問に自分たちまで怒られるのが理解できなかった。


 だけど、吹奏楽は合奏だ。皆で足並み揃えなければ、良い音楽は作れない。そのことを、澤田先輩は杏よりずっとよく理解していた。自分の練習なんて、いつでもできる。より難しく、そして何より今必要なのは、全員のやる気を出させることなのだと杏に言った。


 杏には、だからといって自分に何ができるのかが分からなかった。澤田先輩も思いついていなかった。だから、2人で、それから皆で考えた。


 どうやって音楽を作ればいいだろう? 部活の意味を考えろと顧問は言うけれど、どうしてそんなことを言うのだろう? 




 

 卒部生の話が終わり、顧問が立ち上がった。顧問は、今年のコンクールで演奏した曲名にちなんで、卒部生の代に名前をつける。それが吹奏楽部の伝統だった。


 顧問はこの代の思い出から話し始めた。1人1人の良いところを挙げていて、何だかんだできちんと部員のことを見ているのだなと変なところで感心した。


 顧問は澤田先輩のことを評して「勇敢」だと言った。勇敢。そうだ。勇敢。そうだ。澤田先輩はいつも勇敢で、問題にぶつかっていった。そんな先輩の後を追いたいと杏も心から思った。


 __そして、杏が勇気を出す時がやってきた。ミーティングで集められた部員に、杏は初めて本心を言った。どうすれば部活が良くなるのか悩んでいる。今は、だらしない雰囲気になっていて、良いとはとても思えない。私は皆で、練習を頑張れるやり方を考えたい。


 発言の後、大騒ぎになった。反発する部員がいて、後の退部につながった。それは紛れもない事実だ。いくら、残った部員が杏を責めなくても。


 勇気の使い方を間違えた。そう後悔する杏に澤田先輩がかけたのが、やはり『勇敢』という言葉だった。

『杏は勇敢だった。今までずっと言えなかった自分の気持ちを言えたんだから。うちの吹部は、それで壊れるようなヤワな部活じゃないよ』


 彼の言葉は、本心だっただろうか? 杏には分からない。だけど杏は、先輩を信じた。澤田先輩なら信用できる。今でもそう思っている。


 だけど、もうさよならなんだって。いなくなってしまうんだって! 入部した時から、私をずっと導いてくれた人が! こんな短い時間の思い出だけ残して、もうあんな濃密な時間は一緒に過ごせないんだって!


 顧問が、先輩方の代の名を宣言する間、杏は泣いていた。涙はどれだけ拭いても止まらなかった。


 卒部式は粛々と終わる。プレゼントを渡して、写真を撮って。気づけば皆泣いていた。杏だけじゃない。皆、別れを全力で惜しんでいた。






 澤田先輩が音楽室を出た時、杏はとっさに後を追いかけた。きっと、これが最後だ。先輩は遠くの大学に行ってしまうから。

「澤田先輩!」

「杏……」

 澤田先輩は振り返った。

「……さっき、泣いてたね」

「はい」

 今も、油断すると残った涙が溢れてしまいそうだ。その前に、

「先輩、ありがとうございました。私、先輩と一緒に合奏するの好きでした。先輩がいたから、今まで頑張ってこられました!」

 澤田先輩は、しきりに瞬きをして、杏の拙い訴えを聴いていた。

「私、先輩から引き継いだ部活を、しっかり守ります。もっともっと良い部活にします!」

 代替わりの時間だ。

「私は、この吹奏楽部が大好きです。それから、あの……先輩のことも、大好きです!」

「杏」

 先輩も、涙声になっていた。

「僕も杏が好きだ。誰よりも信頼してる。だから……この部活を頼んだよ」

 杏は何度もうなずいた。

「さよなら、杏。今まで本当にありがとう。また、絶対どこかで一緒に音楽しよう!」

「はい! 絶対ですよ!」

 子供っぽく指切りをして、杏は先輩を見送った。それから、涙をきつく拭った。今日からも、やることは沢山ある。勇敢に、先輩のように。口の中でそう何度も繰り返しながら、仲間たちの元へ戻っていった。




本文にもあったように、その年の吹奏楽コンクールの自由曲から代の名前を決めているのですが、どんな曲を演奏したのかよければあててみてください。

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