第31話 「セシリア・ハーゲンブラウン」
『見えて来ました。あれがヤーパンの艦艇です』
イーリスからの艦外映像に、イーリスの数倍はあろうかという艦艇が見えて来た。
その脇を固める様に巡洋艦が三隻停泊しているのが確認できる。そのうちの一隻は恐らくエルテリアの艦艇だ。
『そろそろ到着するから、シャルーアを出しましょう』
アルテミスの指示でシャルーアを艦外へと移動させる。
艦外からイーリスを見ると不思議な感じがした。今までは小惑星にしか見えなかったイーリスが、その本当の姿を見せていたからだ。
艦艇の色は青みがかった白色をしていて、ゴツゴツとした小惑星とは似ても似つかない美しい流線形のフォルムをしている。如何にもシャルーアの母艦といった感じだ。
イーリスは揚陸艦だから多くの兵員や兵器を運ぶために格納庫が広いのだと思っていたら、実は小惑星に偽装する際のパーツが全て収まるように設計されていたのだ。
アルテミスによると、オーディンは多数の兵員や機体を運ぶような事は無いそうだ。
時間が無くて全貌を聞く事は出来ていないけれど、オーディンは他の経済コロニー群とは違い、どちらかと言うと惑星アウグドの様に独立性を承認されている国の様な物だと言っていた。
『オーディンの騎士』とは何かと言う説明は途中で終わってしまったけれど、オーディンから全ての権限を与えられた存在、という何とも曖昧な返事が返って来た。
俺はその『騎士見習い』を目指しているらしい。
名乗りの時は『騎士見習い』と言っていたが、実際は『騎士見習いの見習い』という立場だと言われた。
パイロットレベルが『A』になったら、正式に『騎士見習い』になるらしい。
もっと詳しい話を聞きたいけれど、今はまずヤーパンの艦艇へ訪ねて行く準備が最優先だと言われ、話は終わってしまった。
シャルーアのコクピットには、面談用の衣装が入ったトランクが固定されている。
ここに到着するまで、アルテミスからは挨拶の所作を幾度も練習させられていた。パイロットの訓練の時よりも煩いかも知れない。
『リオン。もう一度』
「……あい。本日はお招き頂き誠にありがとうございます。わたくしはオーディンの騎士見習い、リオン・フォン……」
『良いですか。この時は微笑みを湛えながら、凛とした表情で』
久しぶりに「煩せークソババア!」と言う言葉が頭に浮かんだが、もちろん飲み込んだ。
オーディンの騎士と言うのは、所作も含めて高潔でなければならないそうだ。『名乗りの覚悟』と言うものが、こんな形で必要だとは思っていなかった……。
ヤーパンの艦外にあの赤いGWが待っていた。確かセシリア・ハーゲンブラウン少尉だ。彼女の機体の案内で、ヤーパン艦の格納庫へとシャルーアを着艦させる。
イーリスの数倍は有りそうな格納庫には、濃紺と白のカラーリングのGWがズラリと並べられていた。
あちこちのハンガー(収納スペース)で、修理や整備が行われているみたいで、沢山のメカニックが機体に取り付いている。
こうして見ると、半ば自動で行われるイーリスの機体整備は、なかなか凄いものなのかも知れない。
指定されたハンガーにシャルーアを係留し、ヘルメットを脱いで準備して来たトランクの固定ベルトを外す。
『リオン。堂々と機体から降りて笑顔を絶やさずに』
「……りょーかいでーす」
作り笑顔でコクピットから飛び降り、ふわりと床に着地する。
何だか視線を感じると思ったら、格納庫内に居る全員が手を止めて俺の方を見ていた。
予想以上に注目されてしまい、一気に緊張してしまう。これが『名乗り』の効果なのだろうか。
案内してくれた赤い機体が、少し離れたハンガーに固定され、コクピットからパイロットが降りて来た。機体と同じく赤いパイロットスーツを着用している。
彼女は軽やかな足取りで俺の前に来ると、ヘルメットを脱いで頭を振り、豊かな髪をなびかせた。
そして次の瞬間、緑の瞳をしたその美しい赤髪の女性がいきなり抱き付いて来たのだ。
「僕ちゃん。また、会えたわね!」
「え、あ、せ、セシルさん?」
「騎士見習いリオン様。セシリア・ハーゲンブラウンでございます! 以後、お見知りおきを」
まさかのセシルさんに抱き付かれ、驚いて動けないでいると、思い切り頬に口づけをされてしまった。
途端に格納庫内に冷やかしの口笛やヤジが飛び交う。そう言えば格納庫に居る人達に注目されていたのだった。
──顔が火照って仕方がない。きっと真っ赤になって居ると思う……。
抱き付いていたセシルさん、いや、セシリアさんが腕を解き、俺の手を引いて艦内へと歩き始めた。
「ねえ、リオンちゃん。服を着替えるでしょう」
「ええ、着替えを持って来ています」
「じゃあ、私の部屋で一緒に着替えましょうか。お手伝いしてくれる?」
「え、いや、その……」
「うふふふ。嘘うそ。はい、ここが貴方の部屋よ。しばらくしたらお迎えに来るから、後でね!」
手を振りながら去って行くセシリアさんを呆然と見送り、案内された部屋に入った。
直ぐにトランクを開け、準備して来た面談用の衣装に着替える。
白のスラックスに、紺地に金モールの飾りが付き、袖や襟にも美しい刺繍が施してある詰襟の様な上着。その上に、さらに細かい装飾が施されている白いコートの様な物を重ね、紺色のブーツを装着した。
鏡の向こう側に、映画とかで見る大昔の貴族の様な格好をした男が居る。これがオーディンの騎士の正装らしい。
余りの似合わなさに、着せられている感じしかしないが、面談にはこの格好で行くように指示されているから仕方がない。
鏡に映る顔に違和感があるので確認すると、頬に赤い唇の跡が残っていた。セシリアさんの口紅だ。
慌てて拭き取り、他に変な所が無いか入念に調べる。
──しかし、あのセシルさんが赤いカラーリングのGWのパイロットだったなんて。それにGWの操縦もかなりの手練れだった……。赤い美しいドレス姿と、パイロットスーツに身を包んだ彼女の姿に違和感があり過ぎて認識が付いて行かない。あの人はいったい何者なのだ。
そんな事を考えていると、訪問を知らせる呼び鈴が鳴った。
鏡で自分の姿をもう一度確認してから、ドアに向かい扉を開ける。
そこにはビシッとしたえんじ色の軍服に身を包み、髪をまとめたセシリアさんが敬礼をして待っていた。
背筋を伸ばし直立不動の立ち姿のまま、鋭い表情で俺を見つめている。
「リオン様。お迎えに上がりました。ご準備はお済みでしょうか」
「は、はい。大丈夫です」
「では、案内致します。こちらへ」
セシリアさんはクルリと向きを変えると、背筋を伸ばしたままカツカツと歩き始めた。疑似重力下なのに浮き上がらない。見事な歩き方だ。
正直とても同じ人とは思えない変貌ぶりに舌を巻いていた。
やはり今まで俺に見せていた姿は任務の為の姿で、本当は冷徹で厳しい軍人なのかも知れない。
今までのセシルさんの事は忘れ、目の前に居る厳しいセシリアさんが本当の彼女の姿だと思い直し、甘えが出ない様に気を引き締めた。
そんな俺の気持ちを見透かしたかのように、セシリアさんが睨む様に振り向く。緑色の瞳が鋭く刺し込んで来ていた。
──どうしたのだろう。視線が怖いくらいに鋭い。まさか、胸を触った時の事で……。
厳しい視線に、否応なしに緊張が高まる。
「リオンちゃん、格好良いわぁ。惚れ惚れしちゃう」
「……」
「面談が終わったら、ゆっくりとお話ししましょうね!」
「……は、はい」
艶やかに微笑むセシリアさんに、思わずドキドキしてしまう。セシリアさんには本当に翻弄されっぱなしだ。
そのまま艦内を移動し、何階層か上った所で大きな扉の前に案内された。
セシリアさんが再び直立不動の立ち姿になり、俺に向かってビシッと敬礼をする。
「リオン様。こちらの部屋にて、我がヤーパンコロニーの皇女イツラが、貴公の到着をお待ちしております。どうぞお入り下さい」