第46話 「稀代の名将」
ドロシアを中心としたロドリアンとユーロンコロニー群との連合であるいわゆるDREは、各方面でセントラル、ウルテロン、パナフィックコロニー群の連合であるCUPを打ち破り、その支配宙域を広げつつある。
その中でも、ドロシアから見て右翼方面部隊である、ヴィチュスラー大佐が率いる連隊がCUPの支配宙域を大きく押し込み、その方面に最も近いパナフィックコロニー群が占領の危機に晒されるのではないかとさえ噂されていた。
これに対し、セントラルコロニー群は、他の防衛ラインから中隊規模の部隊を次々と転戦させ、パナフィックコロニー方面の援軍として連隊規模となる一〇〇〇艦もの艦艇を投入する事となった。
偵察隊からの報告を受けると、ヴィチュスラーは笑みを浮かべていた。
「ふふ、パナフィックの危機でセントラルは尻に火が付いた様だな。敵の艦艇数はこちらの倍といった所か」
「はっ! 他方面より援軍が入り、パナフィック領正面にかなり強固な布陣をしている模様です」
ヴィチュスラーは下士官から報告を聞き、呆れたように首を横に振る。
「愚かだな」
「はっ! 申し訳……」
「ああ、お前の事ではない。相手の指揮官の事だ」
「はい」
「我が右翼方面隊は他の方面隊に比べて、かなり突出している状態だ。連隊規模の援軍で艦艇数が倍になるのであれば、こちらに挟撃を仕掛けるべきであろう。パナフィックへの危機を煽り、そう仕向けたとはいえ、真っ正直に布陣するとは……」
「し、しかしこのままでは、かなりの苦戦が見込まれるのではありませんか」
「相手に合わせて、こちらも真正面から攻勢をかけて突破しようとするのならばな」
ヴィチュスラーは、こめかみに指を当て親指にあごを乗せながら思案に耽っている。これは彼が士官学校に在籍していた頃からの癖だった。
特に『戦略戦術史論』の講義中と、対戦形式のシミュレーションに夢中になると、いつもこの癖が出て、同級生からは『ヴィチュポーズ』と揶揄されていた。だがその圧倒的な才覚に太刀打ちできる者は居なかった。
そして彼は士官学校を首席で卒業し任官すると、その才能を如何なく発揮して着実に階級を上げ、平民出身の士官としては最年少で大佐となったのだ。
今次紛争に於いては、本来は佐官ではなく将官クラスの者が任じられる『方面司令官』という地位を与えられた事からも、彼の上層部からの信認の厚さが伺える。
何も映っていないはずのモニターを眺めながら思案に耽っているヴィチュスラーを、彼よりもかなり年長の下士官が、直立不動の姿勢のまま静かに見守っている。
彼がこめかみに指を当てながら何かを考えている時は、その後に必ず何かしらの指示が有るからだ。
下士官の男には、金髪で青い瞳のこの若者の頭の中で、いったい何が描かれているのかなど想像も付かないが、本国を出撃してからこの方、彼の方面隊は一度も負けていない。
軍人で有る以上戦争での死は覚悟しているものの、生きて再び家族と会いたいという気持ちは強く持っている。
そして彼の下に居れば、その儚い望みが叶うかも知れないと思わされるのだ。
その事を信じさせてくれるだけの有能さを、この若者は持ち合わせていた。
「艦隊を半分に分ける」
「はい」
「大型で装甲の厚い艦艇をこの宙域に残し正面の敵に当たらせろ。その他の艦艇は別宙域へと移動する。先ずは艦艇と部隊を分ける作業を急がせろ」
「はっ! 直ぐに通達致します」
ヴィチュスラーが、敬礼をして下がろうとする下士官の表情を見て、直ぐに手で留めた。
「不安か?」
「い、いえ……」
「大丈夫だ。倍以上の艦艇数で万全の準備をしている相手に、わざわざ正面から付き合う様な愚策を避けるだけだ。相手がするべきだった事を、こちらがすると言うだけの事だ」
ヴィチュスラーの乗艦に各大隊の大隊長が集められた。中佐以下大尉クラスの者達だ。
ヴィチュスラーの率いる右翼方面隊は、他の中央や左翼方面隊と比べると、編成されている士官の階級が低いのが特徴だ。
本来、旅団クラスの部隊を率いる司令官は、将官といわれる中将や少将が任命されるのが常であるのだが、彼は大佐という一段低い佐官クラスの士官なのだ。
軍隊は基本的に自分より上位の者の命に従わなければならない。それ故、命令系統の混乱を防ぐ為に、右翼方面隊は彼よりも位の低い中佐以下での編成になっているのだ。
それでも、殆どの士官が彼よりも年上という事実が、彼が如何に評価され、異例のスピードで昇進して来たのかが窺い知れる。
士官クラスの者達がひとつの艦艇に集まると言うのは、万が一の時に非常にリスクの高い行動なのだが、今次作戦の機密性と重要性を伝える為に、敢えて集める事にしたのだ。
「正面に布陣している敵艦隊と対峙する部隊は、絶対に隊列を崩すな。四倍の数の敵と戦う事になるのだから、ひとつのミスが致命的なものになると心得よ。適度な距離で交戦し前進と後退を繰り返せ。有利な状況を作り出せたとしても突出せずに防備に徹せよ」
正面攻撃の大隊を率いる士官達の顔に緊張が走る。
約四倍の敵を引き受けるというのは、相手が全力で攻勢を掛けて来た場合、確実に壊滅させられてしまう戦力差なのだ。普通であれば司令官に『死ね』と言われたのと等しい意味になる。
「安心しろ。敵は攻勢を仕掛けては来られない。連戦連勝を続ける相手の艦艇数が情報の半分と分かった時点で、残り半分の艦隊による奇襲を警戒して動けないはずだ。万が一この防衛ラインを越えられると、パナフィックコロニーへの攻略を許す事になるからな」
「では、残り半分の部隊はどの様に動かれるのですか」
「突出している我が方面隊は、進路を中央方面の宙域へと向けると、敵の防衛ラインの背後に回り込むことが出来る。背後から攻勢を仕掛け敵の陣形を崩せば、流石に腰の重い中央方面隊でも攻勢を始めるだろうから、そのまま敵の中央方面隊を挟撃できる」
「なるほど……」
「そこで中央方面の敵を敗走させる事が出来れば、後は中央方面隊の一部の艦艇と共に広々とした宙域を回り込み、現在正面に布陣している敵艦隊を背後から挟撃し一気に壊滅させる」
司令官であるヴィチュスラーの作戦に士官達は頷いてはいるものの、その表情からは不安が拭えていない事が見て取れた。
そのような事がそう簡単に行えるとは思えないのだ。
「安心しろ。正面の敵と真面にぶつかるよりも、かなり安全な作戦だ。万が一、正面の敵が総攻撃を仕掛けてきたら退却せよ。その時は我が失策の詫びとして全将兵に本国で酒を振舞おう。その為に貯金はしてある」
ヴィチュスラーの思わぬ発言に士官達から笑いが起こり、皆の緊張が解けた。
並みの司令官ならば精神論で鼓舞し、部下の不安を抑え込み死地へと向かわせるが、彼は失敗したら逃げ帰って酒でも飲もうと言っているのだ。
この辺の機微が、ヴィチュスラーの人気が才覚だけではない事を窺わせる。
「だが、出来ればこの作戦に勝利し、軍の金で酒を飲もう。皆頼むぞ」
士官達が上気した顔で移動用の小型艦艇へと乗り込み、自分の大隊へと戻って行く。
今次作戦の成功が、この戦争の行く末を大きく分けるという事が分かっているのだ。
皆、ヴィチュスラーという男が稀代の名将になるのではないかと信じ始めている。
彼と共に駆け上がり、彼が軍のトップとなった時に、その上級士官のひとりとして自分の姿がそこに有る事を想像しながら……。
士官達が大隊へと戻ると、振り分けられた艦艇が直ぐに移動を始めた。
直進の航路を取り、正面の敵艦隊と相対し、囮とも言える作戦行動に従事する大型艦艇。そこから別れ出て、敵の中央方面軍の背後へと向かう中型艦艇。
それぞれの隊列を組んだ艦艇のメインブースターの光が二筋の流れとなり、見渡す限りの輝く星々の中へと消えて行った。
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第二章第二幕の始まりです。
戦記物の雰囲気を出せていたら幸いです。
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