第115話 「セシリアの矜持」
「ドロシア艦隊の状況は」
「はっ! 前面の敵艦隊への全艦突撃の状況から変わっておりませんが、徐々に圧し込んでおります」
「後方のパナフィックからの艦隊は動いたか」
「いえ、後方宙域に留まり防衛陣形を布いたままです」
「やはりか。流石はヴィチュスラー殿。存在しない援軍で相手の動きを制するとは……やはり稀代の名将との評価は伊達ではないな」
エルテリア艦隊の旗艦アデレイド。
現在、連合艦隊の指揮を任されている提督代理は、モニターに映る戦局画面を見つめ、信じられないといった風で首を横に振っている。
前面に四〇〇〇、背後に三〇〇〇の敵艦隊を抱えた僅か二〇〇〇のドロシア艦隊。
傍目には援軍を差し向けねば壊滅の憂き目に遭うのは火を見るよりも明らかであった。
だが、ヴィチュスラーは援軍の派遣をさせず、それどころか前面の敵艦隊へと全艦突撃を敢行したのである。
無謀というよりも、むしろ全将兵を巻き込んだ自殺行為とも言える行動。
だが、後方から攻撃を仕掛ければ勝てるはずの敵艦隊が動かないのだ。
前方にいる敵艦隊も何故か及び腰で、半分以下の艦隊の突撃を受け、じりじりと圧され始めている。
数では圧倒的に有利なはずのセントラルコロニー軍が圧されている原因は、ヴィチュスラーの仕掛けた心理戦に嵌ったからであった。
定石であれば倍する敵に挟撃され不利な状況に陥った場合。挟まれている宙域からの脱出を図るか、味方の援軍を待つために防衛陣形を布くはずなのだ。
ところが、圧倒的に不利なはずのドロシア艦隊は、躊躇なく全艦突撃を仕掛けて来たのである。
この行動の示す所は、後方の艦隊に対し十分に対抗可能な援軍が存在し、後方の艦隊を気にせずに前面の敵に当たる余裕が有ると言う事。更に、これほど不利な条件にも拘わらず全艦突撃を敢行してくるという事は、この状況を覆せるだけの戦力なり戦術を持ち合わせていると見做すべきなのだ。
それ故に、後方の艦隊は宙域に留まり、どこから現れるか分からない敵援軍の襲撃に備え、前面の艦隊は無謀な突撃に対し及び腰の状況に陥っている。
存在しない援軍を作り出し、その心理を利用し敵を足止めし、疑心暗鬼の状態に陥る敵を強かに攻撃する。
セントラルコロニー軍はヴィチュスラーの策に嵌り、挟撃の絶好のチャンスを逃してしまったのだ。
後年、この宙域での戦いにおいて、もし前後の艦隊による挟撃が行われていたならば、その時点でセントラルコロニー軍の勝利は確定していただろうと言われている。この駆け引きは戦局の行方を左右する重大な局面だったのだ。
「全艦突撃準備!」
いよいよドロシア艦隊が敵左翼艦隊を突破かという戦局となり、エルテリアの提督代理はエルテリア・ヤーパン軍の艦隊を一斉に突撃体制へと移行させた。
「ヴィチュスラー殿の消息は」
提督代理の問い掛けに対し、オペレーターに確認を取った副官が首を横に振る。
「乗艦の撃沈が確認されたが……あの方に限って戦死という事はあるまい。ドロシア軍の士気は下がっていない。生存されていると信じよう」
目を合わせている副官が頷く。
「ドロシア艦隊、敵左翼を突破した模様!」
オペレーターの叫ぶような報告に、艦橋がざわつき始める。
ドロシア艦隊の左翼突破により、正面に展開しているセントラルコロニー艦隊が挟撃を恐れ足並みが乱れたのだ。
エルテリアの提督代理はその一瞬の好機を見逃さなかった。
「全艦突撃!」
時を置かず提督代理の指示が飛び、通信障害を潜り抜けるかのように、近接している艦の通信網を使い、突撃開始の通達が徐々に広がって行く。
そして、艦隊の最前面に展開している艦にブーストの炎が灯るや否や、全艦艇が一斉にメインブースターを煌めかせ突撃を開始した。
艦艇数において圧倒的に不利な状況の連合艦隊。
その生死を賭けた全艦突撃が始まったのである。
────
「本当にしつこい女ね。まあ、他所で暴れられるよりもマシだけれども……」
ピンクの新型ミストルテインは異常とも思える執拗さで、セシリアのクナイを追い回していた。
度重なる攻撃を受け、満身創痍といった姿になっている赤いクナイ。
それでも、セシリアは致命傷を受ける事なくリーザからの攻撃を往なしていた。
かなりカスタマイズが施されているとは言え、GWであるクナイとGDの新型ミストルテインとの機体性能の差を考えた場合、これは驚異的な事と言える。
これはセシリアのパイロットとしての能力が極めて高いレベルに有る事を示していた。
だが、機体の各所へ蓄積されたダメージはクナイの動きを徐々に蝕んでいる。
『回頭性能一〇%低下。脚部スラスター損傷率……』
CAIカードから機体状況の報告が延々と続く。
「損傷していない箇所を教えて貰った方が早そうね」
セシリアが自虐的な笑みを口元に浮かべた。
次の瞬間、クナイがブースターを焚き急激に機体をスライドさせる。
直後にそれまでクナイが居た宙域を、強力な粒子レーザーの光が通り過ぎて行った。
近接攻撃で圧し込んできていたピンクの新型ミストルテインが、予備動作無しでいきなり粒子レーザーを放ったのだ。
ほんの僅かでも反応が遅れていたら被弾したであろう絶妙の攻撃。セシリアは瞬時の判断で強烈なGを体に受けながら攻撃を躱したのだ。
「回避行動の連続。Gで顔に皺が出来そうよ。不愉快だわ」
文句を言いつつ素早く操縦桿のトリガーを引く。こちらも回避行動中に不意に放たれた一撃。相手の対処が遅れれば被弾は免れないタイミングだ。
だが、クナイから伸びた粒子レーザーの光はピンクの機体へ到達する直前に躱された。
しかも、躱した直後に挑発するかの様に機体をユラユラと揺らすピンクの機体。余裕を見せ誘い込んでいるのだ。
「お生憎様。私はお誘いにほいほい付いて行く様な尻軽じゃないのよ」
誘い込まれ近接攻撃を加えようとする素振りを見せ、再び不意の粒子レーザーを撃ち込むセシリア。だが、その攻撃も寸でのところで躱されてしまう。
ところが、そこで状況の変化が起きた。ピンクの機体が攻撃を躱したところで、幾筋もの粒子レーザーが殺到したのだ。
セシリアとリーザが戦いを繰り広げている宙域に、濃紺と白のカラーリングを施されたヤーパン軍のGWが三機、セシリアを援護すべく侵入してきたのだ。
「来てはダメ! 逃げて!」
思わず発したセシリアの悲痛な叫びも届かず、三機へと目掛けて一気に距離を詰めるピンクの機体。
攻撃を防ごうとフルブーストで追い縋ろうとしたクナイを、ピンクのミストルテインは背を向けた状態にも関わらず、正確な射撃で動きを制した。
出鼻を挫かれたクナイの目前で、粒子レーザーにより一機が火球に変えられ、続く近接戦闘でもう一機がコクピット部分で寸断される。
直ぐに最後の一機も鋭い攻撃を受けたが、アームを失いながら何とか躱した。
そのタイミングで追いついたクナイが、ミストルテインの背後に迫る。
「させないわよ!」
斧を振りかざすピンクのミストルテイン目掛けて、クナイの短剣が素早く刺し込まれた。
だが、クナイの攻撃は敵機体に届く寸前に静止させられてしまう。
いつ回頭したのか分からない俊敏さでミストルテインが振り向き、クナイのアームを掴んでいたのだ。同時にヤーパンのGWのコクピットを後ろ蹴りで潰しながら……。
次の瞬間、接触した機体を通じ通信機から声が聞こえて来た。
『あはははは! 掴まえたわよ……。殺す……殺してやる!』
正気を失った甲高い声。殺すという言葉を執拗に繰り返す女の声。
「気持ちの悪い女! リーザ・バーンスタイン!」
セシリアは彼女の名前を知っている。ミストルテイン部隊のもうひとりのエースパイロットとして情報を得ていたのだ。
それほど多くの情報は取れてはいないが、あの時の戦いの情報を基に戦闘シミュレーションで戦い方は学んでいる。
そうでなければ、圧倒的な機体性能の差の中で、セシリアがここまでリーザの攻撃を凌ぐ事は難しかっただろう。
『あんた誰? 死んで!』
掴んだアームを引き寄せ、斧でコクピットを狙うリーザ。
機体の自由を奪われ、躱す事が不可能な状態のセシリアは、即座に次の行動を頭に描いた。
「右アームパージ!」
掴まれたアームを機体から切り離した事で、自由を取り戻したクナイが迫る斧をギリギリで躱す。
間髪入れず、もう片方のアームに握られた短剣がリーザのコクピット目掛けて突き入れられた。
空を切った斧を掻い潜り、絶妙の間合いでコクピットに迫るクナイの短剣は、残念ながら機体に届く直前に勢いを失ってしまう。
クナイの攻撃が勢いを失った訳では無く、ピンクのミストルテインが機体前面のスラスターをフルバーストして後方へと逃れたのだ。
そして、躱された直後に下方より蹴りが襲って来る。距離とタイミング的に躱せない一撃。
「そこっ!」
敵のコクピットへと短剣を届かせる為に目一杯伸ばし切ったはずのアームの操縦桿を素早く引き下ろすセシリア。
胴部への凄まじい蹴りを受けながら、その短剣の先はミストルテインの脚部のブースターを貫いていた。
その程度の破損など気にも留めず近接攻撃を続けるリーザ。
攻撃を躱す機動力を既に失っているクナイは、重たい一撃一撃をギリギリの回避行動でダメージを抑えつつ後方へと逃れて行く。
だが、蹴りの衝撃で遂に耐久限界を超えたアームは攻撃される度にあらぬ方向へと漂っている。
更に、たて続けに繰り出される蹴りに対して、同じく蹴りで受けて何とか防御を繰り返していたが、その脚部も防御時に相手のスラスターやブースターの一部を潰したものの、いつの間にか千切れ飛んでしまった。
ほぼ機体の全機能を失った相手に対し、粒子レーザーの一撃で勝負を決する事ができるはずのピンクの機体は、なぶり殺しにするかのように、クナイに対し執拗に打撃系の攻撃を繰り返している。
「……嫌な女……」
歪んだコクピットの中で、どこからの出血か分からない血の玉がセシリアのヘルメットのバイザーの中を漂っている。
既に用を為さなくなった操縦桿は、衝撃に体が持って行かれない為の手摺でしかなくなっていた。
『うふふふふ……殺してあげる……殺してやる……やっと殺せる……』
再びクナイの機体を掴んだリーザの呪詛にも似た声がコクピットに木霊する。
『後方に小惑星……衝突しま……』
「くはっ!」
途切れ途切れになっていたCAIカードからの通信が途絶え、コクピットシートに背中を強かに叩きつけられたセシリアの口から血が溢れ出た。
一瞬の苦悶の表情と、直後に浮かべた微笑み。
クナイを小惑星に叩き付け、完全に止を刺したミストルテインは、距離を取り大破した赤い機体を眺めている。まるで死刑執行の完成度を楽しむかの様に……。
「……リオン……楽しかったわ……」
僅かに口を動かしているセシリアの目線の先には、酷いノイズが走るモニターに粒子レーザーの銃口を向けるピンクの機体が映し出されている。
「愛して……」
セシリアの見つめる先で、モニターが真白な輝きで包まれた。