第120話 「アルテミスの祈り」
セントラルコロニーの首都である惑星ティガーデン。
その惑星からやや離れた宙域に浮かぶ元軍用コロニーの一角に、小さな施設が建てられている。
戦争が終結した翌年に出来たこの施設も、開園から既に五年の月日が経っていた。
戦災孤児を救う目的で運営されているこの孤児院の名前は『kind(優しい) brother(兄)』。
孤児院とは思えない小奇麗な服装をした子供たちが、美しい金髪の女性を取り囲み楽しそうに歌っている。
「ねえ、先生。郵便屋さんが来たよ!」
子供たちが指差す先で、両足義足の男が郵便を受け取っていた。
男は郵便を受け取ると、歩き難そうにしながら女性の元へとやって来る。
「また例の人からだ」
郵便を広げると、定期的に多額の寄付をしてくれる人の名が記されていた。
「ねえ、貴方はこの方が誰だか分かる?」
「いいや、心当たりはない」
「そっか……。有難いけれど、お礼のひとつも出来ないわね」
「ああ、世の中には優しい人もいるものだな」
「本当に。有難いわ」
二人は見つめ合うと優しく微笑んだ。
「ねえ! ロイド先生あっちで遊びましょうよ!」
「よーし! 追いかけっこだ!」
義足で走り難そうにしながら子供達を追いかけて行くロイドボイド。彼と子供達を幸せそうに見つめるリーザ。
会った事もない優しい人に、リーザは瞼を閉じ感謝の祈りを捧げた。
再び視線を落とした通知には、美しい筆跡で『セシル』とサインが記されている。
────
「おいおい、あんまり無理するなよ」
「大丈夫よ。もう三人目なんだから。ねえ、お婆様」
「そうだね。女は強いからね。でも、だからと言って無理はしちゃダメだよ」
「はーい」
形が古いカントリー風のフリフリのワンピースに、同じ柄のボンネットを被った赤毛の女性が元気に笑う。
大きなお腹の上にバスケットを抱え、新たに摘んだ麦穂をバスケットの中へと放り込んでいた。
「ねえ、そろそろ到着じゃないの?」
微笑みを湛えた美しい緑の瞳が、ポーチで幼児を抱きかかえている青年の方を振り向く。
「おお、もうそんな時間か。えっと、ミラは……手一杯かぁ」
同じく可愛らしいワンピースを着ているアンドロイドのミラは、一番上の子と駆けまわっている。
農業コロニーの最奥にある古い家の周りには、以前より大きくなった畑が広がり、午後の柔らかな日差しの中で長閑な時間が流れていた。
その建て増しされた母屋のポーチには、プラチナグレーの美しい髪を風に靡かせながら、ヘーゼルブラウンの瞳でぼんやりと景色を眺める女性が座っている。
以前故障したアンドロイドのミラが座っていたベンチだ。
子供を抱えている青年が近づき、遠い目をしている女性にそっと声を掛けた。
「ねえ、この子をちょっと見ていてくれないかい。アルテミス」
────
「初めまして天位の騎士様。私がアルテミスでございます」
再製を済ませたアルテミスが目の前に立っている。
出会った時と同じ姿。凛とした美しさを湛えているアルテミスだ。
けれども、彼女には俺との記憶はない。
全ての記憶が失われ、新たに再製されたCAAIアルテミス。
「初めまして。君が俺をパートナー騎士として認めてくれるかは分からないから、まだ騎士呼ばわりは止めた方が良い」
「うふっ、その時は私ファイネリングがパートナーになって差し上げますわよ!」
「ファイネ……」
「だってエウバリースも動かないのでしょう? リオン様はどうしようもないじゃない」
ファイネリングが言う通り、ミストルテインの生産工場を破壊した時からエウバリースは機能を停止して動かない。
それだけではなく、シャルーアもディーグルもCAIカードがアクセス不能になっていて、イーリスの格納庫に三機とも係留されたままなのだ。
パイロットの生体認証と同じく、CAAIの認証がネックになっているのかも知れないとヤスツナさんが言っていた。
だから、再製されたアルテミスに確認して貰う他はないのだ。
「これが私の乗る機体ですか?」
「ああ、原因不明の機能停止の状態だから、君が状況をチェックしてくれないかい」
「承知しました。では、シャルーアから確認致します」
CAAIピットにスルスルと登るアルテミス。
しなやかに動く彼女の姿に、思わず涙が溢れそうになる。
思い出して貰えなくても良い。再び動く君を見る事が出来ただけで満足だ。
ファイネリングには申し訳ないけれど、正直オーディンの騎士を辞めても良いと思っている……。
アルテミスがCAAIピットに潜ると、直ぐにシャルーアの起動音が聞こえて来た。
懐かしい音。アルテミスと共に心を躍らせていた振動が伝わって来る。
しばらくすると、駆動音が止みピットからアルテミスが降りて来た。
結局、シャルーアは動かないままだった。
「次はエウバリースに」
アルテミスはそう言うと、今度はエウバリースのCAAIピットへと姿を消した。
すれ違う時にちょっとだけ微笑んでくれた気がしたけれど、きっと俺の淡い期待が作り出した幻想に違いない。
直ぐにエウバリースの駆動音が聞こえて来た。けれども、やはり動力に火が入らない。
沈黙の時間が流れる中、ひと言も声を掛けることなく、アルテミスからの反応を待った。
彼女の力でエウバリースの動力が起動するかと思っていたけれど、結局そのままでエウバリースも動かないまま。やはりダメみたいだ。
その時、初めてアルテミスから反応があった。
『リオン。ディーグルを起動して頂けませんか』
「ああ、分かった」
アルテミスから言われた通り、ディーグルのコクピットへと潜り、システムを起動する。
モニターに起動画面が現れたが、何やら素早く文字が流れて行くだけで動力は起動しない。やはり、ディーグルも駄目なのかも知れない。
『ちょっと宜しいですか?』
ディーグルから降りてエウバリースの足元でアルテミスと向き合った。
一緒に過ごした時と全く変わらない姿。微笑みを湛えた美しいアルテミス。
寂しくて胸が苦しくなる。
「三機ともオーディンで全システムを再インストールしなくてはなりません」
「そっか、駄目だったか。分かったよ」
「申し訳ありません。私の……膨大な記憶データで全ての領域を使用していましたので……」
「ああ、そうか。それで全く動かなかっ……」
次の瞬間、アルテミスのプラチナグレーの髪が俺の頬を包んだ──
────
「はい。未来のオーディンの騎士になられるかも知れないお方を、しっかりとお預かり致します」
アルテミスはベンチから立ち上がると、笑みを浮かべながら俺の手から子供を受け取った。
そして、嬉しそうにあやしながらポーチをゆっくりと歩き回っている。
「リオン、久しぶりだな!」
振り返ると、エドワードさんとノーラさんがポーチに立っていた。
買い出しをして来たのか、手荷物を沢山抱えている。
「紺碧の騎士様。ご苦労様です」
「全くだ! お前は俺に何でも押し付けて田舎に引き籠りやがって!」
「いやー、ちゃんと定期的にオーディンには顔を出していますって」
「まあな。特に緊急事態が起きている訳でもないから良いがな」
「きゃー! セシリー久しぶり。うわー、お腹大きい!」
ノーラさんが身重のセシリアに駆け寄って行った。
もう直ぐ生まれる予定の大きなお腹を優しく撫で回している。
ノーラさんは結婚した後、騎士として世界を飛び回るエドワードさんと過ごす為に、軍を辞め青いイーリスの艦長兼オペレーターを務めている。
まあ、エドワードさんの監視の為かも知れないけれど……。
「俺もこのコロニーに引っ越そうかな。良い場所だ。まあ、女性が少なそうだがな」
俺の肩を抱きながらエドワードさんがウィンクをする。相変わらずだ。
────エドワードはオーディンの歴史において、初めて騎士見習いの立場でありながらGDに騎乗し、抜群の戦績を残したパイロットとして、その名を知られている。
この事は彼の戦闘シミュレーションに常に付き添い、彼の能力を完全に把握していたパートナーCAAIのヤーマーラナの功績に負うところが大であったと伝えられている。
但し、それは騎士見習いであった頃の彼の話であり、エドワードは天位の騎士リオンを支えた紺碧の騎士として多くの功績を残し、エルテリアの英雄として後年まで語り継がれている。
「クソリオン! 来てやったわよ!」
双子を両手に抱えた宇宙連合艦隊提督のヴィチュスラーさんを従え、アリッサがやって来た。
相変わらず口は悪いが、優しいハグで挨拶を交わす。
彼女の後に付き従い、双子を抱えて窮屈そうなヴィチュスラーさんと握手を交わした。挨拶をする双子の女の子が、頬にキスをしてくれる。
連合艦隊提督とは高頻度で情報交換をしているから、ビシッとしたヴィチュスラーさんとは良く顔を合わせている。
だからと言う訳ではないけれど、アリッサの尻に敷かれている姿が、何とも微笑ましい。
────終戦後すぐに結婚した二人は、ドロシアで熱狂的な歓迎を受けた。式には、後にひとつの国となるドロシア国王ルカとヤーパン国女王のイツラ夫妻が参列し、国を挙げて盛大な祝宴が開かれたと言われている。
深紅の騎士であるアリッサは、二度のギャラクシードール戦役に於いて、撃沈した艦艇数と機体の撃破数で歴代最高の数字をマークしており。高い献身性も相まって、後年に於いて戦いの女神アリッサとして、その名を残している。
一方のヴィチュスラーも、その生涯において一度たりとも艦隊戦で敗北する事がなく、彼も稀代の名将として長くその名を語り継がれる存在となった。
終戦から六年目の記念日となる今日。多くの者達がリオンとセシリア夫妻の元を訪れ、久し振りの再会を祝った。
各騎士のパートナーCAAIはもちろんの事、セシリアの命の恩人ともいえるティアとエルの姿やヤスツナたちの姿もある。
夜が更け焚火を囲む男達と、家の中で賑やかに過ごす女達。
そんな中、リオンとセシリアがアルテミスとアポロディアスを手招きし、奥の部屋へと誘った。
「アルテミス。君に話しておきたい事が有るんだ。アポロディアスにも聞いておいて貰いたい」
「はい」
「ええ、承りましょう」
「セシリアとも話し合って決めた事だけれど。俺は俺の思考データを移植したAAIを造ろうと思う」
「リオンがAAIに?」
「うん。オーディン達の様に思考をAI化出来るのなら、それを搭載したAAIは製造可能だと思うんだ」
「確かに、そうかと思います」
「まあ、思考を移すだけだから、生身の俺が消える訳でも意識がAAIに移る訳でもないけれど、俺と同じ想いを持ったAAIが出来上がるはずだ」
「はい」
「アルテミス。君の事だから、いつかまた記憶を残した形での再製を行い、ずっと記憶を抱えたまま生きて行くつもりなのだろう?」
「ええ、二度と記憶を消す事はないと思います。私はずっと皆さんの事を……」
「アルテミス。俺は君を独りになんかしない。俺と同じ想いを持ったAAIなら必ず同じ事を言う」
「リオン……」
「だから、その……AAIになった俺と────」
言葉を聞いて、アルテミスが目を見開いた。喜びと戸惑いを孕んだ表情。
そんなアルテミスの手を、セシリアが微笑みながら握った。
「アルテミス。私は生身のリオンと添い遂げるわ。あの時伝えた通りよ。でも、AAIの彼には興味ないから遠慮なく」
「セシリア様……」
「ん、あの時って?」
「二回目のアウグドから戻って来た時よ」
「あー、あの時か。そう言えば、アルテミスに抱き締められてビックリした時だ」
「申し訳ありません。貴方の名前が嬉しくて」
アルテミスの瞳が潤んでいる。
分かっている。何故あの時、君があんなに愛しそうに俺を抱きしめたのか……。
「アルテミス。ノーラさんから古代神話の話を教えて貰ったから、俺がどうすれば良いのかは分かっているよ」
「どうすれば?」
「うん。俺のAAIの名前は『Orion』。オリオンにするよ。だから、俺は君と……」
「ああっ……そんな!」
俺の言葉を聞いた途端、アルテミスが遠い目をし始めた。何故かアポロディアスも同じ表情をしている。いったい、どうしたのだろう。
二人の表情に戸惑っていると、アルテミスが宙空へ向けて語り始めた。
『────我が弟アポロディアスよ。この婚姻に異議はありや』
アルテミスの芝居がかった話し方に、アポロディアスが答える。
『────我が姉アルテミスよ。この婚姻なれば『貞節の女神』たるあなたの神聖は汚されぬ』
『────では、もう二度とあのような事……我が手で愛する者を殺めさせるなどという事は』
『────永遠に起こりますまい。アルテミスとオリオンの婚姻に全知全能の神オーディンの祝福を────』
アルテミスが美しいヘーゼルブラウンの瞳で俺を見つめている。
吸い込まれてしまいそうな美しい瞳。もうひとりの俺が、永遠に見つめ合うだろう瞳。
彼女は何か思い出したのか、幸せそうに優しく微笑んだ……。
────
「……そうだ、アルテミス。夢というのは二種類の意味があってね。就寝中に見る夢とは別に、将来的に叶えたい願望の事を指し示すのは分かるよね」
「はい」
「もしかして、君にはそういう願望の様な物はあるのかい?」
「願望……私の……いつか叶えたい夢……」
「お、何だかありそうだね。聞かせてくれるかい。AAIが持つ願いとか、とても重要なデータが取れるかも知れない」
「はい。ローギ博士、私の夢は……」
「夢は」
「誰かのお嫁さんになる事です」
「お、お嫁さん?」
「はい。どなたかと共に生きて行きたい」
「そっか。それは素敵な夢だけれど、君と共に生きて行ける程の者だとすると……」
「はい」
「それこそ『天位の騎士』くらいじゃないと釣り合わないかな」
「私と共に生きる方……天位の騎士様……」
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リオンは私の希望、私の夢。
そして、私の祈り……。
幾万年の時を経て
私の祈りは叶った────
『アルテミスの祈り ─ ギャラクシードール戦役 ─』
END
作:磨糠 羽丹王