第117話 「紺碧の騎士」
エドワードは不意に差し込む光に思わず目を瞑った。
アジュが操縦不能に陥り、何も出来ずに宇宙空間を漂っていたのだが、それほど長い時間ではなかったと思う。
自分の呼吸音だけが聞こえる無音の世界が続いていたが、何かが機体に取り付く音がして、直ぐにコクピットが押し開かれたのだ。
誰かがコクピットへと入って来たのだが、照らされる光が眩しくて相手が見えない。
「生きていますか」
聞き覚えのある声に、相手が誰だか分かった。
「済まないがライトが眩しい」
「これは失礼しました」
ライトの向きが変えられ、眉間に宝石の様な飾りのあるキリリとした顔立ちの女性と目が合う。紺碧のGDトリアリーナのCAAIヤーマーラナだ。
「どうして貴女が。偶然の救助か?」
「いいえ。リオン様からの言い付けを守っております」
「リオンから?」
「はい。以前より貴方から目を離すなと」
「何だいそりゃ。ノーラの差し金か」
「ふふ。そうかも知れませんね。ですが、今から私がお伝えする事は、その事とは関係ありません」
「うん?」
「エドワード様。トリアリーナにパイロットとして騎乗して下さい」
「なっ……凄い話だが、流石に無理だろう」
「無理ではありません。リオン様からも了承を得ております」
「リオンから? だが俺では実力不足……」
「ええ。私が取り続けて来たデータによると、騎士見習いギリギリと言った所です」
「ふふ。そうだろう」
「ですが……それは各項目の平均値を取るからそうなる訳で、騎士のレベルにまで達している項目がいくつもございます。貴方の不足している部分を私が全力でサポートすれば……」
「騎士並みの動きが出来ると?」
「ええ。貴方の戦闘データは全て取得済みですし。私の方の準備はとうの昔に出来ておりましたから」
「ヤーマーラナ……良いのか?」
「紺碧の騎士見習いエドワード・フォン・オーディン。時が有りません。リオン殿は既に再出撃されて前線へと向かわれております」
「よしっ!」
エドワードが跳ね起き、デブリと化したアジュから紺碧のGDトリアリーナのコクピットへと身を滑らせた。
────
「先程とは随分動きが違うじゃないか! 痺れるぜ」
白く輝くエウバリースに対峙しているディープグリーンの新型ミストルテイン。
初めて一対一で相まみえる白の騎士の姿に、ロイドボイドは打ち震えていた。
「その虹色に光る機体を今度こそ討ち倒す!」
粒子レーザーの連撃を織り交ぜながら、近接武器の間合いへと機体を寄せるミストルテイン。
その攻撃を僅かな動きで躱し、体勢を崩す事なくその宙域に止まるエウバリース。
ミストルテインが近接攻撃の間合いに入るや否や、尋常ではないスピードで長剣が振るわれた。
並のパイロットであれば、目視する事すら難しい程の速度で青く光る刃が襲い掛かる。
ロイドボイドは急制動とスラスターのフルバーストによりその攻撃をかろうじて躱した。
「近寄るだけでもひと仕事だな。これだよこれ。こいつの動きはこうじゃないとな!」
反撃を警戒してロイドボイドは距離を置いたが、エウバリースは動かない。
「余裕か? それとも、またトラブルで動けないとか……」
言うや否やロイドボイドが再び攻撃を仕掛け、エウバリースに肉迫する。
今度は長剣の軌道を読み、鋭い切り込みを躱すと、斧を下手から振り上げながら懐へと飛び込んだ。
いや、飛び込んだつもりだったが、凄まじい勢いで盾をぶつけられ、体勢を崩しかけた所で蹴りが迫る。
「おっと、またそれか」
ロイドボイドが斧の尖った柄の部分で蹴りを受けようと素早く構える。
だが、柄が突き刺さる直前で脚が止まり、直後に激しい衝撃と共にモニターの映し出す世界が反転した。蹴りと見せかけて誘い込んだエウバリースに殴り飛ばされたのだ。
「なんだと……」
打撃の勢いで敵に背を向けた状態に陥り、ロイドボイドはフルブーストでエウバリースから離れようとした。
だが機体に衝撃が伝わると同時に加速が鈍る。瞬時に背負っているメインブースターの一基が潰されたのだ。
それでも、何とか長剣の間合いから逃れ、追撃に備え素早く回頭する。だが、エウバリースは元の宙域から動いていなかった。
「なんだ。偉そうに」
本気ならブースターを潰した勢いに乗り追撃を仕掛けて来るはずなのだ。
飄々《ひょうひょう》と攻撃を躱し、軽く往なし、その場に留まったまま反撃を行い、追撃を仕掛けて来ない。
その余裕の立ち振る舞いに、ロイドボイドは苛立ちを隠せなかった。
この一年でかなりのレベルまで追い付いたと思っていた、GDを駆るパイロットとしての技量。
だが、オーディンの騎士の頂きは、まだまだ遥か遠くに有ると見せつけられた気がしたのだ。
「迷わされるものか……徹底的にやってやる」
潰されたブースターの推力をカバーしつつ、ロイドボイドの機体が素早い急制動と急回頭を繰り返し、予測の付かないタイミングで粒子レーザーを撃ち込む。
都度エウバリースは最小の動きで躱し、躱し難い攻撃は盾で軽く逸らした。僅かな無駄もない動きで相手の攻撃を完全に読み切っている。
それでもロイドボイドは食い下がり、一瞬の隙を突き近接攻撃の間合いへと機体を踊り込ませた。瞬時に再び盾が迫って来る。
「嵌った!」
迫る盾を直前で躱しながら、絶対の間合いで盾の向こう側へと機体を滑り込ませるロイドボイド。
そこには盾を振り抜き、その動作の為に横腹を晒している白い機体があるはずなのだ。
機体が見えるよりも先に、振りかぶっていた斧を予測位置に叩き込む。
これまで幾度もシミュレーションで繰り返して来た対騎士戦用の戦術。
シミュレーションで、この攻撃を叩き込んだ騎士に躱された事はない。例えこの白の騎士であっても……。
「喰らえよ!」
ロイドボイドは斧を叩き込みながら、盾を躱した先に白い機体が見えた気がした。
「なっ……」
だが、盾の向こう側の空間には何もなく、斧が空しく宙を切る。
奇しくも、彼の必中の動きは、見下していたリーザの兄カークス・バーンスタインの最後の攻撃と同じであった。
その瞬間に背後を取られた事を認識したロイドボイドは、後ろ蹴りでエウバリースへダメージを与えようと試みる。
蹴りが当たる衝撃が伝われば瞬時に回頭し、至近距離から粒子レーザーを叩き込むつもりだった。
──この動きなら、奴に後れを取る事はない。いくら白の騎士が優れていようとも、反応には限界があるはずだ……。その間に痛撃を受けるかも知れないが、それで奴を討ち取れるのならば……行動不能に陥ったとしてもお釣りが来る。
後ろ蹴りが当たる瞬間を待つロイドボイド。神経を研ぎ澄ましその一瞬を待った。
だが、その瞬間は訪れず、蹴りを躱された勢いで機体がやや前のめりになる。
それでも躱された事を知覚するや否や、急回頭して粒子レーザーを撃ち込むという行動をとった。
「オーディンの騎士め! 弄びやがって! 喰らえよ!」
ロイドボイドが決死の反撃を試みるが、攻撃動作中に激しい衝撃を立て続けに受け、機体が軋む音に包まれる。
モニターが即座に機体の各所を赤く染め、一瞬の間にアームや脚部が失われて行くのが分かった。
「ぐはっ!」
コクピット全体がひしゃげるのを目の当りにした直後、モニターは全てブラックアウトし、ロイドボイドは潰れる機体に体が挟まれる強烈な痛みを感じながら意識を失った。
────
「アルテミス。GD部隊の隊長機を始末したよ。これから残存している敵を駆逐しながら俺も軍事コロニーに突入する」
リオンはロイドボイド機と対峙するまでに敵主力艦隊へと単騎で突入し、群がる新型ミストルテインと艦艇を駆逐。既に敵コロニー守備部隊に甚大な損害を与えていた。
エウバリースの白く虹色に輝く機体を彗星の如く煌めかせ、一撃も無駄にする事なく、通り過ぎる度に迸る様な攻撃を繰り出し、敵を次々と斃してしまう。
それは、リオンにはまるで無人の野を行くかの如き滑らかな動きに思えていたが、実際は一切の予測を許さない機敏な動きと、敵の動きに瞬時に反応し的確に攻撃を加える凄まじい動きであった。
この時、リオンには周囲の全ての動きが把握できていた。敵の動きが手に取る様に分かり、容易に討ち倒して行く事ができたのだ。
人でありながらCAAIと変わらぬ速度で状況を把握し、コンマ数秒の遅滞も無く機体を操る感覚。これがオーディンの天位の騎士の持つ天賦の才なのか、十五オーディンの言う所の『人の持つ可能性』のひとつなのかは、今はまだ分からない。
「アルテミス、新手の敵だ。行くよ」
リオンは無表情のまま、前方に現れた新型ミストルテインの部隊へとフットペダルを踏み込んだ……。