第45話 「恩義と交渉」
徐々に大きな星のひとつになって行く恒星を背に、艦隊はヤーパンコロニー群に向けて航海を続けている。
この宙域はセントラルコロニー群の支配宙域だが、アルテミスが提案した恒星宙域を抜けて来た事により、特に警戒される事もなく穏やかに航海を続ける事が出来ているのだ。
だが、ヤーパン艦リュウグウに集まった者達の顔色は優れなかった。
救助されたドロシア軍のグリーンコフ中尉からもたらされた情報が、深刻な問題だったからだ……。
「命を救って頂いた上に、重傷者への手厚い看護や我々への十分な衣食の提供に感謝しております」
まだ左腕を吊った状態だが、頭の包帯が取れたグリーンコフ中尉が起ち上がり、エルテリア艦に集まったヤーパンとエルテリアの士官達に頭を下げた。
「周知の事とは思いますが、我々の作戦目標はイツラ姫の身体の確保でした」
分かっていた事ととはいえ、改めてイツラ姫の拘束が目的だったと言われ、ヤーパン軍の士官達の表情が険悪なものへと変わる。
いつの間にかビシッとしたえんじ色の軍服に着替えたセシリアさんも、鋭い眼差しで中尉を睨んでいた。
「その目的はふたつ。ひとつはヤーパンのDRE側への参戦表明及び、それによるエルテリアの同調。もうひとつはイツラ姫とドロシア王家ルカ王子との婚姻と聞いております」
「な、何と無礼な! 人質にした上に婚姻の強要など卑劣にも程がある。いったい何様のつもりだ!」
余りにも酷い内容に部屋には怒号が飛び交い、掴みかかろうと席を立ったヤーパンの士官をエルテリアの士官が止めに入る。
「申し訳ありません。小官の知り得る範囲の情報ですので、上官や本国の政治的な意図までは分かり兼ねます。ですが……」
「何だ! 言って見ろ!」
「上官のヴィチュスラーは、その事が世界の軍事バランスを安定させ、紛争無き世を作りあげる最良の手だてだと申しておりました」
「紛争無き世だとか綺麗ごとを言っているが、ドロシアがセントラルに成り代わるだけの世界だろうが」
「小官には分かり兼ねます」
「皆、ちょっと待ってくれ」
横に座っていたエドワードさんが周りの発言を制した。
エドワードさんは士官としては一番低い准尉だが、エルテリア艦では三番目の階級で、艦隊の意思決定の際には必ず呼ばれているのだ。
「貴官らは特殊部隊だと聞いている。根っからの軍人の貴官らが、重要な軍事情報を漏らす目的を知りたい。まさか命を救われた恩義などとは言わないだろうな」
「もちろん、皆様への恩義は感じています。ですが、おっしゃる通り、これは自軍への復帰を目指す交渉のひとつです」
「聞かせて貰おうか」
「はい。ヴィチュスラー大佐はイツラ姫の身体確保に強く拘っていました。我々の部隊による作戦が失敗した現在……大佐がヤーパン回廊の入口を放置するとは考えられません」
「つまり、待ち構えていると」
「間違いなく。しかも宙域を閉鎖できる規模の艦隊で」
執拗な追撃を躱し、危険な恒星宙域を抜け、これからは安全な航路でヤーパンへと戻れると思っていた矢先に、ヤーパン回廊の入口を閉鎖されていると聞かされ、出席している士官達から騒めきが起こる。
ヤーパン回廊と呼ばれている宙域は、大型惑星の重力圏と分厚い小惑星帯に挟まれた宙域の事を指している。
ヤーパンコロニー群に近づくにはこの宙域を通るしかなく、その閉ざされた宙域の中にヤーパンコロニー群はあるのだ。
そして、宙域を閉鎖出来る程の艦隊というと、かなりの規模の艦艇数になる。僅かな艦艇で太刀打ちできる相手ではない。
「それで、交渉というのは?」
「はい。我々の引き渡しを打診して注意を引き、その隙にいずれかの艦艇で密かに宙域を突破すれば宜しいかと」
「理屈は分かるが、貴官らが裏切らない保証が無い」
「裏切るも何も、自軍への復帰が叶った瞬間に、囮作戦で封鎖を突破される可能性を伝えますよ。軍人ですから」
「……」
「ですが、イツラ姫の乗艦がどの艦艇なのか、どの航路を通りヤーパンへと逃れるのかまでは我々には分かりません。軍へは小官が知り得る正しい情報を報告するのみです。ただ、我々の引き渡しは、囮作戦の時間稼ぎにはなるかと思いますが」
グリーンコフ中尉からの情報と交渉の内容についての話し合いが行われ、今後の方針が決定された。
ドロシア軍との接触とグリーンコフ中尉らの引き渡しは、囮役に最も相応しい艦艇リュウグウで行う事となった。
回廊の入口となる宙域を閉鎖しているドロシア軍に対し、エルテリア艦は大きく迂回する航路を取り、ヤーパンの別艦艇は回廊を形成している小惑星帯の縁を隠れながら移動して、囮役となる事に決まった。
そしてイツラ姫を乗せたイーリスが、通常では通らない大型惑星の引力圏ギリギリの航路を、偽装した小惑星の姿で通過するという事になったのだ。
囮の艦も含めて、どの艦艇も命懸けの行動になる。
これ以上の犠牲を出さずに全ての艦艇が生き残る道は、イツラ姫を無事に回廊内へと運び、恐らくそこに展開しているヤーパンコロニー軍の艦隊を回廊から押し出し、不法に宙域を閉鎖しているドロシア軍に対し、宙域からの退去交渉を行う事だそうだ。
この軍事行動は、艦隊規模と交渉の強度を間違えると、ドロシアとヤーパンとの開戦の可能性すらあるが、ドロシア軍はイツラ姫の拘束が叶わなかった上に、味方に引き入れたいヤーパンとエルテリアを敵に回す愚は犯さないだろうとの予想だった。
とにかくイツラ姫をドロシア側に渡さない。これが全てだ。
――――
イーリスにはイツラ姫とお付きの侍女が数名乗艦した。格納庫には赤い機体とブルーメタリックの機体が並んでいる。
艦隊のGW部隊は、展開する機体数で囮だと見破られない様に、他の艦の防衛に回ったのだ。
「リオン殿のお隣のお部屋がセシリア少尉で、お向いがエドワード准尉のお部屋。どうして私の部屋がこんなに遠いのですか?」
イーリスの艦内を珍しそうに見て回りながら、イツラ姫がセシリアさんを問いただしていた。命の危険がある状況が続いているのに、イツラ姫はいつも笑顔だ。
それほど顔を合わせていた訳ではないけれど、時々乗艦に呼ばれて話していたし、受け入れてくれた農業用コロニーでは、農産物の生産をしているコロニーを視察したいという事で、お忍びに同行したりした。
可愛らしいイツラ姫の笑顔を見ていると、思わずこちらも笑顔になってしまう。そんな魅力溢れるお姫様なのだ。
「それはですね……」
セシリアさんが、こちらを気にしながらイツラ姫に耳打ちをしている。いったい何を話しているのだろう。
「まあ。それは本当ですか! お人形を可愛がるなんて……」
「はい。ですから、可愛らしいイツラ様をお近くには……」
「ちょ、ちょっと。セシリアさん、いったい何を」
「うふふ。セシリアったら、そんな事を言うとリオン殿に失礼ですわよ。ねえ、リオン殿」
イツラ姫に見つめられ、可愛らしく微笑まれてしまい思わず赤面してしまう。
当たり前だが、まだまだ女性と目を合わせる事には慣れないのだ。
そんな感じで照れていると、エドワードさんに頭を抱えられて耳打ちされた。
「……リオン君。何だか純情そうな反応をしているけれど、君、セシリア少尉とお泊りだったそうだね……」
「えっ、あ、それは」
「……後で、お兄さんに詳しく聞かせて貰おうか……」
「いえ、本当に何もないです」
イーリスの艦内には悲壮な空気感などなく、常に明るい笑い声が響いている。セシリアさんとエドワードさんのお陰だ。
二人と一緒に居られると、本当に心強い。
偽装したイーリスは、小惑星が巨大惑星の引力に捉えられたかの様な軌道を取っている。ヤーパン回廊の入口を目指し、静かに宙空を突き進んでいた……。
いつも読んで頂きありがとうございます。
今話で【CAAIアルテミス ヤーパンへの道】の章が終わり、次話より【CAAIアルテミス オーディンへ向けて】の章が始まります。
いよいよリオン達がオーディンへと向かう事になるお話です。
引き続き楽しんで頂けますと幸いです。
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磨糠 羽丹王