フラフラ騎士と沫雪の約束
数有る素敵な作品の中からお読み頂き有り難う御座います。
分厚い雲が空を覆う、初夏にしては肌寒い日。
夏の離宮と呼ばれるこの瀟洒な城で、本日、王太子と隣国の王女の婚約御披露目会が開催されていた。
万が一にもトラブルは許されない。
会が始まる直前、第四騎士団の副団長、ラフリード・フラートは会場の最終チェックの見回りに裏庭へ訪れていた。
前庭は動物や刈り込んだ低木が多いが、裏庭は庭師が趣を凝らした薔薇や牡丹と大きい花がメインの庭だった。寒いせいか咲き始めの黄色の薔薇も少し萎れているように見える。
先週からこのお披露目会の為に奔走していたラフリードは、癒しを求めて薔薇の前で立ち止まった。
大きな薔薇の花の木だった。咲ききったらちょっとした女性の顔くらい有るだろう。日向のような優しい色合いの薔薇。そして目映くも柔らかいフワフワした白い花。
然り気無く下の方に可愛らしいオレンジの見知らぬ花が咲き、暗い緑に黄色の斑が入った葉が繁って調和している。
薔薇だけが目立つが、成程。裾に配置された沫雪草のバランスが素晴らしい。そう、沫雪草というこの国ではポピュラーな花だった。
綺麗な庭って良いなあ。昔、王都から出たくて妹の療養に付いて行った先の沫雪草を思い出す。
かなりの田舎だったが、このように大きな沫雪草が咲き乱れている花畑が有った。
そんな見事な沫雪草を愛でる暇もなく、目茶苦茶元気……元気すぎる子供達に懐かれ……走り回っている日々。
懐かれたと言うより、引っ張り回されて遊ばれていたと言った方が正しいか。
兎に角、妹迄巻き込んで、慌ただしいながらも嘆く暇もない日々だった。妹の気分も、子供達の賑やかさによって晴れたようだ。
遠い昔の、灼熱の晴れのように元気だった子供達。ボンヤリとしか覚えていないが随分経つ。きっと容貌も変わっていることだろう。
彼らは元気にしているだろうか。
触ると融けそうな雪のように可憐な花の傍にしゃがみこむと、疲れがドッと押し寄せてくる。昨日なんて夕食も碌に採ってない。朝食の記憶もない。
きっと家では郵便物と埃が溜まりに溜まっているだろう。実家に連絡して片付けて貰うべきか。いや、連絡する時間すらなかった。
仕事以外の人間に会った覚えもない。疲れた。後ろに倒れ混みそうだ。いや、何かに引っ掛かっている?
そして、くい、くい……と上着の裾が引っ張られていることに気付く。
「?」
「今日は」
どうやら引っ張っているのは、女性のようだ。
いつの間にか差し込んできた日差しが目を焼き、顔は良く見えないが、フワフワとしたドレスの裾が風に靡き、ハタハタと翻っていた。
薔薇とは違う、苦味のある薬草のような香りが風に乗って漂ってくる。
誰なのだろう。全く見当がつかない。
「私と結婚して頂けませんか?」
「ど、…………何方かとお間違えか?」
驚きすぎて、薔薇の茂みに転がり込むかと思った。
呆気に取られていたその時、雲の切れ間が塞がり、光が途切れる。
声に覚えがなく立ち上がって、女性の姿を確認して……驚いた。驚きすぎた。
此方の裾を引っ張ったのは……あまりに浮世離れし過ぎた美貌を『沫雪姫』と揶揄される、辺境伯のご令嬢だったからだ。
しかし儚い美貌を利用して何時も男を侍らせている悪女、と言う噂も名高い彼女が……ひとりで、何故。
そして初めて声を聞くが、中々見た目と違ってハキハキとした喋り方だ。……いや、ちょっと、大分ハスキーな……ドスが利いてすらいる。
……何か怒らせる事をしただろうか。初対面の筈だが。
「いいえ、貴方ですわ。
恋多き遊び人副団長フラフラ様」
「……ラフリード・フラートです。畏れ多くも第四騎士団副団長の職を預かっております」
その可憐な口でその渾名を紡がないで欲しかった。とラフリードは口の端が引き攣ったのを自覚する。
若い頃……いや、副団長に就任する2年程迄、少しばかり夜遊びした自覚は有るし、自業自得かもしれない。だが、今は忙しさに忙殺されてとんと女性関係とはご無沙汰だ。……辺境伯のご令嬢に其処まで言われるとは、何処まで悪評が届いているのだろう。恐ろしい。
それに今なら現在進行形で、近衛騎士団の団長の方が遊んでいるのに……。だからラフリードの悪評も消えたと思っていたのだが。
ご令嬢はそんなラフリードの挙動不審に臆すること無く、小首を傾げて、ラフリードを見上げる。
初めて近くで目にするが、ほんのり赤みがかったふわふわな金髪と言い、飲み込まれそうな赤い薔薇色の瞳と言い……噂通りの美しさ。
王宮の至宝とも言われる『精霊の名工』の作品、『水晶の沫雪草』が日の光の下で輝くような美しい令嬢だった。勿論本物を見に行ったことは無いので想像だが。
「ご本名はそう仰るのね。わたくし、ディンブル辺境伯家が次女、ゲルティールで御座います」
……ただ、声を聞かなければ、だが。どうも丁寧なのに何故か刺を感じる。気のせいかもしれないが。
「そ、そういうお名前なんですね……。失礼。此方も貴女のお名前を初めて耳にしたもので」
「まあ。もしかして……あの恥ずかしい荒唐無稽な渾名が流布しておりますの?」
可憐な白い手が、口紅を塗らずとも赤い唇を覆った。そんな様子まで作り物めいた美しさだ。
……しかし、言動が若干……結構物騒で気にかかる。
「荒唐無稽な、とは。何方かの賛辞がお気に召さなかったようで……」
確か派手な渾名だとは思った。きっと噂の出所は多分彼女に張り付いている幼馴染み、若しくは取り巻きのどれかだろう。だが、誰が聞いているやも知れない状況でそうも言えない。何せ出席者は膨大なのだ。
「考古学的にどうかは存じ上げません。
ですが、あんな古い置物のように美しい、と言われても、無邪気に喜ぶ感性は持ち合わせておりませんの。
大体水晶も薔薇も……美しく保つには手が掛かって嫌いですし、センスが御座いません。
臣下の身の上で、姫ですら御座いませんし」
ふう、と溜め息を吐く様すら精巧な作り物のようだ。言っている事は酷いが。彼女の信奉者に聞かれたら泡を吹いて引っくり返るかもしれない。その辺で転がっているかもしれない。
「わたくしは生身の人間で三大欲求も身に備えておりますし、ありとあらゆる」
「お待ちください。この先は止めておかれた方がいいかと」
「何故ですのよ」
上目遣いで睨む様も可憐で大変に可愛らしい、その辺には居ない美女。……いや、美少女。色気に溢れているが、彼女の歳は成人前の筈。
だが、その声と言い態度と言い、控え目に言ってもかなりの変人であるようだ。
「あれを乗り越えてでも、わたくしにお声掛けされる殿方は何と言うか、大変に自覚の無い問題多き方が多すぎまして。
もう、こうなってはいっそのこと自ら動いて、未だ控えめな被害の事故物件をお選びしようかと」
「控えめな被害の事故物件!?」
ラフリードは唖然とした。
そんなに素行が善くないのは自負しているが、其処まで言われたことはない。言われても聞きたくは無かったが。
「そ、其処まで言われる素行では……いや、控えめな被害と言うのが引っ掛かるんですが」
「だって貴方様はカブトムシを捕まえる為に崖から落ちるとか、何の甲斐性も無いのに愛人を7人股掛けもどきをなさるとか、賭博にドップリで明日はマジデ川に浮かんだ身元不明人まっしぐらそうですとか、先祖由来の財産を灰塵に帰しそうな方ではありませんもの」
他のエピソードもインパクトが有るが、反射的に真後ろ……サラサラと涼しげな音を立てて流れているマジデ川に思わず何か浮いていないか確認してしまった。
見える範囲内では、誰も浮かんでいなさそうでホッとする。
騎士団では本当に偶に、不幸な行方不明者を探しに駆り出される事が有るのだ。
結果は……思い出したくない。
「ご、ご冗談にしては少し……」
「誓ってリアルなお話ですのよ」
どんなヤツだそれはと言いたいところだったが、ラフリードは思い出した。
ゲルティール嬢に幼い頃から所構わず絡んでいた貴族令息……何故か今、居ない彼の噂を。
可愛らしく見えてもとんでもない性根の野郎だ、関われば巻き添えを喰らって酷い目に遭う、と言う噂。
見た目はそこそこ小綺麗な令息の見目からして、嘘だろう、と言いかけて……強い視線を受けた。
見つめ返した彼女の底知れぬ赤い瞳は嘘を言っているように見えない。
……少なくとも、彼女にとっては酷かったようだ。暖色なのに、何故か暗く濁って見える。
「ええと……彼の方、や、お声掛けされる方々は本当にそのような素行を……?」
「うふふふふ、出ていないだけ様々なエピソードが御座いますよ?表沙汰になっていないだけです」
恐ろしい事を巻き込みで聞かせないでくれ。そう、申し出ようとしたが……ゲルティールの目を見て、ラフリードは息を飲んだ。
彼女の目は、底知れぬ深さだと先程思ったが……目が死んでいる。
語られない事を語っているようなその暗い目に、……色々、闇が見えた気がした。
「わたくしの幼い頃から付き纏うあのアホ……あれと結婚させられそうですの」
「そ、そうですか」
噂話として聞くなら面白いのだろう。当事者として巻き込まれそうな今は全く面白くはないが。
「ですが、わたくしにお声掛けくださる善意溢れる善き物件な方々は……お気の毒にもあのアホに撃退されるばかり。敢えて空気読まず寄ってくる方も『かなりのやらかしエピソード』をお持ちですわ。
どんなに努力し、美しく装おうと話術を磨こうとマナー研鑽しようと何をしようと、全ては無駄。
わたくしは、あのアホやその他の事故物件が為に努力した訳では御座いません。美は1日で何ともなりません」
成程。瞳に宿る闇は恐らく鬱憤であろうか。たんまりと溜まっているようだ。怖い。
「わたくしの声に吃驚されたでしょう?」
「え?」
「これは、あれの改善を願って毎日がなり立てていましたの。そうしたら枯れて、本来の声が出なくなりました」
「それは……」
気の毒だ。気の毒だが、ラフリードは思考を巡らせた。
この令嬢は確かに美しい。
だがしかし、気が合いそうにない。有り体に言えば思ってたのと違う。
それに、彼女の幼馴染みも……聞いただけでもとても面倒そうだ。
ラフリードは女好きだが、深い関係まで至った女性は実は殆ど居ない。
いかに見目がチャラく見えようとも、何故か何時も関係が深くなる前にフラれるので修羅場慣れもしていない。
それこそ思っていたのと何か違うと言ってフラれ……悲しくなってきたので、ラフリードは思い出すのをやめた。
それに、進んでトラブルに巻き込まれたくはない。トラブルは仕事だけで充分だ。ハッキリ言って騎士団の副団長職なんて、トラブルシューター以外の何者でもない。
それにこの令嬢は悪女と言う噂は嘘で、実は見目通り気弱で可愛いと想像した事がある。別に口説こうと思っていた訳ではないが……と過去を棚に上げて最低な事を思う。
「ディンブル嬢」
「お断りされる気なら、無駄ですわよ」
まるで此方の考えを読んだかのように、掠れた声がラフリードの話を遮る。
「この中庭は人通りが少ないように見えて、上の渡り廊下から丸見えですの。私が確認しただけでも17組の紳士淑女がお通りになりましたわ」
「え」
上!?
慌ててラフリードが上を見上げると、確かに頭上には渡り廊下が見えた。今も、かなりの人集りが……どうやら視線の先は自分達のようだ。と言うか、薔薇も大して咲いていない今、他に注目されるものは無い。
ヤバい。
ラフリードの血の気はあっという間に失せた。
「案外前後左右にはお気を配られても、上下の確認はなさいませんものねえ。
いけませんわよ」
遥か昔に騎士団入りした時の、当時の団長の言葉がまざまざと思い出される。
前後左右は勿論、上下にも気を付けろ。
騎士たる者は、常に緊張感を持ち、意外な場所から奇襲に遭う事を念頭に事を運べと、散々怒られた事を。
「そもそも、あのアホの親が我が父上と騎士学校で轡を並べたご縁だけで子供を長々預かれと……我が領地に棄てていっただけですのよ」
「そ、それはまた……」
親も親だな、とは言いづらい。言いそうになったが、耐えた。
ラフリードも、家督を継がない四男坊とは言え貴族である。家に響く発言は絶対に出来ないのだ。
先程思い出したが、彼女の幼馴染み……マゴット公爵家子息……何故か男なのに『甘露姫』と呼ばれているステファノ・マゴットは……王家の血筋なのである。我ながら気付くのが遅かった。
「尻拭いも養育に掛かった費用もなあなあとなり……。わたくし、甘やかされた馬鹿なアレをウチから追放したいのです。
それに必要なのは、アレとアレらを退けられる実力をお持ちの、お独り身の御方。ついでにアレの引き取り先」
数える華奢な人差し指には、彼女に似合わぬ安っぽい指輪が填まっていた。
細い合金を束ね、褪せて元の色が分からぬ糸の……花?が付いたそれは、庶民が露天で子供に買ってやるような指輪だった。
……何処かで見たような気がする。見回りの時だろうか?
「……聞いていらして?」
「き、聞いてますよ」
今の睨んだ顔も少し何処かで見たことがある。
「ウッカリさんは治りませんのね」
ふふ、と容貌に似合わぬハスキーな声が震える。そして、頬につつ、と伝わるゾワリとした感触に飛び退いた。
「ふふふふふ!
恋多き遊び人さんなのに、ふふ。初心でいらっしゃるのね!王都は誘惑が多くて憎らしいわ!」
綺麗に丸く美しく磨かれた爪を乗せた指で、彼の頬を撫でた令嬢は、途轍もなく楽しそうにそう言った。
「いや恋多きって……ディンブル嬢」
「ゲルティール……ゲルテで結構ですわ。散々、さーんざんにマトモにモーションを掛けても転がり落ちて来ないのなら、搦め手しかありませんものねえ」
ククク、と笑う様が……普通の令嬢ではない。
さっきフフ、と上品に笑っていたのはどうしたのだ。
それに、全く身に覚えが無い。好きになられるような関わりは無かった筈なのに。いや、前に……。
何時の間にか、彼女の腕の中は日差しを浴びた雪の色で溢れていた。いや、此れは。
「まあ、仕掛けはこの辺りで。成果はご覧あれ!ですわね!!」
「ディンブル嬢!?」
「追い駆けっこは得意ですの。勝てるまで捕まえて差し上げるとお約束致しましたでしょう?
王都ですものね。今度は逃げられませんよ」
勝ち逃げは許さないわ!今度はお花をあげるから、また来なさいよ!
そう勝ち気そうに笑う少女の面影と共に、大量の沫雪草が視界を遮った。
噂も真実を含んでいる時が有るようです。
お読み頂き有り難う御座いました。