第91話 「アリッサの作戦」
「ロディ。無理な事ばかりお願いして申し訳ない」
「いえ、自分にどれ程の事が出来るかは分かりませんが、死力を尽くしこの難局に向かいたいと存じます」
「そう硬くならなくても……。自分など戻る場所さえ危ういというのに」
「それは、我ら軍部の力不足が引き起こした事。申し訳ありません」
「いいや。ロディが居なければ僕は無事ではなかったよ。死んでいたかも知れない」
ヴィチュスラーをファーストネームで呼ぶ者はドロシアでもごくわずかしか居ない。
両親と幼い時から彼を兄の様に慕うルカ王子だけだ。
彼らの交友は既に一〇年に及んでいる。ヴィチュスラーが士官学校在校時に家庭教師を拝命してからの付き合いだ。
平民出身のヴィチュスラーが王子の家庭教師を務めるなど、それまでのドロシアの歴史では考えられなかった事だが、王政から共和制への移行を強く推し進める国王の意向が反映された為だと言われている。
一部では「平民が王族の家庭教師など許せぬ」と眉をひそめる者もいたが、不遜な態度を取る事も、逆にへりくだる事もなく王子に接するヴィチュスラーの姿勢は好意的に受け入れられ、加えて彼の端正な容姿と平民らしからぬ美しい所作が更に印象を良くしていた。
そして何よりも、ルカ王子自身がヴィチュスラーを兄の如く慕い、ドロシア領内への視察のみでなく、隣国のロドリアンコロニーで行われるサマーキャンプに身分を隠し参加した際なども、彼を警護という名目で同行させた程であった。
平民出身のヴィチュスラーの昇進が異例の早さである事を、王族との親密な関係が理由だとあげつらう者もいるが、それは彼の卓越した才覚を知らない見方である。
だが、彼とルカ王子とが師弟の関係にあり、周囲の高官達に早くから顔を知られ好意的に受け入れられていた事は確かであった。
「ルカ王子。これからの事ですが、やはり王子はヤーパンに身を置いて頂けませんか」
「ロディは一緒に来られるの」
「いえ、私はセントラルコロニー軍と戦わねばなりません」
「それなら僕もここに留まる」
「その事は何度もお伝えした通りです。王子の命を抱えたままでは指揮が鈍ります」
「命に軽重はない。ひとりだけ守られるのはもう……」
「それならば尚、貴方に託されたドロシアの未来と、その為に失われたであろう命の事をお忘れなく」
「……分かりました」
「それにヤーパンに行けば、例の件も」
「ろ、ロディ! その事は」
ルカ王子が慌てて手を振り、ヴィチュスラーの言葉を遮った。
顔を赤らめる王子と、思わせぶりな笑みを湛えるヴィチュスラーとは、王族と軍人ではなく歳の離れた兄弟の様に見える。
その時、訪問を知らせる電子音が鳴り、畏まった下士官の声が聞こえて来た。
「アリッサ様がお越しになられています」
「そうか。お通ししろ」
「はっ! あっ……」
下士官の言葉よりも早く扉が開き、赤いカットソーにホットパンツの女の子が、部屋に飛び込んで来た。
「ヴィチュスラーさん、こんにちは! あら、ルカ王子も一緒なのね!」
「レディ・アリッサ。ごきげんよう」
「アリッサ・フォン・オーディン殿。ご機嫌麗しゅう」
「なに? 二人して堅苦しいわね。『よう、アリッサ!』とか『可愛いアリッサちゃんこんにちは!』で良いのよ」
「……」
「ほら!」
「か、可愛いアリッサちゃ、ちゃん、こんにちは」
「うん。ヴィスさん良い感じよ」
「うぷっ!」
普段は冷静なヴィチュスラーが、慣れない女の子の対応に困っている上に『ヴィスさん』などと呼ばれている事に、王子が思わず吹き出してしまったのだ。
「ロディ。『ヴィスさん』だって! 君の事をそんな風に呼ぶ人は初めてだし、君が女性を『ちゃん』付けで呼ぶなんて」
「王子、それは……」
「えっ? 『ロディ』ってなに? もしかして、ヴィスさんのファーストネーム?」
「ええ、アリッサ殿。その通りです」
「王子、余計な事を……」
困った表情を浮かべるヴィチュスラーを横目に、アリッサは楽しい事を知ったかのように笑顔になった。
「ロディさーん」
「……」
「ねえ、ロディさーん」
「……はい」
ヴィチュスラーが困惑しながらも返事をした事が嬉しかったのか、アリッサは王子に向けて親指を立ててウィンクしてみせた。
緩んだヴィチュスラーの表情を見て、王子も笑顔で頷いている。
「そ、それでアリッサ殿は、どの様なご用件で来られたのですか」
ヴィチュスラーが表情を整え、アリッサに向き直った。
「イケメンに会いに来ただけ! って、言いたいけれど。これからの事を話し合いに来たのよ」
「オーディン・ヤーパン・エルテリアとの事ですか」
「ええ、そうよ。結局どうするつもりなの」
「我が艦隊は、寄港する場所すら失った状況だ。対セントラルコロニー共同戦線への参加と補給の依頼に加え、王子や避難民の受入れをお願いするしかないと思っている」
「うーん。弱腰だなぁ」
「不本意ではあるが、致し方ない状況下だ」
「でもね、相手もこの艦隊の戦力は、喉から手が出るほど欲しいと思うのよ。強気で良くない?」
「ええ、確かに。ですが、つい先日までエルテリアと戦い、ヤーパンの姫を手中に収めようとしていた相手。信用に値するかも分からない上に、本国を失った流浪の軍隊に対等な立場での交渉は難し……」
「ろ、ロディ。ヤーパンの姫を手中にって、どういうこと!」
二人の話を聞いていたルカ王子が、会話の内容に急に色めき立った。
「ルカ王子。それは軍部での作戦行動です。例の件とは関係が有りません」
「でも……」
「その件は後日お話し致しましょう。私に二心はありません」
「……分かった。話を遮って申し訳ない」
「いえ」
ヴィチュスラーに頷いてみせたが、王子は納得していない表情を浮かべたままだった。
一方のヴィチュスラーも、いつもの自信に満ちた表情ではない。『ヤーパンの姫』ことイツラ姫に関して二人の間に何かが有るようだ。
「もういいの?」
「アリッサ殿、失礼した。言った通り、交渉は下手に出ざるを得ないと考えているが」
「私に考えがあるの。あなた達を高く売りつける作戦がね」
「我々を高く売りつける?」
「そうよ。補給もままならない、根無し草の軍隊として安く見られない方法でね!」
「ほう。それはどの様な……」
────
『ドロシア軍の艦艇接近中。艦艇数は約二〇〇〇。先行してGDが一機接近中。サルンガです』
「アリッサか? 何でドロシア軍と一緒なんだ」
『回避』
イーリスの言葉よりも先に艦艇が動いた。思わず廊下の壁に手をついてしまう。
「なんだよ!」
『サルンガよりの攻撃を回避しました。サルンガより入電。繋ぎます』
「ああ、繋いでくれ。何なんだあいつ」
通信が切り替わるや否や、アリッサの声が飛び込んで来た。
『雑魚のリオン! とっとと出てこい! じゃないと、あんたのイーリス撃沈するわよ』
「お前何なんだ! こっちにはエルテリアの高官も乗艦しているんだぞ!」
『あら、じゃあしっかり守らないと。直ぐに出て来ないのなら一緒に沈めちゃうわよ』
「遊びじゃないんだぞ!」
『遊びじゃないわよ』
アリッサの返事と同時に、イーリスが再び回避行動を取り艦内が揺れる。
「あらあら、深紅のお嬢様はリオンが恋しいのかしら」
振り向くと、薄いアンダーウェアーのままセシリアさんが立っていた。慌てて目を逸らす。
『あら、リオンの従者のお姉さまかしら。そんなエロガキに興味無いわよ。そっちで宜しくやってなさいよ』
「あら、貧相なお嬢ちゃんじゃ、リオンに興味を持って貰えないわよねぇ。お生憎様」
『だからガキには興味ないって言っているでしょう。年下趣味のおねショタさん!』
「あら、私そんなに歳は離れてないわよ。スタイル抜群で綺麗過ぎるから大人に見えるのかしらねぇ。うふふ」
セシリアさんの返事と共にイーリスがまた揺れた。
その時、俺は有る事に気が付いた。
「イーリス。この会話はオープンなの?」
『はい、艦内全体に流れております』
「……」
皆が腹を抱えて笑っている姿と、エドワードさんから説明を受けているヤエル中将の苦笑いが目に浮かぶ。最悪だ。
「アリッサ! 直ぐに出るから待っていろ!」
『あら、あたしに殺されるかも知れないから、そちらの従者さんとイチャイチャする時間をあげましょうか?』
「煩い!」
部屋に飛び込みロッカーからパイロットスーツを取り出し、急いで儀礼服を脱ぎ捨てる。
投げ捨てた儀礼服が、宙を漂いながらゆっくりと床へと落ちて行った。
「はい、早く脚を入れて! はい、次は腕! 前閉めるわよ」
「あ、はい。はい。あ、お願いします」
気が付くと、何故かセシリアさんにパイロットスーツを着せて貰っていた。
まあ自分で着るより素早く着替えられたから良しとしよう。
「あっ……」
廊下に出ようとしたら、いきなりセシリアさんの胸にギュッと抱き締められてしまった。
柔らかくないアルテミスとは違い、薄いアンダーウェアー越しの感触に思わず身動きが取れなくなる。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「は、はひ……」
何とも情けない声を出してしまった。きっと表情も同じに違いない……。
直ぐに廊下に飛び出し、雑念を晴らすために必死に頭を振りながらエウバリースのコクピットへと向かう。
「アルテミス。行くよ」
『はい。いつでもどうぞ』
エウバリースのフットペダルを強く踏み込む。
シートに押さえつけられるGが掛かると、一瞬でイーリスの格納庫を抜け、星の瞬く宇宙空間へと飛び出した。
急速回頭をした視線の先に、HUDに緑の丸で囲まれた深紅の機体が浮かび上がっていた。