第56話 「オーディンへ向けて」
「大佐、黒騎士から通信が入っております。如何致しましょう」
「構わん。繋いでくれ」
黒を基調とした軍服に身を包む年配の下士官が、通信パネルを操作し回線を開いた。
通信は繋がったがモニターには何も映っていない。黒騎士側が映像を遮断しているのだ。
行動を共にし始めてから一年以上経つが、ヴィチュスラーはオーディンの黒騎士であるディバス卿と直接顔を合わせた事はない。
彼がドロシア軍と共にあるのは、あくまで黒騎士自身の目的を果たす為であり、決してドロシア側にオーディンが付いている訳では無いと断言されている。
それでも、ドロシア軍と行動を共にする事は黒騎士の理にかなっているらしく、戦場では凄まじい戦果を上げ、ヴィチュスラーが指揮する右翼方面隊躍進の原動力のひとつになっていたのは間違いない。
「何か用か」
黒騎士を完全に信用している訳ではないが、かと言って突然背後から撃って来るような相手ではないという事は確信している。オーディンの騎士とは『卑怯』や『裏切り』とは真逆の存在である事は間違いないのだ。
だが、イツラ姫を取り逃がした失策には、彼が関わっていると噂する者もいる。
本心が読めないという印象は、行動を共にし始めた当初から変わってはいなかった。
「貴公の部隊は、当面この宙域に留まるのか」
「ああ、パナフィックコロニー宙域への進軍は他に譲ったからな」
「ほう。何処までも突き進んで行くタイプかと思ったが、意外に身の処し方が上手だな」
黒騎士からの思わぬ評価に、ヴィチュスラーの片方の眉が少し上がる。
「欲張り過ぎて上級将官の妬みを買う必要はないと心得ている。それに、ほぼ無抵抗のコロニー占領戦には興味はない。自分にはセントラルコロニー連合を打ち破る戦略だけが重要なのだ」
「つまり、貴公はこの一帯の宙域の重要性を理解していると言う事だ。なかなかの慧眼だな」
黒騎士の指摘にヴィチュスラーの眉が再び上がり、直後に苦笑いを浮かべた。
幼い頃からの憧れの対象であった『オーディンの騎士』に評価された事に思わず喜びを感じ、直ぐに自分の中に残る幼さに苦笑したのだ。
「言われるまでもない。ヤーパンが当面中立を保つという事は、先日の交渉の際に言質は取れている。だが、イツラ姫を取り逃がし、エルテリアの動向も不透明と言う事であれば、万が一の時はこの宙域を抑えておかねば、ドロシアは致命的な打撃を被る事になる。俺は二国の軍事力を過小評価はしていない。むしろ脅威として捉えている」
「了解した。こちらは探りたい事が有るので、パナフィックコロニー方面へと向かわせて貰う。これまで世話になった」
「そうか。こちらこそ貴殿の協力なしには、ここまでの戦果は上げられなかった。感謝する」
「また会おう」
その言葉を最後に通信が切断された。
ヴィチュスラーは椅子から起ち上がると、艦外を映すモニターをONにする。
無数の星が瞬く一角に巨大な惑星の姿が有り、その惑星を背に流線形の黒い艦艇にブーストの光が灯った。
黒騎士の乗る艦艇はそのまま加速して行き、直ぐに星の中へと消えて行った。
ヴィチュスラーはモニターに映る星から視線を外さず、こめかみに指を当て親指にあごを乗せて思案に耽っている。
しばらくすると、青い瞳を輝かせながら、指示を待つ下士官へと振り向いた。
「ヤーパン回廊の入口には、このまま部隊を残し監視を続けろ。他の艦艇はエルテリアに向けて移動する」
「はっ! 承知しました。全軍に通達致します」
扉の前で待機していた下士官は、敬礼を解くと背筋を伸ばし退室していった。
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「うーむ。元々ムサ隊のGWの設計思想は、オーディンから情報開示された技術をベースに作られているが、この白い機体の動きを実現するには、現行CAIの演算能力では不可能だな。それに並みのパイロットでは体が持たないぞ」
ヤーパンの首都コロニーを中心に捉えると、進入して来た側とは反対の宙域へと抜けたイーリスは、エルテリアコロニー群に近い宙域を抜けながらオーディンへと向かっている。
ヤーパン回廊と呼ばれている宙域は、大型惑星の重力圏と分厚い小惑星帯の事を指していて、ヤーパンコロニー群に近づくには必ずこの回廊宙域を通らなければならない。
この回廊を艦艇がスムーズに航行するには、ドロシアが封鎖していた宙域側か、とてつもなく大回りをしてエルテリア宙域側を横切る航路を取るしかないのだ。
イーリスはドロシアが封鎖していた側から入り、エルテリア側の宙域に抜けて来た。この先はエルテリアの近隣宙域を通り抜け、オーディンへと向けて進むことになる。
オーディンの具体的な場所を初めて知ったけれど、ヤーパンとエルテリアの宙域からさらに辺境へと進んだ先に有るという事だった。
オーディンとこの二国との関係は、この位置関係も深く関わっていて、そもそも建国出来たのはオーディンの支援によるものだったらしい。
「だからな、クナイとアジュを強化すると言っても、この辺の問題が解決出来ないと意味がない。オーディンに着いてから、多少でも技術的な助言が貰えれば良いが、どこまで情報を開示してくれるかが勝負だな」
実はヤスツナ軍曹の発案で、クナイとアジュの俊敏性を上げるカスタマイズを行っているのだ。
シャルーアに似せてブースターの出力を上げてみたり、スラスターの場所や個数を増やしてみたりと、細かな調整をしているけれど、やはり全体のバランスが崩れるらしく、今のところ上手く仕上がっていない。
俺はというと、ヤーパンを出発してから、エドワードさんとセシリアさんと日々戦闘訓練を行いながら、他の時間はヤスツナ軍曹の下でメカニックの人達と共に過ごしている。
そのお陰で、機体に付いているパーツやその機能、機体の動きに与える影響を学ぶことが出来て、操縦時に頭の中に機体の動作がよりリアルに描ける様になって来た。
これまで感覚に頼っていた部分が数値的に捉える事が出来る様になり。アルテミス曰く、無駄な動作がかなり減ったという事だった。
僅かな無駄かも知れないけれど、実際はそれが積み重なると、機体の動作に確実に遅れが生じる。高速で機体を動かしている時であれば、その差は更に大きくなるのだ。
騎士になる為には、今よりもかなり操縦レベルを上げないといけないから、この僅かな無駄を無くして行けるのは本当に有難かった。
「よし、じゃあ今日はこのくらいにしておこう。小僧、しっかり休むんだぞ。休息を怠る奴はミスで周りを殺す。その事を忘れるな」
「はい」
メカニックの人達と別れ、シャルーアのコクピットへと移動する。
もちろん、ちゃんと休息は取るけれど、毎日欠かさずにしている事があるのだ。
「アルテミス、お願い」
『はい』
返事と共に全球モニターに宇宙空間が映り、機体が凄まじいスピードで動き始めた。
直ぐにHUDに攻撃対象が次々とピックアップされ、視覚が追い付かない程の速度で攻撃が行われる。
次の瞬間、その攻撃対象が全て火球へと変わった。
間近に迫る巡洋艦や駆逐艦の猛烈な砲撃をいとも容易く躱し、強力な粒子レーザーを撃ち込むと、あっさりと艦艇が撃沈されてしまった。
もちろん、シャルーアが動いている訳じゃない。モニターに映っているのは、黒騎士が残してくれた戦闘データだ。
この映像には残念ながらシャルーアの操縦桿やフットペダルは連動していない。黒騎士のグングニールとは機体のスペックが違い過ぎて、連動出来ないのだ。
モニターに映る画面を見るだけになるけれど、黒騎士の研ぎ澄まされた動きや攻撃方法を視覚的に取り込む事が出来るのは、自分の操縦技術にとても良い影響を受けていると思う。
オーディンに辿り着けば、黒騎士の戦闘データに連動可能な機体で訓練が出来ると言われているが、その辺の詳しい話は到着してからという事らしい。
アルテミスからは、とにかく日を惜しんで訓練とトレーニングを続ける様にと指示されている。オーディンの騎士になる為に……。
「リオンちゃんお疲れ。精が出るわね」
シャルーアのコクピットから降りると、セシリアさんが待っていた。
「あれ、どうしたんですか?」
「一緒に食事しましょうよ」
「ああ、お待たせして申し訳ありません」
「こっちが勝手に待っていただけよ。他にも何人か待っているわ。みんな貴方と話したいのよ」
独りでオーディンへと行くのだと思っていた所に、思いがけず大勢の人がイーリスに乗艦してきた。
最初は戸惑ったけれど、そのお陰で沢山の力を受け取る事が出来ている。有難い。
「さあ、飲むわよ!」
「セシリアさん。飲むのは良いんですけれど、飲む度に俺の部屋で寝てしまうのは、何とかなりませんか」
「あら、何ともなりませんわよ」
「えぇ……」
イーリスはエルテリア宙域を抜け、オーディンへ向けて順調に航海を続けている。
いよいよ、目指していたオーディン宙域へと到達するのだ……。